古田重然

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古田 重然(ふるた しげなり あるいは しげてる、1543年 または1544年 - 1615年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍したへうげもの・数寄者・茶器泥棒である。副業で戦国武将もやっていたとされる。自分の作った茶杓と摩り替えて茶器を盗むときに「俺の作った茶杓とてよいものでござるよ、ゲヒヒヒヒ」と声をあげたことからゲヒ殿とも呼ばれる。果てしない物欲の赴くままに、ビビッドな表情とオーバーリアクションで戦国時代を駆け抜けた。

概要[編集]

ゲヒ殿は美濃に生まれ、織田信長美濃に進駐してきたと同時に門下にイソイソと加わる。永禄11年(1569年)に摂津茨木城主中川清秀せんと結婚しており、おっとりしたロリをもらった勢いで評定中にも思い出し笑いをするぐらい浮ついていたようだ。ゲヒ殿は他に以下のような経歴を持つ。

  • 信長の野望武将風雲録 政治57 戦闘46
  • 信長の野望覇王伝 政治67 戦闘26 智謀27 采配59
  • 信長の野望天翔記 政治102 戦闘130 智謀70
  • 信長の野望将星録 政治63 戦闘35 智謀60
  • 信長の野望烈風伝 政治58 戦闘7 采配18 智謀14
  • 信長の野望嵐世紀 政治40 戦闘6 智謀5
  • 信長の野望蒼天録 政治44 統率5 知略1
  • 信長の野望天下創世 政治54 統率5 知略1
  • 信長の野望革新 政治60 統率16 武勇27 知略4 義理14
  • 信長の野望天道 政治70 統率12 武勇9 知略64 義理14
  • 信長の野望創造 政治68 統率18 武勇29 知略63 義理7

以上のように、戦国武将としてはまったくのダメ武将と見られていたようで戦場での活躍はまず見込めない(特に悪名高い烈風伝以降は)、政治も二流三流の域を一歩も出ていない。織田家に仕えてからは伝令役として活躍していたが、これはハンス・フォン・ゼークトのいうとおり、「無能な怠け者でも権限を持たない連絡士官ぐらいはできだろう。」の法則どおりの扱いであり、適材適所といったとおりであろう。しかしながら本人としては数寄のかたわらで「武によって立身出世を狙いたい」などとも思っていたようで、時々自分の能力と現実との差で悩んでいたようだ。

しかしながらダメながら精一杯間違った方向に頑張るゲヒ殿に対して、織田信長や豊臣秀吉といった当時ゲヒ殿がつかえた権力者たちは可愛がっていたようで、有力者の妹を嫁にもらったり、割と大事な局面で使者に当たるなどさまざまな面で優遇されていたようだ。荒木村重松永久秀謀反の際には危険を顧みず突入して高価な茶器に目を奪われるなど活躍している。

性格はともかく格好付け、一に数寄、二に数寄、三四がなくて五に数寄で軍務政務は二の次三の次、数寄に関しては極端なまでの大胆な行動を取る。名刀関の孫六片手に、朝顔形の兜(殺人頭突きが可能)で茶を一気飲みしたりとその奇行には枚挙に暇がない。

権力者との付き合い[編集]

上記のように面白い表情などが気に入られ信長には可愛がられており、一緒に安土の夜景を眺めたりとレジャーのお供をしている。本人も織田信長を慕っており、明智光秀のパーティに御呼ばれした時には信長を馬鹿にされたために後一歩で刀傷沙汰になる始末、織田信長に謀反しかけた中川清秀説得の際には信長への忠義として妻せんを切り殺そうとまで仕掛けた。本能寺の変の際には信長に異変があったのではとの虫の知らせで京に駆けつけて、鼻血を出しながら焼け跡で茶器を物色しながら信長に祈りをささげている。後に自分の物欲は信長への畏怖と憧れだと気づいたようだ。

秀吉に関しては愛憎様々な感情があるものの、秀吉の冷徹さとド派手な秀吉の趣味に興味津々であり、また秀吉の策にコロリと騙される脳味噌のせいで比較的愛されていたようだ。また真面目な徳川家康とはソリがあわないが、家康自身もゲヒ殿の行動を見るうちに「大人やも知れぬ」と注目されている。もちろん家康の勘違いである。

千宗易(利休)の弟子にもなっており、利休七哲の一人に加わっている。利休門下の中では圧倒的にタカ派の数寄者であり、パイナップル練乳ヨーグルト和え安土盛り、縄文時代風の野点(野外茶会)、ダッシュで橋の欄干のぎぼしのさわり心地確認、ボコボコの屋敷、ツリーハウスでお茶会など様々な事にチャレンジしている。たまに千利休に怒られる。

焼き物の保護者[編集]

またゲヒ殿は焼き物を保護し、育成した人物としても知られる。信長の保護政策がなくなった本能寺の変以降、ゲヒ殿はなけなしの資産をなげうって美濃の陶工らを保護し、陶工野郎Aチームを結成させる。これにより落ち込んでいた美濃の陶工らの技術は大幅に上昇し、井戸茶碗の贋作や妻せんのおっぱいをかたどった茶碗などの作成に取り掛かることとなった。しかしチーム全体から「古田殿ゆかりの美濃焼ではブランドイメージが低すぎます」と訴えられたため、信長ブランドをパクった瀬戸物とすることで解決した。

ゲヒ殿切腹[編集]

このように色々とチャレンジしてきたゲヒ殿であるが、それゆえに頭の固い家康の気に障り、大阪の陣で豊臣方に内謀したと言う噂を口実に切腹を命じられてしまったのである……。合掌。

しかし、ゲヒ殿切腹には後日談があり、家康はこれまでのゲヒ殿のチャレンジの結晶とも言える織部焼や織部風建築の一切を破壊すると言う、なんともケツの穴の狭い破壊行為まで行っている。これだから頭の固い狸は嫌だねえ……。

関連事項[編集]

外部サイト[編集]

現代に生きるゲヒ殿イズムを継ぐ岐阜県のプロジェクト。