古木克明
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
(古木あーっと から転送)
「古木あーーーーっと!!!!!」
~ 古木克明 について、実況
~ 古木克明 について、実況
「自分のお庭ですよ!お願いしますよ!!」
~ 古木克明 について、解説をしていた斉藤明夫
~ 古木克明 について、解説をしていた斉藤明夫
古木 克明 (ふるき かつあき、1980年11月10日 - )は日本の野球選手。オリックス・バファローズ所属の外野手兼珍プレーヤーで、背番号は33(入団時は3)。いわゆる松坂世代のひとりであり、大洋(現横浜)とロッテには絶対入団したくなかった[1]が、1998年のドラフト会議では松坂の外れ1位指名となり、しぶしぶ大洋(現横浜)に入団している。打撃ではそこそこの評判はあるが、「ボールが見えない」「風の息づかいを感じられない」といった理由で守備は超珍プレーを記録することが多いため珍プレーの天才と呼ばれている。最近は出番も少なくやさぐれてベンチでタバコを吸うなど暴挙に出始めている。
目次 |
[編集] 珍プレー集
[編集] 球場での珍プレー
- 2003年はサードを主に守っていた。この年にシーズン記録(日本プロ野球記録)の珍プレーを20に更新した。その記録は誰にも破られていない。その中には後述する珍プレー「古木あーっと」が含まれている。
- 2004年には打球を見失い「ボールが見えない」と発言し2塁打にしてしまった。
- 2005年5月19日の横浜-オリックス戦において、村松が打った平凡なレフトフライをファウルフライと勘違いして三塁打にしてしまった。これも珍プレーとして記録される超絶守備である。この功績が称えられ後にオリックスに移籍する。
他にも自軍投手である吉見祐治のノーヒット・ノーランを積極的に阻止するなど、守備面で天才の本領を発揮している。
[編集] その他の珍プレー
- 2003年度のシーズン成績は『本塁打22本・打点37』(打率.208)という、主軸打者として恐ろしくアンバランスで萌える成績を収めることに成功。 2ちゃんスレッド【野球選手の萌える成績】の常連項目になる。
- 2003年オフには、あまりの守備の下手さをなんとかしようと、リズム感を養わせるために沖縄アクターズスクールにダンスレッスンに通わされた[2]。しかし効果は出ていないようだ。
- 2004年5月4日、古木が決勝ホームランを打ち、ヒーローインタビューを受け、「5月5日という子供の日に打てたのがすごいうれしいです。」と発言してしまった。当然ながら子供の日は翌日。そんなこともあってこれ以降、古木には日付を間違えるというキャラが定着する。
- 2005年にはトレード志願。しかしガソリンスタンドの店員に「横浜に残ってください。」と言われ横浜に残留するという優しさも持ち合わせている。
- 2006年正月、チームメイトで大先輩でもある石井啄朗あての年賀状に「石井豚朗」と宛名を書いた。
[編集] 古木あーっと
2003年7月5日、横浜—広島戦(横浜スタジアム)で起こった謎に満ちた珍プレーである。
7回表、サードを守っていた古木克明がゴロを取りファーストへ投げようとしたときに、何も無いところ[3]で派手に転び、1塁側のベンチ方面へと球が転がって行った。実況者が「古木あーーーーっと!!!!!」と実況したことからこの言葉が生まれた。解説者の斎藤明夫氏からは「自分のお庭ですよ!お願いしますよ!!」というお言葉をいただいた。
このハプニングが起こった後塁上のランナー石原慶幸がホームに突っこみアウトになって、その回はチェンジになる。そのため、失点に結びつかないエラーである意味ファインプレーであった。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ↑ トリビアの泉への投稿で「僕の夢はプロ野球選手になることです。でも大洋(現横浜)とロッテには絶対に行きたくありません」と卒業文集に書き込んだことが発覚し、古木は一躍全国的スターになった。
- ↑ リーグ最多失策の栄誉に輝いた報酬として球団の計らいによって実現した。
- ↑ ボールは見えないが「何か」が見えるのではないかという説も存在する。
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