参議

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参議(さんぎ)とは、大臣になれない微妙な人たちに充てがわれた官職である。

概要[編集]

大宝2年(702年)に大伴安麻呂粟田真人高向麻呂下毛野古麻呂小野毛野の5人を朝政に参議させたのが始まりとされる。但しこの時点では「参議させた」という記録があるのみで、参議という官職があったのではなかった。その後天平3年(731年)に正式に官職として設置され、地位としては中納言の下に置かれ、議政官では最下層とされた。定員は特に定められなかったが幕末まで8人前後置かれていた。なお、上述の5名はいずれも生涯を通じて大臣に達しておらず、この時点で既に参議=大臣になれない微妙な人たちであることが宿命付けられていたようである。[1]

その後、貴族たちが宮廷に引きこもっていては健康的でないという名目で、大同2年(807年)参議たちを観察使と名を変えて地方に下放したため参議は廃止された。しかし貴族たちは田舎の土臭さに耐えられず、雅な都が恋しくなり、数年もしない内に舞い戻ってきてしまったので弘仁元年(810年)、参議が復活した。

律令制が機能していた時代、親の身分がさほど高くない中級以下の官人が参議になるのには、特定の昇進ルートがあったらしいが、その内容は「5ヶ国の国司を歴任」などという非現実的なものであった。国司になるだけでも大変なのに、任期4年の国司を5カ国、つまり20年務めるというのは容易なことではなく、当時の平均寿命では死ぬまでに参議になれればマシ、といった程度でそれ以上の昇進など望むべくもなかった。こうして「参議にしかなれない家柄」というのが固定化していき、中世以降、公家の最下層として定着していった。

また、参議には官位相当の規定がなく(実質的には四位以上から補任された)、菅原道真はこれを問題視して参議の官位相当や考禄などを定めるべしと訴えたがスルーされ有耶無耶になった。その原因が大臣になれない微妙な人たちとして軽んじられていたせいであるのか否かは、定かではない。ただし菅原道真自身が参議を経て右大臣に至っている。

実際、平安時代の頃は、道真のように参議を経て大臣へと昇進する例も、さほど珍しくはなかった。しかし中世以降、公家の家格が固定化されると、大臣の一大供給源であった摂関家清華家といった上流堂上家は「参議を飛ばして中納言に進む」ことが慣例化された。その結果「参議を経て大臣に進む」家柄はその下の大臣家(その名に反し、かろうじて内大臣になれるかという家柄である)のみとなったが、大臣家は幕末の時点で3家しかなく(摂関家と清華家は計14家)、その上大臣への補任も摂関家や清華家が優先されたため、この頃から参議=大臣になれない微妙な人たちとしての立場がいよいよ鮮明になってきた。なお、「何年たっても大臣になれんぞふざけんな!」という意見に対応するため、「准大臣」なる「大臣じゃないけど大臣と同じ席に座らせてあげるよ許してね~」という待遇が作られて彼らの懐柔が図られたが、准大臣はあくまで待遇であって官職ではない。

なお、大臣になれない彼らであったが、参議は八省卿との兼任が多く、省のトップである八省卿が現在の大臣に相当するとすれば、むしろ大臣を独占していた権勢ある人たちという解釈も可能である。が、当時の八省卿の官位相当が四位と低いことや、議政官に含まれないことなどから、大臣相当とするのは無理があり、やはり参議は大臣になれない微妙な人たちと考えるのが妥当なようである。

ところで、摂関家や清華家同様、上述したような中世以降の家格固定化によって「参議にしかなれない[2]」(大臣はもちろん、大納言中納言にも滅多なことでは補任されない)最下層の堂上公家グループにもまた、名前が付けられることとなった。その名を半家という。けっして中途半端の半ではない。ここには、主にスポーツ選手や、音楽家、学者など一芸に秀でた人達が多く集まっていた。立場は微妙であったが、彼らは公家の社会をいっそう華やかで文化的なものとすることに大きく貢献していたと言える。しかし残念ながらどんなに頑張っても大臣にはなれなかった。

参議院の成立[編集]

その後、参議は1885年(明治18年)に廃止されたが、1947年(昭和22年)に復活した。この時、敗戦で軍隊や政財界の指導層などから転がり落ちた微妙な人たちを吸収したため、それまで8人前後だった定員が一挙に250人以上にまで膨れ上がり、彼らの集まりは「参議院」と呼ばれるまでになった。その後、参議廃止論が強まると多すぎる定員を削り始めたが、それでも240人以上もおり平安時代の8人には遠く及んでいない。一方、「大臣になれない微妙な人たち」[3]「スポーツ選手や学者などが多数補任」など旧来の参議の伝統を完全に受け継いでおり、まごうことなき参議の血を現代に伝えている。前述のように参議廃止論も取りだたされている現況であるが、歴史と伝統ある官職であること、そしてなにより参議を廃止すると大臣になれない微妙な人たちの受け皿がなくなってしまうことなどから、参議廃止論には根強い反対の声も存在し、参議は今後も当面の間、存在し続けるのではないかと考えられている。

最後に…、参議はあくまで微妙な人たちであって決して地位が低いわけではない、ということは断りを入れておきたい。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ もっとも、この頃はまだ左大臣内大臣は常設の官ではなく、待遇としての准大臣も存在していなかったため、大臣の地位は非常に狭き門となっていた。
  2. ^ 家柄によっては「参議にすらなれない」ことも…。
  3. ^ 近代では「参議院枠」なるものがあり参議院出身の大臣も存在するが、大多数は衆議院出身であり、やはり基本は大臣になれない微妙な人たちであることに変わりはない。