原子力安全・保安院

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原子力安全・保安院(げんしりょくあんぜん・ほあんいん)とは、鉄腕アトムへの信仰が守られているかを監視する、日本の団体。略称は核保安院(かくほあんいん)だが、核施設を運営する企業のエクストリーム・謝罪を援護している為に、不安院核不安院と揶揄されている。

概要[編集]

2001年、経済産業省と各電力会社が出資して設立。主な業務は、核施設を運営する企業(核発電所を持つ電力会社、JCOなどの核燃料再処理企業など)がエクストリーム・謝罪に出場した際に、円滑にパフォーマンスを行えるようサポートし、高得点をとるための具体的な助言を行なうことである。もう一つの業務は、鉄腕アトムなど原子炉で動く(=核で動く)ロボットへの拒絶運動を取り締まることである。保安院が支援した電力会社は、各年のエクストリーム・謝罪で優秀な成績を収めており、電力業界の「縁の下の力持ち」とも言われている。

なお、同社が核施設推進官庁である経済産業省の傘下に置かれているのは、核関連企業を客観的に監視することを不可能にして、国民に不安感を与え、エクストリーム・謝罪での高得点を挙げれるようにするためである。同社が不安院と揶揄されるのは、そのためであろう。

歴史[編集]

1999年、東海村にあるJCO核燃料加工施設で臨界事故が発生し、作業員2名が死亡、JCOから半径15km圏内の住民が一時退去を余儀なくされるという、前代未聞の事態となった。JCOは、1999年のエクストリーム・謝罪優勝を手にした。この事故を受けて、電力会社・原子力関連企業が円滑にエクストリーム・謝罪に出場できる環境を整備することが急務と考えられるようになり、その2年後の2001年、原子力安全・保安院が設立された。

2002年、東京電力が管轄する福島第一核電・福島第二核電の点検記録が改竄され、原子炉のヒビ割れを放置したまま運転している事が発覚し、同社がエクストリーム・謝罪に出場した。保安院は終始、東電のサポートを行ない、高得点を挙げるのに大きく貢献した。中でも秀逸だったのが、保安院に届いた内部告発を公表せず、あろうことか東電に告発者の氏名まで明かしてしまうという、衝撃的なパフォーマンスであろう。東電は一躍、この年のエクストリーム・謝罪優勝候補にまで上り詰めたが、この年は雪印という伝説的なプレーヤーが存在したため、惜しくも優勝には至らなかった。

2004年、関西電力が管轄する美浜核電で、配管から高圧蒸気が漏れだし、作業員5名が死亡する事故が発生。この配管は、核電が完成してから一度も点検されていないという、驚くべき事実も発覚。保安院は全国の発電所で緊急点検を行うよう指示を出し、案の定、同様の危険がある配管が多数見つかった。保安院のナイスアシストによって、エクストリーム・謝罪優勝候補に躍り出た関西電力であったが、NHKという予想外の強敵に阻まれ、またしても保安院の悲願は達成されなかった。

2005年以降、電力会社がエクストリーム・謝罪で高得点を挙げられない年が続き、原子力安全・保安院にとって冬の時代が訪れる。それについては2つの理由が考えられる。1点目は、他の謝罪プレーヤーの技術が向上したこと。2点目は、日本国民が核施設での事故や不祥事に慣れてしまい、余程のことが無い限り驚かなくなってしまったこと。2010年には高速増殖炉もんじゅでの装置落下事故が一時期注目を集めたが、結局あまり得点を挙げることは出来なかった。

そして2011年、原子力安全・保安院は長い眠りから目覚め、大きな飛躍を遂げた。3月11日に起こった宮城・茨城巨大地震では、震動と津波の影響により福島第一原発の原子炉数機が制御不能状態に陥った。その数時間後に発生したメルトダウンによって大量の放射能を撒き散らす、チェルノブイリ以来25年ぶりの核爆発が惹き起こされた。これにより、福島第一から20km圏内は二度と人が住むことのできない高濃度放射能汚染地帯となり、15万人以上の住民が「死ぬまで退去」を余儀なくされた。この事件におけるエクストリーム・謝罪での東電の獲得ポイントは天文学的数字となり、もはや優勝は確定だと言われている。その東電を支援してきたのが保安院だった。明らかにメルトダウンが起こっているのにメルトダウンじゃないと言い張った、国際的な事故レベルを小出しに上げて事故を小さく見せようとした、などの様々な疑惑によって東電のポイント獲得に大きく貢献した。また、全国各地で開かれる住民説明会で原発推進派の意見が出てくるように、保安院がやらせを指示していた事も発覚。この事実を、このタイミングで公表することによって、高得点を獲得するという高等テクニックを見せつけた。2005年以降の「冬の時代」にコツコツと積み上げてきた努力が、ようやくここに来て実を結ぶ形となった。

関連項目[編集]