南部煎餅

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喫茶店に置かれる一般的な南部サンド。450円~。

南部煎餅(なんぶせんべい)とは、南部地方に広く食べられている、北東北人のソウルフード。通はスタンダードな南部煎餅に盛岡冷麺または戸来ファームのダチョウ肉を挟み、上北農産加工のスタミナ源タレを付けて食す。

南部煎餅の歴史[編集]

戊辰戦争会戦の折、南部藩は新政府軍の侵攻に対し反撃の機を狙っていた。しかし南部藩は南部鉄器の製造によりが不足していたため、十分な手裏剣を用意することが出来なかった。そこで、南部領八戸藩の八戸南部氏は、やませによる飢饉用に大量に備蓄されていた小麦に目が付けられた。小麦に含まれるグルテンは加熱により硬度を持たせることが可能であり、また胡麻や落花生、錆びた釘などを配合することにより重量や破壊力、栄養価を調整できることから南部藩は直ちに量産体制に入り、南部煎餅を作るための大量の鋳型が用意された。

度重なる研究の結果、底面部は流体力学上の観点から凹面上にすることで、安定した飛距離とコントロールが与えられることが分かった。この原理は後にフライングディスクという遊戯に応用されている。試作品はヘブライ人の戸来村にて開発され、その威力はキリストの墓をなぎ倒したという。さらに試作2号機は南部煎餅を二枚重ね、間にニトログリセリンを挟むことによりさらに威力も増し、甘くておいしいと評判になった。

実践投入されるはずだった南部煎餅だが、裏切り者津軽に設計図と鋳型を盗難され、新政府軍の手に渡ってしまった。南部煎餅を投げつけながら侵攻してくる新政府軍に対し、同盟諸藩は涙ながらに煎餅をほおばることしか出来なかったという。今も靖国神社では、敗戦の遺恨から南部煎餅が投げ入れられる事件が起きている。

新政府軍に一時の脅威と勝利をもたらした南部煎餅は飛び道具の代名詞となった。後に桜田門組御用達の拳銃にニューナンブと名づけられているのも、自らの力ではたかが東北・北海道すら落とすことの出来ない無能さを自戒してのものである。

新渡戸稲造の祖父である新渡戸伝(にとべつとう)、ならびに父重次郎奥入瀬川からの灌漑用水路稲生川(いなおいがわ)の に着手。トンネルの開通のために多くの南部煎餅が投げつけられた。稲生川の川底には、今もなお南部煎餅のかけらが顔を覗かせている。 1931年チャールズ・リンドバーグによる太平洋単独無着陸横断空襲、いわゆる胸騒ぎのアフタースクール計画に対し、果敢な三沢市民は南部煎餅を手に海岸に防衛線を張り、一斉煎餅投擲により見事撃墜。ミス・ビードル号は海の藻屑と消え去った。この件から、南部煎餅は異国人にもフライング・ソーサーとして知られることとなった。

煎餅汁[編集]

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南部煎餅はそもそもの目的から、食べやすさよりも威力や飛距離を重視して作られるために、歯のない乳児や老人には不適であると考えられてきた。しかし先人の偉大なる知恵により、ふやかして食べるという画期的な調理法が発案された。材料は各家庭の庭に生えているごぼう、にんじん、そして各家庭の武器庫に余っている南部煎餅ととても安価であったため、北東北の太平洋側では広く主食として好まれている。 また、「豪華な食事とデザートを一緒に食べさせたい」という東北人のもてなし好きの気性から、煎餅とあわびと雲丹と苺を同時に煮た澄まし汁、「いちご煮」が生まれた。


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