十条

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十条(じゅうじょう)とは、東京北区の地名。JR最強線の十条駅とJR京浜東北線東十条駅が近接する地域である。ここでは十条駅と最強線沿線の地域について詳述する。

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最強線は最強[編集]

今をさかのぼること20年前、最強線は赤羽線と呼ばれ、池袋板橋十条赤羽の四駅を結ぶだけの東京北部のローカルな路線であり、マニアのみが知るといった地味で目立たない存在であった。しかしそれが赤羽以北の延伸に伴って大宮までつながり、一方では新宿渋谷恵比寿と東京西部の繁華街と結ばれることになり、一躍交通の大動脈となったのである。

特に、東京に恋焦がれるさいたま県民の流出は凄まじく、新天地を目指すゲルマン民族の大移動を髣髴とさせるものであった。それこそ追い立てられるように飛び乗った埼玉県民は、窒息するかのように車両を埋め尽くした。そればかりでなく、手足がはみ出たまま自動ドアが半開きでも発車せざるを得ず、あきらめられない者はスパイダーマンのように電車の屋根に飛び乗ったり、ガラスを割って運転室まで攻め込む勢いであった。埼京線の混雑率は通常時の400%を常時上回り、たい焼きがつぶれてアンコがはみ出るように、内臓が・・・・した乗客も少なからずいたらしい。

しかも「痴漢電車最強線」の異名もあるように、この万年すし詰め電車では、この電車の風物詩のように「痴漢」が発生する。ごったがえす電車にもめげずやって来る痴漢さんたちは、手を変え、品を変え、新しい技の開発にいそしんでいるらしい。しかもこの混雑振りである。勇気ある告発者が「この人痴漢です!」と言おうとしても、電車内の酸欠状態でその台詞を吐くことはおろか、身動きしたり、呼吸をすることさえ困難なのである。JR当局もこの件には頭を悩まし、「女性専用車両」などの設置で対抗しようとするものの、「女性専用車両」にいた女性が全員「痴女」だったというケースが報告されたり、「女性専用車両」の徹底でホモの痴漢が通常車両で激増した、などの報告が相次いでいる。まさに「人を見たら痴漢と思え」という標語そのままの世界が展開されている。

こうした埼京線の生き馬の目を抜くような状況にもかかわらず、十条駅界隈は今も昔も変わらない。都内最大級の商店街「十条銀座」は「砂町銀座」「荏原銀座」とならぶ東京三大銀座であるが、この商店街の人懐っこい商店街のおじちゃんおばちゃんは、どんな人間であれ、温かく迎え入れてくれる。東京とさいたまの間にあってごったがえす人々が一度は通る街、殺伐とした埼京線での通勤・通学のつらさに耐えかねた人々が降りたつ街、それが十条なのである。

帝京帝国[編集]

その一方で、この街は帝京大学グループの支配する街でもある。帝京大学関係者には、VISAカードやJCBカードがあるように、十条界隈のみ用いられる「帝京カード」があり、十条銀座では最大50%の割引をしてくれることで知られている。特に帝京大学の創業家・冲永荘一とその一族は、十条銀座で最大90%の割引をしてくれる「帝京ゴールデンカード」を持っているといわれるが、そのカードを見たものはいないようである。

なにしろ帝京大学がラグビーで勝ち進んだり、付属の帝京高校甲子園に出場し優勝したりすれば、十条銀座やその周辺の商店街が、待っていたとばかりに帝京関係者を担いで、リオのカーニバル並みの盛大なパレードをするくらい、この街と帝京グループの関係は密接である。それこそパレードの通る道では多くの人々が、帝京の校章にひたいをこすりつけて跪き、手を合わせて涙ぐむといった光景が見られる。パレードのオープン・カーに乗った優勝者たちはこうした人々に祝福として、甲子園や花園ラグビー場の土を雨あられのように振りまくことで知られている。

もちろん優勝旗には「提供 十条銀座」のロゴがつけられ、「新鮮で安い○○商店」「薄利多売」「もってけドロボー」の旗が優勝旗に並んでいることは珍しくない。こうしたパレードでの収益金は商店街の年収の50%に相当するといい、帝京大学関係者よりも十条銀座商店街の関係者の方が熱心だとも言われている。そのため帝京高校野球部が甲子園に行けずボロ負けなどしたりすると、野球部員は怒り狂った商店街関係者に見つかるや、石を投げつけられ、もみくちゃにされ、血祭りにされるらしい。

十条の街に血の雨が降る[編集]

そう言えば、この街は何かと「血」と関係がある。 1971年の開学以来、帝京大学の中心となったのは医学部であり、隣接する病院は大学の評判が上がるにつれ、多くの患者がこの病院を訪れるようになってきた。ともかく大繁盛でひっきりなしに患者が連れて来られるので、手術後も血を拭く暇がなく、いきおい血の香りが充満することになった。「出血大サービスの大病院」とはライバルの病院が誹謗して言った台詞である。

こうした血の処理をめぐって、血液の専門医の充実が求められた。そこで登場したのが安部英教授である。血友病の世界的権威である彼は、後にこの大学の副学長まで上り詰めることになるが、その血色のよさ、パワー、エネルギー、したたかさ、どれをとっても常人ならざるものがあり、櫻井よしこ女史のねちっこい執拗なインタヴュー攻勢を受けたときにも、80歳をとうに超えているのに、ぶんぶんステッキを振り回して元気に大立ち回りをしたことで知られている。こんな彼を見て、あの気の毒な川田龍平は「元気な爺さんですね。噛み付いてやりたいですね。」と言ったとか、言わなかったとか。

それはさておき、大学のみならず帝京高校にも血の気の多い若人が沢山いる。特に1980年代とんねるずが、自分の母校帝京高校を、あれやこれやラジオ・テレビ番組などで紹介したことから、その知名度は爆発的なものになり、一気に志願者は倍増したといわれている。ともかく帝京高校の誇る伝統的な「侠気(おとこぎ)」は、とんねるずの紹介以前から、校風として存在しており、偏差値やIQにこだわるヤワな高校では考えられないほどの、支持を得ているのである。そもそも1970年代には、「偉大なる将軍様」のお写真をお飾りになるある学校の生徒と帝京高校の生徒との間で何度となく、十条駅やその周辺の十条界隈を血で染める抗争があったという。それこそ十条の街は真っ赤な血で染まったと。この件についてはあまり事情は詳らかに書くことができません。さらに調べたい物好きな人は他の辞典にでも当たってください。何卒お察しください

関連項目[編集]