十二国記

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「十二国記」の項目を執筆しています。

十二国記(じゅうにこくき)は、小野不由美が制作したが、現在は広げかけのまま放置されている風呂敷

概要[編集]

風呂敷の全体図。ただし、左下の辺りは実際にはまだほとんど広げられていない。

この風呂敷は、1991年に発表された小説『魔性の子』で存在が示唆され、翌1992年に発表された『月の影 影の海』において初めてその実態の一部が明らかにされた。

風呂敷ではあるが、物を包むという実用性はなく、見て楽しむ娯楽用風呂敷の一種である。その模様は主に小説で描かれているほか、アニメにより描かれたこともあるが、どちらも現在のところ中途半端に広げられたままの状態で放置されており、それ以上は広げられる様子も畳まれる様子もうかがえない。

風呂敷の絵柄を描いた山田章博によるイラスト集やカレンダーが発売されたり、2012年には風呂敷の置き場が講談社X文庫から新潮文庫に移動されたりしたが、いずれも風呂敷そのものを広げたり畳んだりする作業とは関係がない。

この風呂敷が今後いつ広げられ、もしくは畳まれるかについての見通しはたっておらず、すべては小野不由美の気分次第である。

シリーズ作品[編集]

風呂敷の模様を描いた小説シリーズ書籍は次のとおり。

Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

月の影 影の海[編集]

1992年発表。『魔性の子』で存在が示唆されていた風呂敷の姿が初めて描かれた作品。風呂敷の右側にあたる「慶国」「巧国」「延国」の様子が描かれた。

風の海 迷宮の岸[編集]

1993年発表。この作品によって『魔性の子』の「タイキ」が「泰麒」であったことが明らかとなり、いよいよこれから風呂敷が大きく広げられるであろうと期待された。

東の海神 西の滄海[編集]

1994年発表。ほぼ「延国」についてのみ描かれており、風呂敷をそれほど広げるものではなかったが、風呂敷の仕組みをよく明らかにするものであった。

風の万里 黎明の空[編集]

1994年発表。「慶国」の様子を中心として描いた作品ではあるが、それまでまったく描かれていなかった「才国」「芳国」「恭国」の姿が描かれており、この作品によって風呂敷のサイズが次第に明らかになった。このころまではいいペースで書いていたのに・・・。

図南の翼[編集]

1996年発表。おじさんをいたぶる幼女の活躍が描かれていることから、一部のマニアからは「俺も供麒になりたい」との声があがっているが、そんな奴に麒麟の資格がないことは言うまでもない。作者自身は「番外編」としているが、風呂敷の左上にあたる「恭国」から中央の「黄海」と呼ばれる部分にかけての様子が詳細に描かれており、特に中央部分についてはそれまでほとんど明らかでなかったため、風呂敷を大きく広げたものとして位置づけることができる。

黄昏の岸 暁の天[編集]

2001年発表。風呂敷の中心部を詳しく広げた作品ではあったが、風呂敷の中の人物が風呂敷の存在に疑問を呈するという禁則事項に足を踏み入れてしまった。このあと風呂敷を広げる作業がまったく進まなくなったのはそのためではないかと考えられている

華胥の幽夢[編集]

2001年発表。随所で発表されていた小編を一冊にまとめたものであり、風呂敷をさらに広げたというよりも、風呂敷の隅に刺繍を施したような作品。

丕緒の鳥[編集]

2013年発表。『華胥の幽夢』と同様に小編をまとめたもので、やはり風呂敷の隅っこに刺繍をしただけであった。前著から12年の時を経てようやく発表されたものだっただけに、もはや風呂敷は畳まれないのかではないかとの絶望的観測が広まることになった。

類似する風呂敷の例[編集]

ラリー・ニーヴンが1960年代に広げ始めたが、1970年代半ばから2000年代に至るまで長期にわたって放置されていた風呂敷。ただし、この風呂敷は2004年に発表されたリングワールドの子供たちによって畳まれたものと見なされている。
世界観や紋章の謎について広げつつあった風呂敷を突如放棄して、別の風呂敷を広げ始めるという暴挙に出た作品。なお、幻想水滸伝IIIに出てくる風呂敷犬は関係ない。

関連項目[編集]