北海学園大学

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キャンパスの風景

北海学園大学(ほっかいがくえんだいがく、自称:北の早稲田大学)は、小さなクマさんが作り出した大学である。地下鉄東豊線学園前駅上にあるので、学園前駅上大学とも言われている。

沿革[編集]

廊下を占領するクマさんたち。ん? ヒヨコがいないか?

もともと広大な原野であった石狩平野に「光あれ。」と言う声と共に、どこからともなく無数のクマさんが集まり3日で作りあげられた。人間が通う大学となるはずだったが、校舎を気に入ったクマさんたちに占領され、クマさん大学となった。

主な学部[編集]

クマさんばかりなので、畜産・水産・養蜂学科が特に人気であり、またその活動内容も多岐にわたる。ただし獣医学科は、クマさんがお互いに注射をうちあうのがイヤだったため、1996年度に廃止された。

一方、2003年度、ついうっかり、青森産の知恵の実を食べてしまったことからクマさん達の学術意欲が向上。数学及び物理方面に関して、著しい発展をとげる。特に17世紀以降の美術数学界では、最大の難問といわれている「フェルメールの最終定理」の研究では最先端を走っていると評判も高く、その解明に世界中が注目している。

派閥争い[編集]

1学年は「ひぐま組」「しろくま組」「つきのわ組」で構成され、初めの頃はみんなで仲良く学業に勤しんでいたクマさん達だったが、やがて給食ハチミツの分配をめぐりクラス間に軋轢が生まれ、争いへと発展。学園内はヒグマ派、シロクマ派、ツキノワグマ派の3派閥に分かれ、血を血で洗う激烈な闘争が始まった。

五稜郭を攻めるヒグマ派

最大勢力を誇るヒグマ派は「シャケ弁半額セール」によって、学生のみならず職員の支持を取り付け、これにより支持基盤を失ったツキノワグマ派が本州へと撤退。このまま二大勢力の争いへと移行するかと思いきや、ここでヒグマ派が休戦を申し入れる。正面からの総力戦により致命的な損失を負う事を恐れたシロクマ派はこれに合意し、北海学園大学は仮初めとはいえ平和を取り戻したかのように思えた。

しかし、まもなく地球温暖化の影響によりシロクマ派が弱体化。これを狙い澄ましたかのように、ヒグマ派は一方的に休戦条約を破棄。スズメバチの投入による大規模な奇襲作戦によりシロクマ派の一掃に成功する。最後の戦略拠点である五稜郭を陥とされたシロクマ派は、ノシャップ岬の戦闘を最後に北海道から撤退、樺太を経由して北極圏に逃亡した。

本州にて勢力を回復中だったツキノワグマ派には、まだ反撃に出るだけの力はなく、これにより北海学園大学及びハチミツと鮭の利権は全てヒグマ派の支配下におかれることになった。

新興勢力の台頭[編集]

その後、ヒグマ派は、クマ牧場、クマ公園、旭川動物園などの施設を相次いで開設する一方で、中国における大熊猫派との交流により国際化を強調するなど、その体制は盤石化していくものと思われた。

学長に就任し勝利宣言を行うヒグマ派代表

しかし、2001年、本州でかつてのツキノワグマ派を吸収し勢力を拡大したリラックマ派が北海道に上陸。学園本来の理念である「小さなクマさんのたのしい毎日」の復活をスローガンに掲げ、学園の支配に乗り出してくる。当時、ヒグマ派は観光客の減少に加え、乱獲で漁獲量が減った鮭の分配問題で内紛状態にあり、リラックマ派に対して本来の力を発揮する事ができず、その上陸を許してしまう。

橋頭堡を確保したリラックマ派は、その後コンビニとの同盟を締結。これによりコンビニ利用の学生、特に女性のハートをがっしりと掴み、道内全体に勢力を広げることに成功。この勢いに恐れをなしたヒグマ派は、急ぎ内紛を一時棚上げにし、分割統治を申し出るものの、リラックマ派はこれを拒絶。だが、棚上げとはいえ内紛が治まったヒグマ派は、学園内の主要学科及び施設を確保する。専守防衛策を採るヒグマ派に対して、リラックマ派も攻勢に出る決定打が無く、両者の戦いは降着状態に陥っている。

その後のシロクマ派[編集]

北極圏へと逃亡したシロクマ派だが、その後、北極にも温暖化の影響が及んだ為、勢力の回復どころか現状の維持さえも困難な状態に陥っている。リラックマ派の台頭に便乗して反撃に出るという予想もあったが、偵察に出たシロクマが乗ってきた流氷が溶けてしまい帰れなくなってしまったことで、完全にタイミングを逃すという失態を犯してしまい、ますますジリ貧状態に追い込まれている。このため、このままカナダアラスカを勢力範囲とするハイイログマ派に取り込まれるのではないかという声もあがっている。

関連項目[編集]

Wikipedia
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