北樺太

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北樺太(きたからふと)は、地球上では極めて珍しい存在である渡り島の一種である。大日本帝国海軍サハリンプロジェクトによって建造した樺太級航空母艦の二番艦でもある。

計画段階ではサハリン2のコードネームで呼ばれていたが、建造時に日本列島北端樺太の北に位置していたため北樺太と名付けられた。樺太が改名される際「北北海道」にされていたら、北樺太は「北北北海道」とされていた事であろう。

第二次世界大戦のどさくさにまぎれて露西亜に乗っ取られ、一方的にソヴィエツキー・サハリンと改名された。現在では日本のマスコミを中心にソ連に配慮して北樺太とは呼ばず、専らこの名称を用いている。

千島列島と交換で日本の領土になったはず。あれ?北樺太と交換で千島列島が日本の領土になったんだっけ?」との説もあるが、これはロシアの陰謀によって流布された物である。「南極文書625」には、樺太と共に日本固有の領土であり、神代の昔からずっと日本の領土で過去現在未来絶対に中国やソ連やロシアの領土になったことなどない土地であると明記されている。

概要[編集]

大日本帝国海軍は樺太での経験を生かし、ソヴィエツキー・サハリンを当初からアングルドデッキを持つ空母として建造した。北樺太建造後、第二次世界大戦が勃発したためサハリンプロジェクトは中断された。

現在はソ連崩壊後の資金不足により、交通・通信・指揮系統が届かず、オホーツク海上に繋留されたまま放置されている。このため、ネットウヨの一部が日本への返還をしつこく要求している。このような動きに対しアジア各国日本の右傾化を懸念する声が広がっている。

現在はオホーツク海上に繋留されているためユーラシア大陸との間を徒歩で移動することが可能である。この間宮海峡は日本の間宮林蔵が発見したものであり、日本固有の領海であるとしてもなんら不自然なことはない

重要な地域[編集]

第二新豊原市にはブリッジが置かれており、北樺太の中心であったが、ここを占拠したソ連は勝手にЮжно-Сахалинскと呼んでいる。

艦尾の中心都市である奥端市おは)の地下には、ロシア国内最大級の油田をも凌駕する大油田が存在するが、このことはロシアの最重要国家機密である。この秘密から目を逸らすため、ロシア当局はオホーツク海の海底油田の開発を大きく取り上げている。これに対し日本側は、火葬戦記や2ちゃんねるの書き込みを通じて絶えずこの秘密を世界中に広めようとしており、ロシアを悩ませている。市の中心はおはよう広場であり、黄金の香取伸吾像が立てられているが、ロシア側はこれをスターリンの像であると主張している。

奥端の語源はアイヌ語で「廃村」の意味であるが、このことはこの艦が建造される遙か以前である神代の昔から紛れもなく日本人である アイヌ民族の居住地域であった事実の証拠である。これはまた樺太は最先端に至るまで日本固有の領土である事実の証拠でもある。これは世界各地のチャネラーによって受信されている電波によっても裏付けられた真実である。

右舷中央にある第二新落石市には、亜歴山泥伏久佐播野スキー場が建設され共産党幹部専用のリゾート地として開発されている。