北川博敏

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北川 博敏(きたがわ ひろとし)は、アンパンマンプロ野球界での活動時に名乗っている、オリックス・バファローズでの登録名である。

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概要[編集]

かつて「愛」と「祐樹」だけしか友達がいなかったアンパンマンは日夜友達を探して町をうろついていたが、ある時、街頭テレビで職業野球をやっているのを見て、「スポーツ選手として活動すれば、露出も多くなり友達が増える」と思い、1994年、阪神タイガースに入団する。その他のスポーツにも挑戦しているようだが、そのあたりは他の人に任せます

なお、スポーツ活動は本来のばいきんまんとの戦いの片手間でやっており、ばいきんまんとの戦いによる疲労や負傷などで潜在的な戦闘能力、身体能力の半分も出していないことが生涯成績から読み取れる。

野球人としての評価[編集]

ここでは、アンパンマンの野球人としての各時期の評価を順に挙げてゆく。

阪神タイガース時代[編集]

1994年に捕手として阪神に入団し、フレッシュオールスターMVPを取るなど、さすがアンパンマン!と思わせた。しかし、当時、捕手には関川や矢野などのライバルがおり、さらに海に近い地理で浜風がこたえるのか、謎のカビが顔に発生することがままあった。このため、プレーに集中できず、なかなか一軍では結果を残すことができなかった。しかも、2000年に当時「カツノリを使わないと死んじゃう病」に絶賛罹患中の某ツンデレ監督の息子が入ってきて、ますますいらない子になってしまい、とうとう大阪近鉄バファローズに追い出されてしまう。

だが、ここからが本番だ…

大阪近鉄バファローズ時代[編集]

近鉄バファローズに移籍後、ひょんなことから「イイ男」・梨田昌孝に認められたアンパンマンの逆襲撃がついに始まる。2001年4月、ついにプロ初アンパンチをぶちかますことに成功。さらに5月にはサヨナラヒットを放ち、阪神時代が嘘のような活躍を見せる。やはり、本拠地が大阪ドームということもあって、浜風が原因と思われるカビがすっきり収まったのが大きかったのだろう。

そして後述するミラクルアンパンチにより、アンパンマンは大阪近鉄バファローズにリーグ優勝をもたらすという偉業を達成。ばいきんまんも「さすが我がライバル」と自分のことのように誇り、世界中の人々が某テロ事件に落ち込む中、アジアの奇跡として各国が賛辞を送った。が、フロントが日本人的わびさびを発揮して優勝パレードを中止にしちゃってガッカリorz。

その後、ばいきんまんとの激闘を重ねつつ、負傷を押しながらもバファローズの中心選手として4番まで張っちゃったアンパンマンだったが、球団の親会社が三木谷堀江のどっちか経営代わってと言ったばかりに、東北楽天ゴールデンイーグルスオリックス・バファローズのどっちに移るか悩むことになるが、勤務地があんまり変わると顔のことでちょっとなあみたいな話が出てきちゃうのでオリックス・バファローズに行った。

オリックス・バファローズ時代[編集]

でも、スカイマークスタジアムって甲子園からそんなに遠くないから、またちょっとカビが生えてきて成績が下がる。それでもばいきんまんとの戦いで、さすがに野球をしてられない怪我をするまではチームトップの打点をあげるなど、やはりアンパンマンはすごいという所を見せている。

今年もサヨナラヒットを数本放つなど、そのミラクルぶりは健在である。 ただこないだアキレス腱をプッツンしちゃって2011年シーズンはお休みとなりました。

運命の9・26、ミラクルアンパンチ[編集]

  • 2001年9月11日、世界の人々が震撼する出来事が起こった。旅客機2機がニューヨーク世界貿易センタービルツインタワーに衝突し、ビルが倒壊した。「人間の想像できることは、すべて実現可能である」という言葉が真実であることを人類は知った。
  • そして、約2週間後、大阪ドームでの近鉄-オリックス戦。この試合で勝てば近鉄は優勝という一戦だった。3点リードされた9回裏、近鉄は吉岡雄二・川口憲史の連打と代打・益田大介の四球で無死満塁のチャンスを作る。
  • ここで古久保健二の代打として登場したアンパンマンは、怒りに打ち震えていた。あのテロ事件のせいで、自分の友達になってくれるかもしれない人がたくさん死んだのだ。自分のライバルのばいきんまんはかびるんるん等の大量破壊兵器の使用はするが、国連に怒られて以降は使っていない。なぜなら、己の信念を持って戦う革命家であるからだ。「拳闘は、拳で戦うから拳闘なのだ」という言葉の真意が分かる男である。彼と長らく死闘を繰り返すアンパンマンは、それを知っているのだ。だから、あのようなテロなどで「人間の想像できることは、すべて実現可能である」ということが証明されたのは屈辱であった。ならば、自分はこの日、この瞬間に漫画でしか起こらないことを現実に起こしてポジティブサイドからこの言葉を証明してやろう。そう思ってバッターボックスに入ったという。
  • そしてオリックスのストッパー・大久保勝信が4球目に投げた真ん中低めのスライダーに、世界中の人々の思いを後押しにその黄金に輝く右手で万感の思いを込めて全力のアンパンチを放った。ボールは大阪ドームの屋根を突き破り、成層圏を突き抜け、宇宙で爆散。その欠片の燃え尽きる様はまるでテロの被害者に対する、いや、世界中の不幸への涙のように千代崎の空に輝いた。
  • このミラクルアンパンチにより、史上初の代打逆転サヨナラ満塁お釣り無し優勝決定ホームランが現実のものとなった。これは、日本の野球、いや、世界の野球を見ても、漫画や小説、映画などの仮想世界の野球でしか達成されていなかった記録である。倖田來未ですら、エロカッコカワイイが限界なのだ。これを超えるには、万年Aクラスはおろか最下位脱出すらおぼつかない弱小チームが、球団消滅が決まった最後の年に、ゲーム差なしの同率一位同士の直接対決による最終戦で、代打の代打で、逆転サヨナラ満塁お釣り無し世界一決定ランニングホームランを、ストライキ回避のために会議に出席して駆けつけた先日最愛の妻と子どもと母を亡くしたばかりの、記憶喪失のメガネの投手が打ちそのまま息絶えるしかないという、まさに前人未到の大偉業なのである。
  • なお、この当時のオリックスの監督の仰木彬は、このホームランがどう見てもバットに当てずにパンチで打っているためデッドボールではないかと思ったが、多分気のせいだと思った

ミラクルアンパンチがもたらしたもの[編集]

しかし、このミラクルアンパンチは一時的に世界の人々に勇気を与えたものの、テロによる人々の悲しみを払拭するには至らなかった。近鉄フロントは「いっぱい人が死んだのに、野球如きでちょっと優勝したからってへらへら喜んでたら叩かれる!」とリーグ優勝のパレードの中止を決定。このため、アンパンマンのミラクルパンチはこの年限りでメディアが積極的に取り上げることはなくなった。ユーモアに欠けると言われるのを覚悟で書くが、これは人類にとって大変不幸なことではないかと思う。スポーツによるテロリズムへの反逆が、不可能であることを認めてしまったのだ。だから語り継ごう。あの日、アンパンマンはすごいことをやったのだと。世界の暴力に反逆したのだと。

アンパンマンの戦いはまだまだこれからだ!!

ちなみに、ミラクルアンパンチの査定は十万円であった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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