劉邦
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劉邦(りゅうほう、紀元前256年または紀元前247年 - 紀元前195年、在位紀元前206年 - 紀元前195年)は漢の初代皇帝であり、劉氏真理教の開祖であり、チンピラの神である。また洪武帝、毛沢東同志への先駆けとなった検閲により削除でもあった。
目次 |
[編集] 劉邦の生涯
沛の町の中産階級の息子で酔っ払いチンピラでようするに検閲により削除あったが、決してニートやひきこもりであったわけではない。むしろそっちよりたちが悪かったかもしれない。 取り巻きに煽てられ、本人がよくわからないうちに沛公となり、漢王となり、漢王朝を開いた。
[編集] 中国政府の劉邦の見解
人民の苦しみをよく知る劉邦は共産主義に目覚め生贄の血で赤旗をつくり革命運動に参加した。陳勝、呉広の人民革命に参加し頭角を現し。ブルジョワ出身の項羽を破り、社会主義の正しさを証明した。 こうして劉邦は漢の初代皇帝になるが、漢は「火徳の王朝」でありイメージカラーはいうまでもなく「赤」である。 このため漢王朝は世界で最初の共産主義国家ではないかといわれる。 劉邦は、偉大なる指導者であった毛沢東同志に比べると地主階級に対する処分が非常に甘かった、さらに朱元璋のように資本主義に毒された部下を処分するようなこともあまりせず、人民の教化にも無関心であった、このことは劉邦が毛沢東同志や洪武帝に比べ社会主義者として二流だったことを示すものである。また彼は項羽と戦って100戦中99敗であり、最後の1勝もほとんど韓信のおかげというほどの戦ベタであった[1][2]、これは生涯無敗であった毛沢東同志との器の違いを表している一例だろう。
[編集] 打倒項羽を掲げたときの劉邦
vs秦が終わった後、項羽が褒美を皆に分け与えたとき、項羽を出し抜いたという功績を項羽に評価されずに西に追いやられてしまった劉邦はこう叫んだという。 「何苦楚!!」(くっそぉ楚なんてやっつけてやる) そして劉邦は同じく項羽に怒りを覚えていた部下に協力する形で項羽に立ち向かったが、その戦いでコテンパンにされたのは言うまでもない。 だが、その怒りを持ち続けた結果、項羽を打ち破り、漢を立てたのだ。 彼は「信じる者は救われる」を見事に実践したのである。
[編集] 劉氏真理教
劉邦は世界宗教、劉氏真理教の開祖である。劉氏真理教とは劉氏および漢王朝を唯一絶対の正義として崇拝するカルト宗教である。東アジアを中心にその信者数1,000万人はいると考えられている。諸葛亮孔明、羅貫中、吉川英治などが著名な信者であるが、現在の日本にも相当数の信者が潜伏していると思われる。
[編集] 劉邦に関する書籍、ゲーム
- 漫画「項羽と劉邦」⇒「めんどくさかったら読まなくてもよいのです」作者
- 小説「項羽と劉邦」⇒オタク向けの萌え本、ヒロインの張良が大人気
- 肥三国志⇒いにしえ武将として登場。完全に二流武将の能力値である。
[編集] 劉邦の熱狂的ファン
劉邦はとにかく人気者である、同じ成り上がり者でもまったく人気の無いS氏とは対照的である。以下はそんな劉邦に魅せられた漢たちのほんの一部。
- 夏侯嬰 (劉邦にほれ込む真性ホモだったが、劉邦に諭され嫁をとり子孫を残す。劉邦大好きの彼の子孫は漢室を大いに支えたという。)
- 司馬遷
- 石勒 (劉邦にぞっこん。結婚したいくらい好きだったらしい。なお、孤児や寡婦を欺いて天下を盗んだ男は大嫌い)
- S氏(劉邦が大好きで真似していたらいつのまにか皇帝になった。)
- 司馬遼太郎
- シブサワコウ
- おじゃる丸(末裔)


