劉邦

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偉大なる党総書記、習近平大人は見ている
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さすが、大任侠な劉邦大親分…

劉邦(りゅうほう Liú bāng、紀元前256年または紀元前247年 - 紀元前195年、在位紀元前206年 - 紀元前195年)はの初代皇帝であり、劉氏真理教の開祖であり、チンピラのである。また洪武帝毛沢東同志への先駆けとなった検閲により削除でもあった。廟号は太祖、帝号は高帝(略して「高祖」)。元の名は「劉幇」(推薦者:司馬遼太郎)、字は季。

劉邦の生涯[編集]

沛の町の中産階級(豪農)の父・劉煓または劉煜(字は執嘉/後の漢太公)と母・王含始との間の末の息子。長兄は羹頡武哀王・劉伯(名は未詳)、次兄は代頃王(郃陽侯)・劉喜(字は仲)、いとこは荊悼王・劉賈と楚元王・劉交(字は游、定説では劉邦の弟とされるが、張澍林国賛はこれを否定している)兄弟、はとこ(またいとこ)の燕敬王・劉澤らである。

若いころから、酔っ払いのチンピラで要するに検閲により削除あったが、決してニートひきこもりであったわけではない。むしろそっちよりたちが悪く、女が2人いて女に働かせた上に親にたかり、自分は遊んで暮らすという、どう考えても人間終了しちゃってたりする。

でも、蕭何曹参ら取り巻きに煽てられ、本人がよくわからないうちに沛公となり、漢王となり、しまいに皇帝となり漢王朝を開いた。

中国政府の劉邦の見解[編集]

人民の苦しみをよく知る劉邦は共産主義に目覚め生贄の血で赤旗をつくり革命運動に参加した。陳勝、呉広の人民革命に参加し頭角を現し。修羅の国から出てきた覇王ラオウを破り、社会主義の正しさを証明した。 こうして劉邦は漢の初代皇帝になるが、漢は「火徳の王朝」でありイメージカラーはいうまでもなく「赤」である。 このため漢王朝は世界で最初の共産主義国家ではないかといわれる。 劉邦は、偉大なる指導者であった毛沢東同志に比べると地主階級に対する処分が非常に甘かった、さらに朱元璋のように資本主義に毒された部下を処分するようなこともあまりせず、人民の教化にも無関心であった、このことは劉邦が毛沢東同志や洪武帝に比べ社会主義者として二流だったことを示すものである。また彼は項羽と戦って100戦中99敗であり、最後の1勝もほとんど韓信張良陳平らのおかげというほどの戦ベタであった[1][2][3]、これは生涯無敗であった毛沢東同志との器の違いを表している一例だろう。

打倒項羽を掲げたときの劉邦[編集]

vs秦が終わった後、項羽が褒美を皆に分け与えたとき、項羽を出し抜いたという功績を項羽に評価されずに西に追いやられてしまった劉邦はこう叫んだという。 「何苦楚!!」(くっそぉ楚なんてやっつけてやる) そして劉邦は同じく項羽に怒りを覚えていた部下に協力する形で項羽に立ち向かったが、その戦いでコテンパンにされたのは言うまでもない。 だが、その怒りを持ち続けた結果、項羽を打ち破り、漢を立てたのだ。 彼は「信じる者は救われる」を見事に実践したのである。

劉氏真理教[編集]

劉邦は世界宗教、劉氏真理教の開祖である。劉氏真理教とは劉氏および漢王朝を唯一絶対の正義として崇拝するカルト宗教である。東アジアを中心にその信者数1,000万人はいると考えられている。諸葛孔明羅貫中(羅本)、吉川英治などが著名な信者であるが、現在の日本にも相当数の信者が潜伏していると思われる。

そして悪しき前例に・・・[編集]

上で述べた通り、劉邦は自分では何もせず、他人をうまく使う事によって国を作った。この君主像が後の中国で模範的な名君のあり方とされてしまったために、中国人の精神面に多大な悪影響を与えることになってしまった。

すなわち、自分は何も努力せず、何か特技をもった他人を見つけてうまく%%騙して%%働かせて利益を得る、というやり方が、中国人の中での「賢いやり方」のスタンダードになってしまったのだ。

現在の中国の「他国の商品をパクってそのコピー品を作る」という方法論も、元はといえば劉邦の前例にならったものなのである。

劉邦に関する書籍、ゲーム[編集]

  • 漫画「項羽と劉邦」⇒「めんどくさかったら読まなくてもよいのです」作者
  • 小説「項羽と劉邦」⇒オタク向けの萌え本、ヒロインの張良が大人気
  • 肥三国志⇒いにしえ武将として登場。完全に二流武将の能力値である。

劉邦の熱狂的ファン[編集]

劉邦はとにかく人気者である、同じ成り上がり者でもまったく人気の無いS氏とは対照的である。以下はそんな劉邦に魅せられた漢たちのほんの一部。

  • 蕭何 (幼馴染で内政の神。「もう劉邦はいつも適当なんだから。私がしっかりしないと」)
  • 張良 (病弱知的な戦略の神。「劉邦さんだけは私の話を聞いてくれた…」 でも実は必ず復讐するヒト)
  • 陳平 (誤解されやすい策謀の神。「劉邦くんは私に任せてくれた。だから、私も」)
  • 夏侯嬰 (劉邦にほれ込む真性ホモだったが、劉邦に諭され嫁をとり子孫を残す。劉邦大好きの彼の子孫は漢室を大いに支えたという)
  • 曹参 (夏侯嬰に同じく、劉邦大好きの彼の家系は漢室を大いに支えた)
  • 司馬遷 (彼が詳細な史書を残さなければ、劉邦が皇帝の理想形となることもなかった)
  • 班固
  • 石勒 (劉邦にぞっこん。結婚したいくらい好きだったらしい。なお、孤児や寡婦を欺いて天下を盗んだ男は大嫌い!)
  • S氏(劉邦が大好きで真似していたらいつのまにか皇帝になった。)
  • 太祖
  • 司馬遼太郎
  • 陳舜臣
  • 毛沢東(「そうだ、劉邦、しよう」で国民党を駆逐し共産主義革命を成し遂げた。成し遂げた後の皇后とかその後の忠臣とかまで同じ)
  • 横山光輝
  • シブサワコウ
  • おじゃる丸(末裔)
  • スクライド(劉邦の子孫、劉大蓮とその息子の劉鳳が出るお話)

子孫[編集]

劉氏はとにかく繁殖力が凄く、凄まじい数の子孫がいる。以下はほんの一例。

  • 劉縯:斉武王
  • 劉秀:世祖光武帝
  • 劉備:先主=烈祖穆帝※(劉邦の生まれ変わりと思われるほど性格がよく似てたらしい。)
  • 劉封:寇太子(甘陵厲王)
  • 劉禅:後主(安楽思侯)=懐帝
  • 劉㻣:北地厲王
  • 劉琰:都郷厲侯
  • 丹波哲郎:俳優

脚注[編集]

  1. ^ でも後で兵隊さんを指揮できないように格下げしてあげた。だって怖いんだもん。当然だよね☆
  2. ^ でもその後反乱を起こしたから韓信を親戚と一緒に殺した。その時の地位に居られたのは私のお陰なのにね。(怒
  3. ^ 皇帝になった後に異民族相手に大軍で攻めていったら異民族に簡単にフルボッコされた揚げ句に異民族に捕まりそうになったという間抜けぶり
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(劉煓(漢太公))
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次代
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