割り箸鉄砲
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
割り箸鉄砲(わりばしでっぽう)とは、拳銃の中でも随一の破壊力を誇る武器である。あまりにも破壊力が大きいため、1977年国連により禁止された。
[編集] 歴史
[編集] 起源
- 黎明期
- かつて(文献によると紀元前3200年ぐらいだとされているが、確かではない)エチオピアの一部族が、狩猟と防衛のために石器・青銅器に代わる新たな武器を発明した。ゴムの木から採取した樹液からリング状の弾力性の強い紐を作り、それを木の枝に引っ掛けて引き伸ばし、手を離すとその紐が飛んで行き、獲物等に命中する仕組みになっている。これが割り箸鉄砲の原型だといわれ(『初期型(First Type)』)、現地民はオーテモート(Outimort:「神の赦し」の意)と呼んだ。しかし、初期型は大きくても羊程度ぐらいしか通用せず、戦闘用にはきわめて不向きであったが、紀元前2000年頃に初期型を改良した『二型(Second Type)』が発明された。この二型が、「銃身」「引き金」といった現在までの拳銃の原型であるといえよう。さらに破壊力も増したため、この頃北方からたびたび侵入してくるエジプトを、エチオピアはオーテモートによって追い返している。のちに(紀元2世紀ごろか)エジプトから「銃」という概念が地中海を渡り、ヨーロッパまでたどり着くが、ゴムの生産ができないためこの概念は廃れた。その後、ゴムの代わりに「火薬」と「鉛玉」で代用し、武器として使用したのは約1000年後である。
- 最盛期
- 紀元前1100年頃になると、エチオピアにはオ-テモートの鍛冶職人が現れ始め、互いに腕を競い合った。そしてこの頃に伝説の『三型(Third Type)』が発明されたとされるが、何時、誰が発明したか、更には具体的な形・性能などはあらゆる文献からは一切出て来ず、その存在のみが知られている。三型の存在を記したエジプトの資料からは「南の異邦人はピラミッドを武器で破壊し、中の金銀財宝を奪い、跡には砂が残るのみ…」と記されている。当時、エジプトのあらゆる場所でピラミッドが建設されたにもかかわらず、今現在は代表的なものしか残っていないのは、おそらく三型オーテモートが並外れた破壊力を以て大量に破壊したと予測されている。このように三型には、現在の主流である『六二型』『九型』をはるかに超える性能を持っていたことは想像に難くない。
- 衰退期
- ところが紀元前800年頃、突如としてエチオピアから勢力が消えてしまった。いまだに原因は不明だが、おそらく内紛を起こし、とてつもない破壊力があるオーテモートを乱用し国が壊滅状態になったと考えられている。そして領地はエジプトに奪われたが、エジプト軍がオーテモートを使用した形跡は全くなかったことから、国を明け渡す寸前にすべてのオーテモートを破壊したと思われている。こうして、割り箸鉄砲はいったん歴史からは消えるのであった。
[編集] 復活
- 発見と復元
- 1864年、イギリス人探検家ドルガーがエジプト南西部で、史書では破壊されたとされているオーテモート(改良された"後期"二型と思われる)を発見した。翌年帰国したドルガーは、それを元に友人の工芸職人フォックスにオーテモートの復元を依頼した。しかし、いち工芸職人では構造が複雑な後期二型は復元が非常に難しく、復元は成功しなかった。1870年、日本の歴史を調査するために来日したドルガーは、東京で鉄砲鍛冶を営んでいた嘉山清蔵に出会った。当時、拳銃の製造に関しては欧米のほうが上であったが、嘉山の発明した銃がオーテモートの構造に似ていて、しかもドルガーは彼の欧米の職人に負けない技術にひどく関心したため、嘉山にオーテモートの復元を依頼した。ところが嘉山は「木の銃など聞いたことがないわ」と一蹴。ドルガーが詳しい資料を本国に置いてきたので、嘉山はオーテモートを全く信じなかった。しかし、ドルガーは諦めず「帰国したら資料を送る」と言ってかえった。

