前田利長

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「オレの肖像画の真似してんじゃねえよ。このデブ!」
前田利長 について、平資盛
「私の肖像画の顔以外の部分を真似しないでいただけませんか?」
前田利長 について、聖武天皇

前田利長(まえだ としなが 永禄5年1月12日(1562年2月15日)-慶長19年5月20日(1614年6月27日))は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将および大名である。はじめは利勝(年寄りに勝つという意味)といった。しかし、後から利長(年寄りより長生きするという意味)にした。あの有名な前田利家の子である。兄弟に、鼻毛の前田利常、西軍について大損したアホの前田利政などがいる。加賀藩祖として藩の基礎をかためた。ところで魚津歴史民俗博物館が所蔵する利長の肖像画は、赤間神宮蔵の平資盛像にそっくりなため、腰を抜かしてしまう。

概要[編集]

父親の前田利家や叔父の前田慶次が結構有名な傾奇者であったことや、母親の前田まつが利家の死後も江戸で頑張ってたこともあり、大人しい彼はこいつらの陰に隠れて目立たなかった。そのためか結構歪んで育ったようだがそれでも目立たなかった。


「だれかオレの名を呼んだか?そう、オレが町で噂の前田利長だ!見ろ!このたくましい顔つきを!ん?このページにはオレの素敵な顔が描かれていないぞ!?なんだこの太った肖像は!!オレがこんな醜い姿のはずがないではないか!!どういうことだ畜生!!」

生涯[編集]

前田利長は、永禄5年(1562年)に、前田利家の長男として愛知かそこらに生まれたんだってさ。幼名は千代である。信長がこの世の住人でなくなったあとは、父利家とドラバケルともうひとつともに柴田勝家につかえていた。賤ヶ岳の戦いに敗北した勝家が切腹すると、一転して勝家を負かしたに仕えるようになる。 慶長4年(1599年)、利家が亡くなると、今までの利家のポジションである五大老の座をまんまと手に入れて、満面の笑みを浮かべる。とにかく笑みを浮かべる。どれぐらい浮かべるかというとすごい浮かべる。しかし、翌日から石田三成がいろいろ厄介を起こしてくれたおかげで、対徳川の筆頭的立場に立たされてしまい、半ギレになり、危うくペットのポチを殺めるところだった。その後家康に促されて3年は上方を離れるなという利家の遺言も、「親父ウザかったからいいや」ということで無視し、のこのこと金沢に帰った。 で慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、東軍につき、見事勝った。この時も、満面の笑みを浮かべた。とにかく笑みを浮かべた。どれぐらい浮かべたかというとすごい浮かべた。戦いの後は西軍についたバカな弟の前田利政を鼻で笑いつつ、利政の領地も含め、120万石を支配する大大名になったのである。そして、満面の笑みを浮かべた。さらに笑みを浮かべた。どれぐらいさらに浮かべたかというとすごい浮かべた。すごいとはどのくらいかというと茶碗3杯分くらいである。

前田利長と言えば、縦に無駄に長~い兜(利だけに)が有名である。この兜は、直江兼続ダースベイダーと並んで、3大目立ちたがり兜といわれる。はたしてこんな兜をかぶって戦がはかどったのだろうか。今もなお専門家の間で議論が交わされている。

最期[編集]

そんな調子で、光るネットの波に乗っていた利長であったが、死は突然やってきたのだ。利長もやはり男であり、女性とことにおよんだことはあった。それが命取りになったのだ。それがだ。利長はなんと梅毒になってしまったのだ。ま、それが原因で逝ってしまったってわけさ。

肖像画について[編集]

問題の赤間神宮蔵の平資盛像。
そして魚津歴史民俗博物館蔵の前田利長像。

最近、平資盛氏から、利長の肖像が自分の肖像にそっくりだという苦情がきており、パクリなのではないかとされ、利長には資盛への罰金が科せられることになる方針になりつつある。また、利長のパクリ疑惑はこれにおさまらず、聖武天皇からも同じような苦情が寄せられており、利長には責任の追及が求められているが、利長はとぼけているもようである。

え?ここには問題の聖武天皇像が載っていない?え!?ああ、しまった!!私としたことがっ!!!(だからといって載せません)

利長被告の言葉

「は?知らんし~。オレがパクるはずねえじゃん。意味分かんないし。てか概要のところでも言ったようにオレってもっとハンサムだからこんな変なんじゃないから。え?聖武天皇?誰だしそれ~。大仏作ったとかどうでもいいし~。ま、とにかくオレ関係ねえから。帰っていい?プリキュア始まっちゃうから。」

資盛氏の反論

「あの利長ヤロオオオオオ!!許せんぞこれ!もう怒り爆発しちゃうよコレ!てかあいつオレの肖像画バカにしたよね。オレの姿バカにしたよね。うぜええ!!マジで殺意湧いてきたわ。あいつ殺してもオレって罪にならないよね?」

聖武天皇の反論

「ああ、正直もうどうだっていいですよ。まぁお金は欲しいですけど。でもたかが肖像画ごときでムキになるってなんていうかレベルが低い?というか心が狭いですよね。今考えれば。」

関連項目[編集]

Wikipedia
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