出島武春

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出島 武春(でじま たけはる、1996年3月 - 2009年7月)は、様々なシミュレーションに使われていた仮想力士・柳川信行と並行して運用された人工知能型の力士であった。注意すべきなのは、出島がコンピュータ上で動作する柳川と比較するために現実世界で運用された生身の力士であるということだ。

概要[編集]

出島武春の生年月日の設定は1974年3月21日。プログラムは初め日本相撲協会が厳重に保管していたが、後に武蔵川部屋の管理下に置かれた。1996年3月から2001年7月ごろまで深刻なバグに悩まされていたがその後運用終了の2009年7月までおおむね安定していた。

あらゆる部分において柳川と対照的であり、大いに研究(後述)に貢献した。

経緯[編集]

1996年3月場所直前、新弟子検査を間近に控えた中央大学4年生(当時)の出島武春青年は武蔵川(元横綱・三重ノ海、現在は停年退職してOBの石山五郎)の厳しいシゴキに耐えかね気絶した。というより武蔵川が気絶させた。仮想力士・柳川の比較対象として出島を勧誘した武蔵川は相撲診療所に気絶した出島を運び、脳をAIに入れ替えた。この人道に反する実験の目的は(角界内部だけに限って)直ちに露見し、この試みは早々に「学生横綱は大相撲に来るなプロジェクト」の呼称を与えらた。後に下田、森、吐合、明月院(え、違う?細かいことはどうでもいい!)などの期待はずれな学生横綱が続出して大相撲に入り浸る未来を予想した相撲協会が打ち立てたプロジェクトの被検体となった出島であったが、「コヨーテの群れに入っても武蔵川部屋には入るな。」といわれるほど稽古が厳しい環境に置かれた出島は相撲協会の手を離れて行き、後に武蔵川部屋管理下の被検体となった。

当時の中央大学は日本大学と異なり卒業論文を提出しないと初土俵が踏めない規定となっていたため、まずこれが出島と柳川を比較して現れた1つ目の結果となった。

この出島武春という実験体はアマチュア相撲の初代世界チャンピオン(当時中央大学1年生)[1]という眉唾な肩書以外あまり学生時代の実績を知られておらず、少なくとも大相撲の3大タイトルは獲得できなかったことは確かである。柳川との2つ目の相違点がこれだ。

運用が始まった1996年当時はコンピュータの黎明期であり、156KBもあった出島の人工知能は動作の重さを予想されたが、稽古で押し相撲の型を磨いたことで動作に鈍重さを全く感じさせない動きを見せ、初土俵から所要3場所で幕下優勝を含めた勝ち越しによる十両昇進を果たした。その後初土俵から1年8カ月で新関脇に昇進する出世街道を歩んだが、ここで問題が起こった。出島は生来気が弱く肝っ玉が小さいので角界の体質に怯えてしまった影響でAIのバグが起こりがちであった。初土俵のころから部屋の大関(当時、後に横綱)の武蔵丸がアルコール依存症であった事を心配していたために土俵上で少し散漫な様子を見せていた。加えて、武蔵川が高鐵山から年寄株・大鳴戸を3億円で購入した際に脱税工作をして高鐵山が贈与税を払わなくて済むように計らった問題を高鐵山本(詳細はWikipediaの高鐵山孝之進の項を参照せよ)で知ったために1997年11月場所の時点では相撲に集中できる精神状態でなくなった。そして俵に足を挫いて3場所連続途中休場してしまった。その後大関陥落(後述)までの間は休場が目立つ力士となってしまい、これは比較的休場の少なかった柳川とは対照的で、3つ目の相違点と言える。

1998年5月場所に復帰して以降は実力の反面立合いで真っ直ぐ当たれず微妙にイナした形になるという厄介なバグが発生。先述の高鐵山本にも「立ち合い変化はヤオ。」と記述されていたのにもかかわらず、出島は楽して勝とうとイナし立合いを多用し自己嫌悪に陥るという自堕落な相撲ぶりを見せ続けていた。とは言え同年7月場所には幕内最高優勝を果たして場所後大関になったため、出世という点では柳川に大きく勝っていたこの時柳川は十両経験わずか2場所であった。最高位が十両で人気が三役クラスの柳川と最高位が大関で地味力士の出島はどこで差がついたのか。これが4つ目の相違点。

(中略)大関陥落から丸8年間平幕上位を主戦場として活躍した出島はいくつになっても厳しく稽古付けられる立場であったが柳川は尾上部屋夜逃げ独立事件(詳細は把瑠都凱斗の項で)にいたるまで(大幕下の癖に)稽古を付ける立場であった。5つ目、5つ目。

運用終了[編集]

このように初期のバグを除いておおむね安定して運用されておりまだ耐用年数が2年ほど残っていたとされていたが、2009年7月に元大関として幕内維持が不可能になったことを受け運用終了。本人はまだ相撲を取りたがっていたが、十両に陥落するとAIに搭載されたブロック機能が働き、これを無視して土俵に上がることにより見当のつかない動作を見せる可能性が考えられたため管理者の武蔵川は続投を許さなかった。

引退後は審判委員を務める。「増位山おぢさんみたいに学生横綱をいじめてグレさせたい。」と語っている。アマ相撲の世界チャンプは大関になって中学生たちの嫉妬を集めたが「学生横綱は大相撲に来るな。」の精神をしっかり分かっているみたいだ。

 脚注[編集]

  1. ^ 世界チャンプが3人も同時に誕生した!?


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