円融院

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円融院(えんゆういん、1549年 - ひっそりNice boat.)は、戦国時代の女性で、岡山在住の三浦さん宇喜多直家豊臣秀吉などの名だたる男達の妻として毒牙にかけ続けた、宇喜多秀家の母として有名なビッチである。

さらには自分の幸せを壊した者たちに「イッペン、シンデミル!?」と宣告した、二番目の夫にも負けない恐るべき妖怪である。

人物・出自[編集]

  • 1549年に岡山県のどこかで生誕した。頭の固い辞書では1549年生まれが確定したと言っている
  • 生家は三浦氏だか鷹取氏だか船津氏だか知らんけど、そんなご大層な家の出身らしい。
  • ちなみに本名はおふくと言うらしい。…しかし春日局に悪いので、アンサイクロペディアではあえて円融院と呼ぶ事にする。

歴史[編集]

誕生?[編集]

1549年、岡山県のある山奥に、鷹取のジジイとババア(三浦氏の一族か?)というそれなりに裕福な夫婦が住んでいた。ある日ジジイが山へ竹切りに出かけた時の事だった。一本だけ白っぽい竹があったので、面白そうに切ってみたら、なんと赤ん坊が入っていたではないか。ジジイは竹ごと赤ん坊を誘拐し我が家へ連れ帰り、ババアに事の次第を話した。「それでは親御さんが見つかるまでウチらで育てましょうかね」とババアが言った。そう、この赤ん坊こそ、後に円融院と呼ばれる女の子だったのだ。

最初の結婚[編集]

1559年ぐらいの話。おふくと名付けられた娘は、まだ満10歳に過ぎないと言うのに、やたら大人の色気を醸し出す少女に成長した。その噂を聞きつけた三浦貞勝と言う三浦氏本家のサムライが、ある日、鷹取のジジババ夫婦に「この娘をワシの女房に欲しいのだが」と言い出した。結局、実の親も見つからず、子供の養育に疲れていた幸せを願っていたジジイとババアは、おふくを売り飛ばす嫁がせることにした。こうしておふくは定勝のになった。

だが、この出来事が後のおふくの運命を大きく変える事となった。おふくは自分を売ったジジイとババアに復讐をちかい、辛抱の日々を送った。そして数年後、初めての子供、桃寿丸を設けた後に、備中の三村家親に居城を攻められ、旦那がNice boat.したと言われている[1][要出典]

二度目の結婚[編集]

旦那の無念を晴らすため…という口実の元、円融院は最近売り出し中だった近所の外道殺し屋宇喜多直家に家親のNice boat.を依頼した。「お願いいたします。なにとぞ亡き夫の仇を売ってくださいませ~!」と泣きまねをして懇願するおふく。しかし、すでに直家はこの女の中に自分とよく似た匂いを嗅ぎ取っていのだが…「ええ女やないですか~」と、すっかり誑かされてしまった。こうして直家は、ガンナーに依頼し、家親をNice boat.した。[2]

かくして元旦那に対する悪事を証拠隠滅した円融院は、所持金がないことに気付き、直家の嫁に収まった。[3]

秀家出産、直家の死[編集]

1572年、円融院は直家とアーン♥♥して、息子秀家を出産した。しかも、一般に腐れ外道のイメージの強い直家は、前夫の息子の桃寿丸を虐待する事もなく、円融院としては幸せな日々を送っていた。しかし情勢は一変し、夫が上司を追っ払った[4]後に、織田信長毛利討伐の軍を起こし、宇喜多家はその矢面に立たされたわけである。しかし、機を見るに敏な直家は、最初は差し向けられたエテ公と最初は合戦したものの、やがては秀吉とマブダチになり、信長にペコペコ頭を下げて、毛利家を裏切ることになった。ここで円融院は、直家の名代として、秀家を連れて秀吉に面会した。そこで秀吉のかわいらしい猿顔をみた刹那、円融院はキュンとしてしまい、秀吉とアーン♥♥してしまった。[5]

こうして信長の家来として、安全を確保した直家が、ここいらで秀家に家の仕事を全て押し付けた。享年55歳。[6]

秀吉との愛欲の日々[編集]

その後の円融院は秀吉に身を寄せ、あらあらうふふな日々を送っていたが、その後は連れ子、桃寿丸が天正の大地震によって死亡。こうして手を汚すことなく、直家Nice boat.の証拠隠滅に成功した。この後は秀吉とアーン♥♥の日々だった事は想像に難くない。 それから十数年後、秀吉が逝ってしまった。[7]

円融院、昇天[編集]

…正直いつ死んだかよく分からない。まぁ、殺されたと言う話は聞かないけど、一説には甥のストーカーの家で死んだとも伝えられている

しかし、真相はそうではなかったらしい…。晩年、すっかりオバサンとなってしまった円融院はある夜、なんとなく月を見ていたら、泣き出してしまったのだ。知らせを聞きつけて駆けつけた秀家は母に聞いた。「秀家や、母はのう、実は月に住む宇宙人の一族だったのぢゃ。さんざん悪さをした罰として、地球に叩き落されたわけなのぢゃが、そろそろお迎えが来ると言うのぢゃ、秀家…母はまだ死にとうはない!ヽ(`Д´)ノうわぁぁん」。笑い出してもよかったが、ボンボンの秀家はそうせず母を連れて、伏見城を攻め落とした。そう、時はまさに関ヶ原の戦いの最中だったのだ。結局はあのバカこと怨敵のせいで、宇喜多は敗軍となってしまったわけであるが、そこへついに月から宇宙船がやってきた。東軍も西軍も、唐突に現れた異星人に対して恐慌を来たしたものの、それでも武士の意地にかけて一戦に及ぼうとした。しかし、宇宙船から声が聞こえたのだ。

「エ~…ミナサン、ソコニイルバカ オンナハ、ワタシタチ月ノ住人デゴゼェマスダ。
サンザン淫売行為ヲ働イテ、懲罰ノタメニ、地球ニ追放シマシタガ、結果トシテ、ワレワレ月ノ恥サラシダト思イ直シ
回収ニ参リマシタ…。ドウカオ引渡シ願イタク。オ願ェイタシマスダ!」

そう聞くと、東軍は西軍の敗残兵狩りを再開し、西軍は宇宙船を無視して逃げ続けた。秀家も母親も見捨ててさったと逃げ出した。

こうして、円融院は宇宙船に拉致され、月で処刑されてしまいましたとさ。

めでたし、めでたし。

脚注[編集]

  1. ^ 実は、おふくが息子の桃寿丸と共謀して甲斐性なしの旦那をNice boat.したと言う説がある
  2. ^ ただ単に、調子に乗っている家親が気に食わないので犯行に及んだ説がある。
  3. ^ 直家の最初の嫁は中山のオッサンの娘であるが、この頃には夫婦仲が冷め切っていたらしく、すでに故人である。ひょっとしたら円融院がNice boat.した線も否定できない。
  4. ^ ここでもまた円融院は、直家とともに宗景追放の謀略に手を染めたと言われている
  5. ^ 最近、ケツに蓮コラみたいなブツブツ(「尻はす」と言うらしい。)ができていた直家が精力の衰えを隠せなくなっていたので、円融院はさらなる幸せを求めて、秀吉に色目を使った
  6. ^ 直家の死は、彼女自身が正月にこっそり直家をNice boat.したと言われている[要出典]。この事件は、幾人かの人たちに喜ばれたため、円融院の罪は不問とされた。かくして円融院は、わが身の安全と、さらなる性欲の吐け口を見つけたのである。
  7. ^ 実は円融院は秀吉までこっそりNice boat.してしまった。この件は後に前田利家をこっそりNice boat.することで証拠隠滅に成功している。

関連項目[編集]


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