内海哲也

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内海 哲也(うつみ てつや、1982年4月29日 - )は、ウサギ小屋に所属するニセであり自称巨人軍エースピッチャーである。

プロ入り前[編集]

武士道魂を持ってして生まれ野球を始める。祖父が巨人の選手だったため、もちろん読売幕府が人気であることを始め、給料が高い事もきちんと理解し巨人に入るべく武者修行を慣行する。

高校ではチームメイトが不祥事を起こし甲子園には出場できず、「そこまで評価が高くない」と思いきやのスカウトが「猛虎魂を感じる!」と発狂したのを始め、巨人も「若いうなぎより下順位でも指名するか」と動きを見せた…が!しかし、オリックス(注)の監督が「1位指名する!」との強行が決めてとなり、巨人愛を貫くためあっさり社会人に逃げ込んだ。

念願の巨人入り(笑)[編集]

ドラフトから逃げて早3年が経った頃に自身はランクアップしたらしく、巨人がすんなり入隊を許してくれた。この時は祖父の形見の背番号を26にした。

侍の歴史、侍の語録[編集]

入隊してから数年はそれと言った動きを見せなかったが、2006年のキャンプに殿堂入りしている臨時コーチの金田(※読み:かねだ)正一と対話していた原辰徳が修行中の侍に対して、知ってるのは当たり前だろ?的なノリで「この人、誰か知っているか?」と問うと、躊躇無く「はい。金村さんですよね」と即答し何故か金田が金村に変換されたようで、原は侍に対して恐れをなして今度は「何勝したんだ?」と問うと「300何勝ですよね」と答え、金田自身はあまりの天然っぷりに苦笑するしかなかったが(ちなみにこの時、侍は平然とし、原は平謝りをしていた)、同席していた広岡さんが激怒し、二人の二十歳を超えた大の大人が野球場という公の場で思いっきり説教された。ちなみに、その後の供述で侍は頭が真っ白になって覚えていなかったらしい。

次は別の場所でまたまた談笑していた原(今度のお相手は杉下茂、小松辰雄)に再び出くわしてしまい。原が「この方はどなただ?」と問うと、今度はお口にチャックをしてしまい、再び一喝された。

その後は、タイトル取ったり12勝しながら13敗したり四死球を突発的に発動するなど思いのほか活躍し、それに味を占めたのかある時に「俺たちが頑張ってるんだから補強するなぁ!!」と、幕府のお株を奪う批判発言をし、その後、自身のブログを閉鎖され、幕府からは厳重注意をされ見事に天狗の鼻を折られた

09年のWBC南朝鮮戦で顔芸とのやり取り

は「おい!なんでわが巨人軍が日本一有名なのにハーフ不人気出身のメジャーリーガーガラスのエースばかりが注目を浴びてるんだ?」
侍「それはピッチングが凄いからだと思います」
は「違うだろ!!あいつらは世間がチヤホヤしているだけだ!本物の日本のエースはお前だ!内海!!!次の試合であいつらとの格の違いを見せてやれ!!」
侍「はい!!!」

との流れで涌井でも良かった先発を何故か侍に任せた。日本からの視点で、一般市民から見れば「内海って誰?ダルビッシュとかじゃないの?」野球ファンから見れば「杉内とか涌井とかいるじゃんか!」巨人ファンから見れば「やったーーー!内海だぁーーーー!ヒーーーハーーー!!」と馬鹿騒ぎしているだろう。

実際試合になるとキムチ大国も無名投手を当てられたことに腹を立ててるだろうと思いきや、侍は勝手に乱れ始め結局は敗戦処理のピッチングをし、オリックスの新人王もどきに尻拭いをさせ、「こっちの方がいいピッチングしてんじゃん!」と国民を思わせるほどだった。試合には勝ったものの結局侍は巨人軍の顔に泥を塗り、挙句の果てには日本代表のフリをしてアメリカ観光をしていただけだったと思わせるような体たらくぶりだった。日本国民からの評価では「あいつ侍ジャパンのメンバーじゃないよな?!どう見たって他の選手に比べてチキンハートだもん」という位置づけで侍ジャパンで唯一の偽侍という称号を得た。

2010年、前年に北の大地との日本シリーズニコチンお父さんの代役で好投した試合で日本一になったためか、性懲りもなく根も葉もない根拠で「20勝します」と豪語。またしてもやらかしたと思いきや、神様が見方でもしてるのか?と、思わせる投球で次々に勝ち星を積み重ねるも結局は11勝に留まり、開幕から6連敗したカツオ君なんてのは13勝して、ネコつよぽんでも17勝で留まったのに、侍だけが20勝しようなんて虫が良すぎると神様が天罰を下したのかチームのV4やホーム球場でCSまで阻止された。翌2011年は控えめだったがそれを神が味方したのか19勝を挙げ中日吉見一起とともに最多勝を獲得。18勝目は延長10回まで投げパンダがサヨナラホームランを放ち勝利、最終戦となった19勝目は新人としては無能監督以来となる200イニングを賭けた筋肉が先発。200イニングとなった4回から内海が投げ、澤村がケデブに食らった3点に抑え込み、迎えた9回にその年の首位打者をかけていたためにベンチスタートだったながの代打逆転サヨナラ満塁ホームランという劇的すぎる結末で勝利、内海の目には涙が見えていた。なおこの年の順位は3位である。

2012年も15勝で2年連続の最多勝を獲得。日本シリーズではMVPに選ばれオフの契約更改でも4年4億という契約を結んだ。そして偽侍のリベンジを果たすべく向かった2013年のWBCでは、ピーコ監督が「前田田中、内海の三本柱で行く」と言ったが肩の違和感を訴える前田、明らかにボールに適応できていない田中がエースとして先発する一方、内海は干され中継ぎでの登板に終わった。なお投げた試合でも偽侍であった。シーズンは最終盤まで最多勝争いをしたが、前田と和製ライアンに2勝及ばず13勝で3年連続最多勝を逸した。

2014年は開幕投手を監督の甥に奪われ裏ローテー1番手となる4番手としての起用となったが、打線の援護に恵まれず、挙句危険球を当ててしまう始末で、5月29日にキューバの至宝(笑)の満塁弾でようやくの初勝利であわや泣きそうになる。が、次の登板を控える寸前に肩の痛みを訴え1ヵ月間離脱という悪夢に見舞われる。援護が出なかった理由としてはいつも無援護にも負けず、貯金ができないと言われようが何だろうが筋トレする男がケガしたためにその役を内海が演じることとなった可能性が高い。

関連項目[編集]