八八艦隊

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畏クモ天皇陛下ハ御自ラ全臣民ノ爲ニ
本項ノ全内容ヲ天覽遊ハサレタリ
Naval Ensign of Japan.svg 大本營認可
本項ノ全文章及全内容ハ完全ニ正シキ事實トシテ大本營ニ依リ認可セラレタリ
全臣民ノ爲ニ畏クモ現人神タル天皇陛下ハ御自ラ本項ニ御目ヲ通サレ給ヘリ
此ノ項目ノ内容ヲ疑フハ現人神タル天皇陛下ヲ疑フト同義ニシテ
誤リタル思想ヲ持ツトセラルヽ場合ハ政治犯思想犯トシテ内亂罪ノ對象トス
この記事は右に寄り過ぎています。
ここが真ん中です。
八八(アハトアハト)!!そいつは素敵だ! 大好きだ!!」
八八艦隊 について、モンティナ・マックス少佐

八八艦隊(はち・はち・かんたい)とは大日本帝国海軍が妄想したり海上自衛隊が保有したりする艦隊の俗称。海上自衛隊はこれを4つも持っている。どうだ、凄いだろう。

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構想[編集]

1907年露助との殺し合いの後長らく静養中だった帝国海軍は悩んでいた。敵がいなくなってしまった今、如何にして予算をゲットする名目を探し当てるか?たまたまヨーロッパで勃発した国民総動員サバイバルゲームにお使いを送ったりしている中、ヨーロッパからの注文で儲けた日本政府から小遣いを貰った帝国海軍は、調子勢いに乗って、世界チキチキ軍艦建造レース大会に遅れるなと、戦艦8隻・巡洋戦艦8隻を中心とした強力な艦隊を持とうとした。

その編成は以下のとおりである。

  • 戦艦 - 8隻
    • 長門級(長門陸奥
    • 加賀級(加賀・土佐)
    • 紀伊級(奇異紀伊・終わり尾張・駿河・近江)
  • 巡洋戦艦 - 8隻
  • 航空ボカーン
    • 翔鶴(結局建造中止に、でも復活)+もう一隻、あと一隻・・・
  • 巡洋艦 - ドドーンと12隻
    • 8000t級(4隻作りたがった)
    • 川内級(川内・陣痛神通・那珂・加古・他4隻)
  • 駆逐艦 - ドドドーンと32隻
    • 神風級(27隻も作ろうとしたので風や花木の擬人化を止めて背番号のみ)
    • 他にもあったらしいけど訳分からないので割愛。
  • その他
    • 余りに複雑で本当に訳分からなくなっているので放送時間の都合上カットいたします。


黒歴史

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挫折、そして暴走[編集]

1920年、かくして世界(主に変態紳士ヤンキー)との仁義なき建艦競争に入った帝国海軍だったが、そこへ思わぬ横槍が入った。1922年のワシントン軍縮条約である。政府はこの際に彼らの主張を呑み、日本の戦艦・航空母艦の保有量は連中の6割となった。

実はこの時変態紳士やヤンキーは、かつては大和撫子そのものだった帝国海軍が何時の間にやら筋肉隆々の獰猛たる代物になってしまい、性格悪いってレベルじゃねえぞという状態であるのを嘆き、元のお嬢様に戻してくれと敢えてこうしたハンデをつけたのである。また当時の政府も、その傍若無人ぶり(ついには陸軍と喧嘩しだす始末)やどうしようもない浪費癖(八八艦隊を作るためだけに政府の小遣いの1/3を要求してきた)に頭に悩ませていただけに、彼らの外圧はいい大義名分となった。

結局、計画した戦艦のうち、完成したのは長門・陸奥のみで、加賀・赤城は航空母艦に整形、天城はナマズの怒りに巻き込まれて整形手術に失敗し死亡、土佐に至っては「手ごろな大きさだから」という理由で集団リンチの実験台にされて死亡した。しかし、これで心を入れ替えて元の美少女に戻る帝国海軍ではなかった。あろうことか、彼女は制限を受けていなかった巡洋艦を「別腹」と言わんばかりに溜めこみ始め、結局痩せることは無かった。政府や諸外国はロンドン軍縮条約という減量プログラムでダイエットを勧めたが、今度は彼女のあからさまな怒りを買い、政府の代表だった犬養毅を問答無用で射殺した上、軍縮条約失効後は極度のリバウンドで心も体も肥大していった。

八八艦隊が実在すれば、ドイツは落ち着いて米本土攻撃ができたかも・・・しれないよ。

そしてとうとう、帝国海軍は太りすぎて動くこともままならないのに(皮肉にも敵国出身の元横綱マケボノの様に)アメリカ合衆国に喧嘩を売るという無茶をやらかす。が、当然勝つことなど不可能であり、ボコボコに返り討ちされてどんどん衰弱していき、1945年にはおちおち日本近海を航行することもままならなくなってしまっていた。皮肉にも、この頃には彼女も極度の衰弱による減量でかつての清純さを取り戻していたが時既に遅く、8月15日、帝国海軍は栄養失調でこの世を去った。

悲願 ― 新88艦隊[編集]

当初予定されていた八八艦隊の空母。こんな図体のでかいのをを中古の警備艇で護衛しようとする時点で既に無茶である。

薄幸の美少女だった大日本帝国海軍の息子として育った海上自衛隊は、虚弱体質ということもあって北の方の赤い国に怯えながら日々暮らしていた。しかし、生前の母から八八艦隊の話を聞いていた彼が、お母さんの悲願だった八八艦隊計画を自分の手で実現したいと心に誓うのは当然のことであった。彼は早速、海自発足時の編成計画案で「空母4隻・巡洋艦4隻」からなる艦隊を計画したが、いくら日本の再軍備を支援するアメリカも危険すぎるとして認めてくれなかった。

一方で、日本政府はアメリカのおかげで生活も安定して、小遣いにも余裕ができた。そしてお母さんの元で主計士官として働いていた中曽根おじさんとその友人レーガンおじさんにより、計画は実行に移されたが、「これからはブルーウォーターネイビーだ」「日本語で喋れ」などの激しい論争により、お母さんの壮大な計画(でっかい戦艦が8隻と、速い戦艦が8隻と、巡洋艦、駆逐艦いーっぱい!)よりはかなり規模が縮小された。

  • これら8隻+8機で編成された艦隊を横須賀舞鶴佐世保いずれも母親の別荘があった地である)に配備。
    • タケコプター搭載護衛艦(DDH) ― はるな級・くらま級×4 の中から1隻
    • 対空竹槍護衛艦(DDG) ― あまつかぜ・たちかぜ級・はたかぜ級・こんごう級 の中から2隻
    • タケコプター搭載汎用護衛艦(DD) ― はつゆき級・あさぎり級・むらさめ級・たかなみ級 の中から6隻
    • 対潜タケコプターHSS-2・SH-60J ― 8機

結局、いろんな事情でフリゲート8隻とタケコプター8機で「八八艦隊」と呼ぶことになった。正直、海上自衛隊自身も、これでいいのかと悩んでいるが、「八八艦隊」が4つもあり、しかも実はお母さんにベタ惚れだった中曽根おじさん初めいろんなおじさんが涙を流して「よくやった!」と褒めてくれるので「まぁ、いいか」と思っている。

八八艦隊の今後[編集]

今日、八八艦隊の置かれた状況は非常に厳しいものがある。小泉純一郎というバカライオンが編成のことも考えずにインド洋に細切れの自衛艦を派遣させたことや、ソ連崩壊によって大陸間竹槍搭載原潜の脅威の減少によって八八艦隊の存在意義さえも疑われている。

なんだかんだで将軍様も八八艦隊のファンだったんだろう。だから敢えてプレゼントを贈ったのである。
このような怪しい光線を出す危険極まりない宗教テロリストも八八艦隊の前にはなす術が無い。えっ、光線は日本製?

しかしそこへ、朝鮮民主主義人民共和国からノドンテポドン、さらに工作船という素晴らしいプレゼントが届いた。これらの対処には、当然対空竹槍・タケコプター・小型の舟艇に対応できる小火器、そしてこれらを搭載する船とそれを護衛する船が必要となってくる。さらにテロリズムの拡散を防ぐには、海上戦力による対抗が得策であるのは当然のことである。このような時局において八八艦隊の必要性はますます高まりつつあるといえよう。

関連項目[編集]


みなさん、松平です。 この項目「八八艦隊」は、日本史に関連した企画書ですが放送日が迫っています。アンサイクロペディアではその時でないのに歴史が松平アナを動かす! (Portal:スタブ)