八つ橋

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八つ橋やつはし)とは、京都の食文化が生み出した高級食品兵器である。生八つ橋はさらに危険な食品であり、2級危険物に指定されている。

歴史[編集]

 日本に唐より肉桂(にっけい、ニッキ)に似た高級食材「肉橋」をもたらしたのは、奈良時代の貴族・賀茂弟麻呂(生没年未詳)であると言われている。しかし、あの独特な匂いが刺激物と受け取られてしまい不評で、民間においてはあまり普及しなかったため、弟麻呂の投機は失敗し、そのまま破産してしまった。

 そんな残念な肉桂事業を成功させたのは平安時代の僧、茂農流弖霊経邪濘祖である。彼は肉桂を菓子生地に練り込むことで独特の風味を出し、さらにあんこと合わせることで刺激を甘さで緩和し、絶妙な味わいを実現。これが八つ橋の起源であり、日本人特有の舶来志向を刺激することで、貴族階級に大ヒットをかました。

 …が、やはり肉桂のあの匂いは日本人の嗅覚・味覚には断じて受け入れがたいものがあり、一部の熱狂的マニアを除いて、好んで八つ橋を買う人はほとんどいなかったが、売り手とすれば売れさえすればいいので、まったく気にしないまま八つ橋は京都の主要産業へとのし上がったのであった。

 上述の理由から、相手に八つ橋を贈るのは「売れてはいるけど、愛されてはいない」転じて「本当は嫌いだけど、立場上仕方なく立てているんですよ」という無言のアピールとなり、まさに京都ならではのお察し下さい文化の社交ツールとして現代まで愛され続けているのである。

なぜ三角形なのか[編集]

とても美味しそうだが、騙されてはいけない。

八つ橋と言えばあの独特な三角形であるが、あの造形の起源には諸説あり、中でも特に有力なものとして「和琴の柱を象(かたど)った」という説がある。この説でなら、あの反り返った形の焼き八つ橋も「和琴の胴を象った」ものとして両説相互に一貫性を持たせることができるためである。しかし、そんなありがちな説に異論を唱える人々が、歴史的事実を八百万の嘘とユーモアで塗り固め、面白おかしく味つけしてしまった。

あの形の起源は、実はブーメランである。を塗ったブーメランを用いる古武術に着想を得て、例の肉桂の匂いとまぶされた片栗粉を毒に見立て、最初は「くの字型」にこねられたのだが、その形に切り取るために生地のロスが多く、また、生地がふにゃふにゃで、どうしようもなかったために無難な三角形に落ち着いたというのが今では定説である。

八つ橋を愛する人々[編集]

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 ある統計によると、八つ橋を愛好する人の89.4%が匂いフェチであるというデータがある。あの肉桂の匂いは人間の肉体が疲労した時に分泌される乳酸と密接な関係にあるらしく、肉桂の匂いが心地よく感じれば感じるほどあらゆる意味で疲れている=病んでいるということが実験によって立証されており、また、肉桂の過剰摂取によって目まい、幻覚、吐き気、失明、錯乱、発狂…などとその病状を悪化させる危険性がNHK学会(にほん・ほんとうはこわい・かていのいがく・がっかい)によって報告されている。

「織田がこね 羽柴包みし 八つ橋を 座りしままに 喰うは足利」
八つ橋 について、足利義昭

 とある末期患者の発言である。その支離滅裂さからも、八つ橋の中毒性の強さがうかがい知れる。

もらってしまったら[編集]

たとえこんな天使のような笑顔で渡されても、八つ橋は八つ橋。油断してはならない。

 もしあなたが京都へ行って来たという友達から八つ橋を手渡されたら、その人はきっとあなたに殺意を持っている。…が、建前上は逆らえない。そう思われている。そんな時、あなたはその八つ橋をもらうべきか否か?…もし断れば、それを機にあなたの友達は本性をむき出しにしてあなたに襲いかかるだろう。よって、それは得策ではない。この場合、ベストな答えは「笑顔で受け取り、こっそり捨てる」である。が、それさえ許されない場合がある。彼(もしくは彼女)は、無邪気な笑顔で、こう言い放った時だ。

「一緒に、食べませんか?」

 ここで断ればもとの木阿弥、やはり迎えるのはバッドエンドである。さぁどうする、万事休す

そんな時の強い味方、それはケフィア宇治茶である。

 宇治茶には強い中和作用があるらしく、どんな毒でも中和してくれる。同じお茶でも静岡茶ではダメなのであり、やはり京都の毒を中和するのは京都のお茶にしかできないのである。ちなみに人間の肉体は弱酸性なのだそうだが、宇治茶はそれさえも中和してしまう。だから京都人はどことなく中性的かつ中庸、そしてどっちつかずな人が多いのである。[要出典]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


Hiyoko.jpg ピヨ、ピヨピヨピヨョヨヨ、ピヨッピピピ、ピヨッピョピョ。
和訳:この記事を、もっと麿(まろ)ごのみにして下さらぬか。お願いしたでおじゃるよ。) (Portal:スタブ)