全裸マラソン

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全裸マラソン(ぜんらまらそん)とは、文字通り全裸でただたくさんの距離を走るマラソン競技と非常に似た形式のエクストリームスポーツである。一般のマラソンとは違い、選手の衣服の着用は一切認められていない。本部をアテネに置く国際全裸マラソン委員会が統括している。

起源[編集]

古代ギリシアのオリンピアの祭典は不正を防ぐために全裸で選手は出場しており、また女性子供の参加は認められなかった。これをヒントにして、19世紀末にフランスのクーベルタン男爵によって発想された近代オリンピックであるが、この際に「古代オリンピックに倣い、参加者は全裸で出場すべきだ!」という意見があったとされる。しかし当然のことながら無視され、夏季オリンピック第1回は選手が着衣のまま1896年にアテネ(ギリシャ)で開催されることになった。

これに反対した有識者たちが有志のものを集い、全裸で行うオリンピックを開始することとなった。しかしながら当初は社会のヌーディストに対する偏見も多かったため、オリンピックというスポーツの祭典は開けず、仕方なく最も要望の高かった全裸マラソンを1900年、オリンピックに遅れること4年でマラトン~アテネの42.195kmを走る競技として実行された。その後、愛好者たちは増加し、世界中で毎年のように開催されるに至る。また近代オリンピックが世界大戦などで中断する事があったのに対し、全裸マラソン競技委員会では「戦争でスポーツが邪魔されるのはけしからん」「生まれたままの姿で走る事は平和へのメッセージだ」として戦場をまたがっての全裸マラソンを強行している。

概要[編集]

全裸に一度なってみたかった残念な人。

全裸マラソンはその競技の形式・距離の組み合わせにより形式が定められている。小規模な大会では全ての形式を同時に行うこともあるが、国際大会などでは別々に行うこととされる。

なお一般にスタンディングオナベーションなどと混同されることが多いが、全裸マラソンは正式なスポーツであるため、競技中のオナニーを含む性行為を一切認めておらず、これらの行為を行ったものは基本的には失格となる。しかしながら国際スタンディングオナベーション事務局アテネ支部と国際全裸マラソン委員会本部は同じ雑居ビル内にあることもあり、両競技者間の交流は活発であり、また両方の競技に出場する猛者も多い。

形式[編集]

スタンダードマラソン

定められた距離を全裸で完走する事が目的である。ルールは基本的にマラソンのそれと同じである。競技者は警察による競技妨害と己の羞恥心および体力に気をつけて走ればいいという最も基本的なルールである。

フィギュアマラソン

これは完走することに加え、自分の走る姿で観客をいかに惹きつけたかを競うルールである。観客ごとに点数が異なり、加算されていく形である。スピードはそれほど要求されないが、指定コースを外れた場合は失格となり、また規定の一定時間を超えた場合も失格となる。体力よりもいかに自分の羞恥心を抑えるか、いかに効率よく自分の走る姿を多くの人に見せるかが重要である。

主な得点
異性の観客:1点×(年齢ごとの倍率) 同性の観客:3点×(年齢ごとの倍率) 
倍率:未成年×10 成人~30歳×5 31歳~65歳×2点 高齢者×1点
ほかに幼児(×20)、警察官(×50)などの隠し係数もあり、いかに己の姿を見せるかで大幅に点数が変動することになる。また過疎化の進んだ田舎での開催は老人しかいないため、高得点を得ることが非常に難しいとされる。
複合マラソン

フィギュアとスタンダードをあわせたもの。いかに多くの人に見せながら早く到達するかを競う最も難しいルールである。

距離[編集]

マラソンの項目を参照のこと。基本的にマラソンで行われる距離は全て全裸マラソンで行われている。 マラソン項目 にも載っていない ギネス・ウルトラ・リーマラソンというのがある。 ギネス・ウルトラ・リーマラソンは 400000989km(地球一周)走る。

歴史[編集]

日露戦争に抗議する目的もこめて戦場の真っ只中で行われた。

青年トルコ人革命を記念してイスタンブールで行われたが、全裸をよく思わないイスラム教徒からの受けは悪かった。(現在は和解している)これ以降は毎年開催することとなった。

第一次大戦の過酷な戦場の中、塹壕を潜り抜けて行われた大会。有刺鉄線に引っかかったり、蛸壺に落ちるなどの死傷者が続出した。

革命真っ只中のロシアで偶然行われた大会。全裸で町中を走り回っていたので、赤軍も白軍も無視していたが、服を全部脱ぎ捨ててマラソンにまぎれて逃げた為に助かったロシア貴族も多かったとされる。

非暴力不服従主義を採るガンジーがアジテーションのために参加。全裸マラソンの意義が知られてきたといえる。

関東大震災で被災した日本人を励ますために行われた大会。当時の記録では日本人が( ゚д゚)ポカーンとした顔をしていたとされている。

大会中にドイツ軍が攻め込んできたが、大会は問題なく実行された。ポーランドは分割された。

美しい海と温かい気候で知られるハワイで行なわれた。以前から競技者による要望が多かった大会。大会中に日本軍が攻め込んできたが、兵士の大部分は一緒に全裸で走っていたのでアメリカ海軍は大打撃を受けた。

  • 1945年 - 第二回東京大会

戦争でボロボロになった日本人を励ますために行なわれた大会。やはり日本人が( ゚д゚)ポカーンとした顔をしていたと記録されている。また今回は地方会を広島長崎で行なったが、選手の中で体調不良を訴えるものが多かったといわれる。

イスラエル建国を記念して行なわれた大会。ただし、途中でアラブ諸国が攻め込み、混乱を引き起こしている。この頃からフィギュアマラソンルールの評価点に「大会中に乱入してきた兵士に走っている姿を見られた場合(×40)」という係数が追加された。

この競技で初の日本人総合優勝者が出たとされる。吉田茂池田勇人らが参加する選手団は日本でも大きな人気を得た。これを記念して日本国との平和条約が結ばれている。

ベトナム戦争に反対する意味をこめてベトナムで行なわれた。選手がベトコンにつかまったり、アメリカ軍に撃たれたりする事態が多発した。またジャングル地帯での全裸マラソンは蛇や虫にかまれるなどの問題も多かった。

  • 1964年 - 第三回東京大会

日本で三回目にして、初めて国民に受け入れられた本格的な大会である。東京オリンピックのマラソン選手とニアミスをしたり、作られたばかりの首都高を走る選手が出たりとさまざまな珍事が多くみられた。

  • 1969年 - 第一回日本大会

全裸マラソン人気の日本にも国際全裸マラソン委員会の支部ができ、日本大会が開催された。途中、機動隊と学生運動による妨害があったものの、無事に大会を締めくくることができた。なお今回より日本版のローカルルールとして機動隊・公安警察(×60)が追加された。

生前は大会の意義と非常に似通っていた信念を持っていたとされる毛沢東が死去。これを記念して第一回北京大会が行なわれ、また毛沢東記念エクストリーム全裸マラソンも開催された。

  • 1984年 - インド縦断マラソン

全裸マラソンの選手であり、また強豪国インドを率いていたガンディーが死去。これを記念してヒマラヤ山脈からインド最南端までインド縦断の全裸マラソンを実施、ガンディーの思想を受け、カースト・アンタッチャブル・宗教関係なく多くの人が参加した大会は「最も感動的な大会」として全裸マラソンハンドブックにも記載されている。

  • 1999年 - 第四回東京大会

もはや全裸マラソンの新興国ながら国際大会で活躍する日本で行なわれた大会。つんくがモーニング娘。に参加を強要したが、こちらの方は反対多数と日本の法律により実現できなかった。なお、恐怖の大王による乱入はなかったようである。

治安が悪いことで有名な南アフリカのヨハネスブルグでサッカーワールドカップに先駆けて行なわれた。競技中に男女を問わず、選手が住民らにレイプされる事態が多発した。ルールでは「協議中の性行為は失格」となっているが、HIVをうつされても完走した選手らを褒め称え、特別に失格とはならなかった。

関連項目[編集]

  • はだかのゲン - この世界で唯一この競技をテーマとしたスポ根漫画。