侍女

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侍女(じじょ)とは、一般的に家事手伝いを行うことを目的とした職業の一つである。いわゆるメイドと呼ばれている存在も該当するにはする。しかし、それは日本だけの話であり、侍女をメイドと説明すると、いわゆる腰元メイドに該当することになる。

たすきがけ鉢巻をした腰元なぎなたをもって静々と廊下を擦り歩く状況をメイドで想像したいのならば止めはしない

概要[編集]

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一般的に、侍女と呼ばれる存在は、一般家庭ではなく、貴族や王族、大名といった高貴な家庭、もしくは邸宅における家事手伝いを担当したとされるのが通例だった。しかし、残念なことに昨今における家事手伝いの認識は歴史観のない人間によるメイドに対する妄想によってあまりにもぶっとんでしまい、全ての家事手伝い(家人を除く)=メイドという、ろくでもないくくりで扱われるようになる。その結果、侍女という言葉は現在、死語となりかけている(ウィキペディア参照)。ちなみに、立場的には近代以前、西欧において奴隷として扱われていたメイドとは違い、日本においてはちゃんとした教育を受けた子女が就く正業の一つとされた。

そのため、萌えなんてものはまったく存在しない。残念だったな

職業史における侍女[編集]

洋の東西における職業婦人の立場は常に弱いものであり、女性でなければならないとされた専門職は近代に入ってもごくわずかしか存在していなかった。その中でも代表的なものが「産婆」や「乳母」であり、もちろん、「世界最古の職業」もそれに該当する。その中で産婆とならんで最も専門的であり、なおかつ職業として成り立っていたのが侍女である。

メイド?とりあえず、ウィキペディアを見て現実を受け入れろ

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執事との違い[編集]

現在、YahooでもGoogleでも、「女執事」で検索すると、イヤになるほど記事が出まくる。これは、執事(スチュワード、バトラー)という職業の成り立ちから考えるとあまりの歴史認識の無さに愕然とする話である。侍女との大きな違いは、まず、執事というものが男性専門職であること、仕事の内容は家事ではなく事務や人事に該当すること、さらには主人に直属することが挙げられる。近代ヨーロッパでは、高貴な家として認められるには優秀な執事を召抱えることが必須とされるほどの存在であった。そのため、中世から近代にかけては一家に長く仕えることで格別の信頼を得た使用人が、現代では専門のスクールに通うことでそれ相応の知識を身につけた人間が初めてなれる職業であり、身分差別が当たり前の時代、底辺から這い上がることのできる最高点ともいえる存在だった。ちなみに、一家に仕えるというその職業の特性から、通常、結婚はしない。恋愛もご法度。この段階で、「女執事」という言葉に魅力を感じなくなってくれれば幸いである。

無理だろうけれど

ハウスキーパー[編集]

女性版執事という言葉に最も当てはまり、なおかつ侍女という言葉にも当てはまるのが、現在でも使用されているハウスキーパーという存在である。現在では、女性の家事手伝いそのものに当てはまる言葉となっているが、実際は、執事と同じく長年一家に仕えることで初めて任命される、一般的な女性が就くもっとも地位の高い職業だった。そのため、立場的には家長に直接仕える執事に一歩劣るものの、ほぼ一家の家事を取り仕切る立場として、世の中の職業婦人が就ける相当高位な職業として認識されていた。併せて、執事を置けない中流階級においても一般的であった。なお、執事とは違い、恋愛や結婚などは許されている。

残念。これはオバサンの話だ。

日本における侍女[編集]

日本の歴史の中で最も有名な侍女と言える存在は、平安時代における紫というあだ名の女性と、清というあだ名の女性が完璧にツートップとして機能している。どちらも、当時の最高レベルの知性を持った女性として有名で、その知性と親族のコネによって、ほとんど同じ時代に天皇の妻Aと妻Bに仕えている。これは、彼女たちの知性による家庭教師的な役割もそうだけれど、それ以上に、短歌でも小説でも随筆でも、まさに何かの機械のように発表しまくることで、自分達の陣営がいかに優れているかをアピールする狙いが強かった。ある意味、雅のように見えつつ実にドロドロした内面が感じられる話である。この時代、すでに、才能ある女性たちは権力闘争の手ごまとして、和歌、小説、随筆を書きまくったか、もしくは、書かされまくったことは悲しき歴史の事実である。もっとも、その結果として、この時代、日本の文学は質・量とも特筆すべきレベルにまで昇華されている。特に、世界最古の小説とされる女好きで絶世の美男の光くん(某権力者のモデル有)が生涯にわたって恋愛して、なおかつ、その子供(やっぱり、某権力者のモデル有)についてまで書いた物語は、100万語を軽く超えている。確実に、個人的な文才以上に、周囲の権力闘争のにおいが漂っている。

ちなみに、清さんと紫さんは微妙に宮中にいた時期がずれており、1回も出会ったことはなかったのではないかといわれている。ただし、後に来た紫さんは、前任者の清さんをずたぼろに書いている。

腰元[編集]

前述したような平安時代の侍女は、残念なことに現在の日本においてあまりイメージがわかない存在となっている。これは、日本の侍女=腰元という強烈な刷り込みがテレビを通して数十年にわたってなされており、主に時代劇におけるその立場が、後のメイド文化にまで影響していやがることは悲しき事実である。しかし、腰元のように大奥や大名家に使える女性という立場の元をたどれば、西欧と同じく一般における女性が就ける職業の最高レベルの存在であり、就職するためには知性はもとより、その後ろ盾についても大きな力が必要となるものであった。そのため、江戸時代の商家などでは跡取りとなる男の子のほか、当時、世界のほとんどの地域でなされていなかった女子教育も積極的に行われた結果、後の明治維新後の教育制度改革において、世界中の国々が苦労した女子への教育問題についてもすんなりとクリアすることになる。バカ殿の裏側には、こんな深い設定が隠れている。

もちろん、大名や高位の侍に見初められることで、大きな権力を手にすることも可能であったため、一般知識以外にも礼儀作法、歌舞音曲に立ち振る舞いなども女性にとって重要な教養になっていたことは事実である。ちなみに、全てゲイシャガールになるために必須だった技能である。その結果生まれたのが、いわゆる大和撫子と呼ばれる日本女性における理想像であり、いわゆるフェミニストが毛嫌いする日本女性の典型というやつである。

玉の輿[編集]

なお、日本史上、もっとも下位の地位から高位の人間に見初められた例として、江戸幕府八代将軍徳川吉宗の母「於由利の方」が挙げられる。彼女は腰元ではなかったが、風呂番として働く中、紀州藩二代目藩主徳川光貞に見初められ、徳川吉宗を生んだと言われている。彼女の来歴は謎に包まれており、百姓の娘とも、巡礼の娘とも言われているが、さすがに、穢多非人説は行き過ぎという気がしなくもない。しかし、それぐらいに身分の低い女性だったことは間違いないようである。彼女と並びうる存在として、大根売りの娘、畳屋の娘説がある五代将軍徳川綱吉の母「桂昌院」や、鋳物師の妻だったが、夫を殺されたことを徳川家康に訴えたことから側室として召されることとなったと言われている茶阿局などが挙げられる。

天皇家に関する話は恐ろしくてとても手が出せない。

現代における侍女[編集]

中世、近代と連綿と続けられていった家事手伝い、メイド腰元の歴史は現代に入って女性が就ける職業が飛躍的に増加すると、反比例する形で減少していくことになる。これは、それまで職業選択の自由というものが存在していなかった世界からの脱却を意味している。もっとも、世界最古の職業は別。あれは数千年前から変わらない需要供給の世界である。しかし、その存在自体がなくなるようなことはなく、現在でも住み込みやハウスキーパーといった職業は存続し続けている。もっとも、女性が就ける最高の職業という概念は完全に廃れているため、現在、これらの職業は貴賤を問わず、単なる一職業として存在しているのが日本の現状である。

なお、一部イスラム世界については何も語るつもりはない。オイルマネーの裏に隠された悲劇なんて知らない。

関連項目[編集]