伊勢市
伊勢市(いせし)は、畿内の都市の一つで、伊勢神宮教の総本山である。
各界からの語録[編集]
〜 伊勢市 について、ムスカ
〜 伊勢市 について、霞ヶ関
〜 伊勢市 について、リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ
〜 伊勢市 について、堂本剛
概要[編集]
かつて日本で国家神道というカルトが流行った頃には、日本の神宮の総本山である伊勢神宮があるため「神都」という愚げた呼称を用いられたこともあった。特に江戸時代には、一生に一度は伊勢神宮を参拝することが義務とされたため、現在の伊勢市よりも遙に盛えていた様子が記録に残っている。
名物はうどん、ひじき、赤福。赤福は大阪駅と名古屋駅、それぞれの中心駅での土産売り上げトップになっている。東海道新幹線の車内や東京で開催される物産展でも買えるため、「伊勢に行った」というアリバイ作りに悪用されることもしばしば。どこの土産かと考えない方がいいかもしれない。またこれに似た商品も出ているので、赤福以外でもいいのなら別にかまわない。
伊勢市民は大抵は正直者か乞食である(らしい)。昔から伊勢乞食と呼ぶ。
晴れた日には遙か北東に富士山が見えたり見えなかったり。山は朝熊山と神路山が著名であるが、虎尾山のような小さい出っ張りが昨今になって注目を集め始めている。この山は、平安時代にどっかの歌人が歌に詠んだためか、満月ではなく半月が名物になっている。
尚、新世紀エヴァンゲリオンの「第2新東京市」は松本市、「第3新東京市」は箱根町であるが、これらに対する「第2新京都市」は本宮町であり、「第3新京都市」はこの伊勢市である。これは、京都市がセカンドインパクトで潰滅した時に、共に紀伊半島の熊野本宮大社と伊勢神宮に首都機能が移転すると見込まれている為である。
近年ではドーナツ化現象が進み、伊勢市駅前にある80%の建物は廃墟である。
観光[編集]
「伊勢・奈良・京都」と列んで呼ばれる通り、畿内有数の観光地である。しかし、全般的に赤字であって人口も減少している。理由としては何点か挙げられる。
- 紀伊半島の付け根(大阪と名古屋)からも遠い
- 田舎っぽい
- なんか地味なイメージ
- 牛肉の町松阪と、台風の時えらいこっちゃになる鳥羽の間にある。
- 津市よりも個性的なインパクトがない。
- イセエビが取れない。
- その他
観光以外の産業[編集]
観光以外の産業は見るべきものはなく、三交百貨店や東洋紡も撤退している。
「シンフォニアテクノロジー」という企業がかろうじて伊勢市内に主力工場を有しているが、旧社名の「神鋼電機」の頃は万年赤字なのにプライドばかり高い企業で、神戸製鋼出身の「電機業界のゴーン」と呼ばれた男は、工場の放漫運営ぶりに呆れ、『会社はムダの塊だっ!』という著書にまとめ上げるほど、会社のムダ撲滅に奔走した過去がある。
気候[編集]
伊勢は紀伊半島(南畿内)の東岸に位置する為、全国有数の台風銀座である。この「台風銀座・南畿内」だけあって、観光ガイドでは「伊勢・奈良・京都」の組み合わせ以外にも、同じ南畿内の台風銀座である「名古屋・伊勢・新宮」、或いは南畿内の古都で「奈良・伊勢・新宮」が一組にされる事も多い。神社を見ても、南畿内の台風銀座には、名古屋の熱田神宮、伊勢の神宮、新宮の熊野速玉神社と、奈良県の権力者と密接に関って来た神社が多い。
ええじゃないか[編集]
またこの地では、何が何でも「ええじゃないか」と言うポジティブ・シンキングな行動が有名である。たとえばまずい食事を出してクレームが来たとしても、ええじゃないかええじゃないか、と半笑いで踊ったり、学校のテストが0点であっても、ええじゃないかええじゃないか、とまるで白を切るように半笑いで踊ったりする。
そのため、伊勢市では人口が減り、都市の空洞化が見られる。それでも市役所の職員は、ええじゃないかええじゃないか、と半笑いで踊っているため、この問題は伊勢の近郊都市で大きな問題になっている。余りに愚々しくて加減にしろと言う近隣住民からの苦情も絶えないが、伊勢市当局が、ええじゃないかええじゃないか、と半笑いで対応しているためどうしようも出来ないのが現状である。ええじゃないかええじゃないか。
交通[編集]
近鉄王国の一大中心地とあって、奈良や京都といった天皇のお膝元や、紀伊半島の付け根である大阪と名古屋へ行くには、近鉄を使うのが常識である。例外として、熊野三山(新宮など)へ行くには旧国鉄の紀勢本線を使わねばならない。
平成に入って以後、高速道路が伊勢にも乗り入れを果たし、奈良・大阪・名古屋・京都・敦賀への利便性はグーンと上昇した。
市内を走る近鉄(近畿日本鉄道)のメインとなる駅は伊勢市駅と宇治山田駅であるが、両駅は200mほどしか離れていないにもかかわらず両駅とも特急停車駅であるため、伊勢市駅-宇治山田駅間で特急に乗車した乗客から「歩いた方が速かった」「普通列車と何が違うのか」「指定席に座る前に駅に着いた」「機内食がまずい」などの苦情が殺到している。
二見浦[編集]
この地では毎年七月の下旬ごろに水練という奇抜な行事が行われる。四百人もの男子中学生が水褌(いわゆる褌)を絞め泳ぎ続けるというものである。四百人もの褌集団が整列している様は異様な光景でよく外国人の方が見物に来ている。水褌は黒、赤、茶、鶯、紫、薄茶など合計十色もある。四日間の行程なのだが、最終日あたりになると水褌の色が抜け落ち紫色などは透明に近い白色になり、薄茶色は程よく肌色になってしまい遠目に見ると素っ裸である。水褌の着用は当日までに授業で学ぶが初日等は慣れていないこともあり、宛らマイクロビキニもしくはボクサーパンツのようになってしまうものが多数でる。行事として非常に歴史があり、第二次世界大戦で中断もしたがそれでも百年以上続けられている。恐ろしいことに毎年この時期二見浦では不審者が続出する。