仮想現実の持つ危険性

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仮想現実の持つ危険性 (かそうせかいのもつきけんせい) とは仮想現実に内在し、気が付かない内にさらされる可能性がある危険性の事である。ここで言う仮想現実とは、状況や条件、世界観等を「仮にこうであったら」と決め、それに従いさも現実であるかのように創られる疑似的なモノの総称の事である。

概要[編集]

感覚を支配し、入り込んだ本人が全ては現実の事であると思い込ませる事が仮想現実である。仮想現実に移入する上での基本は現実感であり、本物である事だけが重要なのではない。

は視覚によっての情報を、触覚によって立体的な情報を、臭覚によって臭気の情報を、聴覚によって音の情報を、味覚によって食物の栄養情報を受け取り、理解している。これらの情報は往々にして機械的な正確さに欠けており、錯覚(錯視等)を引き起こす要因にもなっている。そのため人は「あいまいさ」を受け入れて生活しており、そこに仮想現実の付け入る隙が生じる。

その時、それが仮想現実であると気が付いたのならば問題は無いが、もしそうだと気が付かない場合(俗に言う「頭で分かっていても、心で理解していない」も含め)において仮想現実の危険性が人に対して牙を剥く瞬間である。

危険性を内在する仮想現実の例[編集]

仮想現実の危険性に人が遭遇した瞬間を、ここに示す。

宇宙戦争[編集]

1938年10月30日の、米国ラジオドラマ宇宙戦争』の事件は有名であろう。これはラジオを通じて人の聴覚を支配し、ウソの音情報を流し続ける事で多くの人を事件の当事者であるかのように仮想現実の世界に引きずり込み、様々な悪影響を残した。ニュース番組形式にのっとっての放送、効果音などで仮想現実としての支配力を高め、実際に宇宙人(太陽系第三惑星から来たホモサピエンスだと語っている)を呼んでいたのである。結果、仮想現実の脅威が世間に暴露される事となった。

音だけなので現実なのか仮想現実なのか判別が付きにくかったのも問題であったようだ。

トーク番組[編集]

現代は、テレビ番組において様々なトーク番組が乱発されているが、あれらこそが聞き手として参加する仮想現実である。一見すると本物の人間が会話をしながら番組を進めているのだが、気を付けて見た方がいい。今流行の毒舌タレントだが、考えて欲しい。彼(彼女)らの発言は現実世界でそうそうに発せられるのだろうか?現実世界で毒舌が過ぎれば彼氏(彼女)や友人を無くすばかりでなく、ブン殴られるのがオチである。

しかし、あの会話スタイルこそが真の会話スタイルであると信じ込み生身の会話でも毒舌を吐くものが後を耐えないのである。これはテレビを通じて人の視覚と聴覚を支配し、さも現実でも毒舌が受け入れられるかのように錯覚してしまうのである。それなりにうまく芸能界を渡り歩いている毒舌家は裏では普通の人であったり、その毒舌が単なる台本上の指示でしかない場合がほとんどである。(言うべき事は言うべきだが、歯に衣着せぬ物言いは乱用しないほうがいい。)

安全であると認められた仮想現実の例[編集]

仮想現実との区別が付く事が重要である。

一般的なビデオゲーム[編集]

まったくもって安全であり、それにはいくつかの理由がある。まず、「これはゲームである」と言う前提が揺らがないためである。この前提はゲームコントローラーを握るところから始まる。「こんなモノを握って現実だなんて有り得ない」のである。さらに、どうしてもゲームのキャラはゲームのキャラである。キャプテンサワダ(モータルコンバット)でさえ実写取り込みと言えどゲーム中ではゲームキャラでしかないのである。

成人向けゲームやビデオ[編集]

これも同様である。登場人物は現実に存在し得ない人物であり、かつ触れる事もモニターから出てくることも無いためである。仮想は仮想であると割り切れる事は言わずもがなであり、こういった一時の気分転換にさえ規制を厳しくするのは無粋である。

性風俗店[編集]

問題は無い。ファッションヘルスソープランドピンサロ等のことであろうがお金を出す事が前提である。いくら「恋人気分で」等と看板に書かれていようとも、軽くなった財布を見ればすぐに現実に立ち返れる。

むしろ問題なのはセックスフレンドである。いくら割り切っていようとも、日々の関係が仮想現実的な恋人の様な錯覚を起こし、結果的に一方がストーカーDVにはしらないとも限らない。だからといって、成人向けゲームやビデオの様にセックスフレンドも規制されるべきでは無いはずである。

実例[編集]

群馬県教委は2006年12月11日、文部科学省の道徳教育研究校に指定されている県内の小学校でを行ったところ、「人は死んだら生き返りますか」との問いに対し、約3割が、「はい」もしくは「生き返ることもある」と回答していることを明らかにした。内山征洋教育長は「大変驚き。命の大切さを教えるため、研究校の成果を他校にも生かしたい」と話している。このことについて、ドラゴンボール等の漫画、ドラゴンクエストファイナルファンタジー等のゲームの影響を危惧する論調があった。

しかし、このアンケートの実施対象は450人であり、明らかに複数学年、おそらくは全学年が対象である。小学1年生で人は死んだら生き返らないことを理解している児童がいたら大したものであり、そう思わない児童がいたとしても驚くには当たらない。「はい」もしくは「生き返ることもある」と回答した児童が全体のたった3割であったことをもっと評価すべきである。

内山征洋は当時62歳で、彼が10代のころ、水木しげるは「ゲゲゲの鬼太郎」の前身である「墓場鬼太郎」を発表しており、鬼太郎は当然何度も生き返っている。内山の世代が小学生だった頃、7割より多くが人は死んだら生き返らないと思っていたかどうか、怪しいものである。

16世紀ウィリアム・シェイクスピアが発表した「ロミオとジュリエット」で、ジュリエットは仮死の毒を飲んで死んだあと、それを苦にロミオが自殺した後、生き返っている。にもかかわらず、少なからぬ小学校が「ロミオとジュリエット」の読書を禁じるどころか学芸会で上演させている。これは漫画やゲームの危険性に対する過大評価であり、差別である。

死んだ人間が生き返るストーリーがいつ頃作られ始めたか、わからないほど昔のことである。鳥山明エニックススクウェアを死んだ人間が生き返るストーリーの考案者として扱うのは、とんだ濡れ衣である。

関連項目[編集]