他力本願

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「信玄!謙信!浅井朝倉本願寺!信長をボッコボコにしてください」
他力本願 について、足利義昭
歴史の渦に巻き込まれる! この項目「他力本願」は、歴史に関連した書きかけ項目から歴史に残る記事進化しなければならない。
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…え?もっと加筆しろ?いいじゃん別に。黎明期ならこれでも自己言及的な記事として存続を許されたはずさ…駄目?


…しかたないか。加筆してやるから感謝しろ。これを読んでいるだけで、書いてくれないお前らの事だよ。
おわり。












…え、駄目? わかったよ。全くお前も他力本願な奴だなあ。


本文[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「他力本願」の項目を執筆しています。
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この記事「他力本願」は何故か「空白」とネタや題材がダブっています。どちらが真実なのかは神のみぞ知ります。

他力本願(たりきほんがん)とは、他人任せ、何もしなくても他人が何とかしてくれるという考え。鎌倉時代の詐欺師親鸞が提唱した胡散臭い思想だが、元々の意味は「虎の威を借る狐」に近かったとか。現代的な意味合いで使うと、浄土真宗のお坊さん達のタコ頭が噴火しちゃうらしいから、あまり気軽に使える言葉ではないそうな。

親鸞による大衆の洗脳[編集]

親鸞は矮小な人間は仏の導き無くして浄土へは辿り着けない、極楽に辿り着くためにはひたすらに仏を崇め、さらに仏の代弁者である自分を崇めるべしと強引に理論を展開し、阿呆な信者から大量の銭を巻き上げた。仏の威光を借りて暴利を巻き上げていた親鸞自身も他力本願の象徴的存在であった。ちなみに親鸞は鎌倉幕府に逮捕されて島流しにされるも、親鸞は(親鸞自身を含め)犯罪者やテロリストこそ救われるべきなどと妄言を吐いており、完全に開き直っている。

異説[編集]

しかし、元々の意味はむしろ現代的な意味合いに近かったという説もある。これによると世界で始めて「他力本願」を提唱したのはローマ皇帝ウプレカスであるが、ググレカスに「ググれカス」とその考えを痛烈に批判されるなど西洋での受けは悪く、他力本願の思想はあまり普及せず、歴史の影に埋もれていったらしい。

思想おける他力本願[編集]

思想面においては、カミカゼによる「死」の意義さえも天皇崇拝で解決しようとする右翼の安易な思考や、「中国ないしアメリカへの依存なくして日本は国家として存続できない」と言うネットウヨ左翼の考えも意味する。これにマゾヒズム事なかれ主義が結合する事によって自虐史観が生まれる。

他力本願の歴史[編集]

有史以来、日本国の文明が急激な発展を遂げたのにはいずれも外因的な要素がある。例えば日本の歴史の転換期となった明治維新の根底にあるのはペリーの来航と薩長を影から操って幕府を転覆させようとした欧米列強の存在である。草莽の志士達は列強の巧みな煽動に乗せられ各地でテロ活動を行い、日本の国力を低下させた。それでも維新後に日本は自力本願に切り替え、幾度もの条約改正の末一応自立する事には成功した。しかし自立の喜びに酔いしれて天狗になり列強に喧嘩を売り始めるようになったため「お仕置き」されて骨抜きになってしまう。

上記の通り、日本は過去何度か国家として自立しようとしたことがあったが、いずれも敗戦やバブル崩壊によって大コケしてしまい、以降、「自立=悪」の他力本願至上主義が左右問わず蔓延している。

文化面においての他力本願[編集]

日本の漫画やアニメには他力本願を推奨している作品が数多く存在する。これらの作品は他力本願の経典として世界中に広まり、他力本願の信者を増やしている。以下にその一例を記述する。

ドラえもん[編集]

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ドラゴンボール[編集]

今や世界的な人気作品であるドラゴンボールでは、何十倍もの重力の中で修行していた自力本願の主人公がやがてはドラゴンボールがあるから何とかなると他力本願に傾倒してゆく変わり様が描かれている。それでもフリーザ編の辺りまではドラゴンボールを探す過程など主人公達が自力で頑張っている過程も描写されていたが、セル編以降は全く省かれてしまった。

他力本願と自力の境界線[編集]

どこに線引きをするか。そんなの人それぞれでいいじゃん、と言う声もある。事実、アンサイクロペディアンの八割はそう思っている。しかしそれでも線引きしたくなるのが人の性、以下に一例を記述する。

ギャンブル[編集]

パチンコは自力本願だが、競馬は他力本願である。何故なら、競馬は最終的な勝因を決めるのは馬の脚力であり、馬券を買った人々は経過を見守る事しかできないからである。しかし、勝って欲しくない馬に向かってライフル銃を発砲したり、その走行線上にバナナの皮を設置するなど、やろうと思えば自力で何かすることが出来ないとも言えない。一方で、パチンコは運に依存する面もあるものの、台選びやレバー操作によるテクニックが当たり外れの明暗を分けることも多少なりともある。さらに、台を蹴ったりゆすったりして玉を意図的に入れることも出来る。

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