京阪800系電車

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京阪800系電車 について、江ノ島電鉄

京阪800系電車は、1997年に登場した、京阪京津線京都市営地下鉄東西線ヘンタイ車両である。別名琵琶湖鉄道汽船100形電車と呼ばれていた車両であり、京阪電気鉄道琵琶湖鉄道汽船を乗っ取った後の名称である。

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概要[編集]

本来ならばこの車両が作られた経緯などを説明するため、この車両を所有していた琵琶湖鉄道汽船及び京阪電気鉄道の歴史を記載するべきであろうが、この記事においてはこれを記載すると「車両の記事であるのか鉄道会社の記事なのか不明」とみなされハフィング処分されてしまうため省略する。

この車両は昭和2年、琵琶湖を半周する高速鉄道として設計され、12両作成された[1]

しかし、その2年後、琵琶湖鉄道汽船は悪辣たる京阪電気鉄道に乗っ取られてしまい、船舶は子会社に分捕られてしまい、鉄道は親会社に略奪されてしまい、現在のような醜悪な名称にされてしまったのである。また、それに際して偏執的な改造を行われ、結果すべての車両が元の姿を失うことになった。

また、それらの改造及び第二次世界大戦による物資不足の折にも酷使されたため、昭和21年に車両改装工事を行った。

この車両が廃車となったのは製造後40年程度たった昭和41年から42年にかけて[2]である。

この車両の特徴として設計された当時としては近代的な外観を持ち、また座席についてもこの車両特有の形式をとっている(後述)。

それまで京津線で用いられていた京阪80系電車が老朽化により運用が難しくなったことにより、設計された車両である。4両編成が8本あるのみであるが、朝貢により[3]試作品の代金だけ払って残りを踏み倒したことにより、1編成分にあたる7億円[4]で全編成をコピー国産化したというたいへん廉価な車両[要出典]である。また、ワンマン化前は車幅灯はトラックと同じ部品を使用していたらしく[要出典]、故障時には車庫より近いカー用品店まで部品を調達していたらしい[要出典]

京阪800系

車両[編集]

この車両は当時としては一般的である木造車両であるものの、当時流行していた卵型と呼ばれる形式ではなく、かまぼこ型に近い箱型と言う当時としては斬新ともいえる形式[要出典]をとっていた。

また、座席はクロスシートロングシートが互い違いに配列されるという、この車両独特のものであった。

制御方式はvvvfインバータ制御を採用している。

地下鉄東西線への乗り入れに備えてATCやATOを搭載したほか、東西線各駅に設置されているホームドアにも対応した。京津線内では京阪形ATSを使用する。手動運転時における主幹制御器の力行ノッチは4段、常用ブレーキノッチは7段であるが、ATO使用時には力行・ブレーキともに31段の多段制御を行う。

併用軌道区間での二酸化炭素を排出する鉄の塊などとのグモが起こった際に車体の修復を容易にするため、軽合金車体主流の時代であるがあえて普通鋼製車体としている。部品の一部には自動車と共用のものを使用している。

この車両の電装品及び台車はすべて日立製であったとされ、新しい技術を使ったものも搭載されている[要出典]


運用[編集]

この車両の運用は以下、悪辣な鉄道会社により無駄に複雑な状況で運用されている。

琵琶湖鉄道汽船[編集]

この車両は高速鉄道として設計されたため、路面電車を運用している在来線を走ることが不可能であり、そのため新造された三井寺 - 坂本間のみで運用せざるを得なかった。本来ならば在来線に平行路線を引き、高速鉄道として運用されるはずであったが、この路線に関しては競争もあるため、それは難しかった。

京阪電気鉄道[編集]

別会社の機材ほど扱いにくいものはない。しかし、入手したのはくたびれた中古車両ではなく、新造の車両であるため、この会社は有効利用を考えた。

戦前[編集]

会社乗っ取りの後、しばらくは前会社と同様の運用を行ったものの、車両と路線のアンバランスはぬぐいきれなかった。そこで、この車両をほか路線に運用することを考えた。当初8台を別路線に運用する予定であったが、とりあえず6台をパンタグラフからトロリーポールに付け替え、ロックポール取り付けの上運用することにした。これらの車両は天満橋 - 守口間を中心に全路線で用いられた。昭和7年にはパンタグラフに再交換されたが、なぜか以前取り付けられた方向と逆方向に取り付けられた。また、連結器が取り付けられた。

残された6台は在来路線も走行可能なように改造されたが、昭和10年に2両が改造され、ほか路線に転出された。また同年、これら8両は2両運転にするため片運転台に改造される。さらには昭和15年、輸送力強化のため全席ロングシートに変更されている。

さらに残された4台はそのまま在来路線を運行していたものの、昭和15年に戦中の輸送状況悪化により、旧式車両と入れ替えの形でほかに送られ、ほかの8両と同様の改造を受け、使用されることとなった。

戦後[編集]

戦争中の共食い整備や資材不足等、車両に対するダメージはピークに達しており、さらには昭和21年、脱線転覆事故により一両が修理不能となったため、車体の整備を昭和21年から24年にかけて行うことになり、内修理不能となった相方の一両は両運転台に改められた。

この車両の運用に関しては、三条付近が地上を走行していた時代には京阪80型電車2両編成であったが、現在は「地下に2両編成の車両が突撃してくるのは恥ずかしい」というわけが判らない理由により、該当路線の乗客が減少しているにもかかわらず、無理矢理4両編成[5]にさせられた。現在は浜大津~四宮を除き全て東西線に直通し、浜大津~京都市役所前、浜大津~太秦天神川が交互に運転されている。また、浜大津~上栄町は国道161号線と合流し複々線区間となっている。

その後2両運用及び3両運用として運用されていたが、1959年には3両を両運転台に改め、3両運用できるようにしたものの、1963年に木造車である旧車両であることを理由に京阪線を追放され、交野線に転出。1966年から1967年にかけて老朽化のため全車廃車とされた。

現在は度重なる改造の末にアニメグッズと化し、エクストリーム・京都奈良3泊4日修学旅行の時、石山寺や三井寺、延暦寺に行く際にたまに使用される。しかしネジ一本ですらオリジナルの部品は残っていない。

本系列は京津線専用となっており石山坂本線での営業運転は行われていない。しかし運用の都合上、同路線の近江神宮前駅隣接の錦織車庫までの回送扱いとして浜大津 - 近江神宮前間も、また試運転では坂本駅 - 近江神宮前駅間を走行することもある。なお、島ノ関駅 - 石山寺は、大人の事情[6]により走行できない。

乗車位置[編集]

800系電車

  • 1、4号車(楽しいクロスシート)

対象 一般人初心者、ニワカ鉄ヲタなど

特徴 現状において他の鉄道では恐らくありえない、めまぐるしく変化する京津線[7]の車窓が(一部のヲタクにとっては)楽しむことが可能である。


  • 2、3号車(地獄のロングシート)

対象 プロ、上級者、鉄分を過剰摂取している人      

特徴 他の鉄道ではありえない、ロングシートによる前後左右に揺れまくりの旅を味わうことが出来、ジェットコースターでも味わうことが困難である京津線の揺れが楽しむことが(人によっては)可能である。 乗り物酔いしやすい人ならリバース必至の、この席をわざわざ選ぶヲタな乗客は、急加速、急減速、急カーブ時の動きを体で愉しみ、運転手の技量等を評価する。評価中乗客側が、通常運転にもかかわらず体勢を崩したり、となりの乗客に寄りかかった場合、乗客側が減点される。[8]

脚注[編集]

  1. ^ この形式により旧来の路線を走ることが出来ず、逆にこの形式が琵琶湖鉄道汽船の首を絞めた可能性も否定できない。
  2. ^ ただし、7号車に関しては昭和21年に脱線転覆事故を起こし修理不能となっている。
  3. ^ 実際は色々理由をつけてこれも踏み倒している[要出典]
  4. ^ 実はこの車両の価格はありえないほど高額である。下手な新幹線など目ではないくらい。
  5. ^ このくだらない理由のため軌道運転規則を曲げさせて併用軌道区間を4両編成で走行するという暴挙に出たとされる。
  6. ^ 悪辣な運営会社がトンネルの拡張を怠ったためこの車両が進入不能のためである。
  7. ^ 実はこの路線、京都市内から山中を走り滋賀県まで達する路線であるため、地下鉄路線を走り、山中を走り、トンネルを越え、60度越えと言う恐ろしいまでの高配が存在するところを越えるのである。
  8. ^ このロングシート席に関してはエクストリーム・ロングシートとして競技化が検討中とされるものの、現状においてエクストリーム・スポーツはこれ以上の増殖が認められないため、放置されている。

関連項目[編集]