京成電鉄

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この事業者はトロピカル連合構成事業者じゃゴルァ!!
車内では俺様が神、貴様はただの土砂じゃゴルァ!!

京成電鉄(けいせいでんてつ、Keisei Electric Railway)とは、千葉県市川市に本社を置く大手私鉄。いや、確かに名目上は一応大手私鉄である。トロピカル連合構成事業者

コーポレートスローガンは「いろんな(意味の)笑顔を結びたい」。

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概要[編集]

経緯[編集]

当初は押上を起点として千葉に至るという、東京-千葉間の電力走行を謳った都市鉄道計画であった。しかしながら、先行開業していた総武鉄道と営業エリアが競合することから、沿線に特色のあるものを配置して、新路線の存在を周知させることが重ねて検討された。

そこで目をつけたのが、押上にほど近い玉の井であった。大正に入ると遊郭として名を馳せ、永井荷風[1]ら著名人も足繁く通ったこの街を、新路線の目玉とすることに決定。本線から分岐して玉ノ井駅を通る支線(後の白髭線)を計画した。そして、こうした街の特色を、それまで未定であった社名および路線名にも冠することとなり、間接的な表現かつ響きの良さから、「傾城」(けいせい[2]を採用。社名を傾城電気軌道、路線名を傾城線と制定して、会社設立ならびに路線開業の準備が進められた。

しかし名称決定後程なくして、東京商工会議所より「『傾城』という名称の感覚、不埒かつ自壊の極み」という非難声明、および会社創立総会の中止通告が発せられた。これを受けて傾城側は、それら名称の使用を中止とし、社名・路線名は白紙状態となった。

ところが、すでに関係各所で配布・掲示された開業予告ポスターに「皆様の新しい足、ケイセイ線いよいよ開業」と記してしまったため、「けいせい」という読みが変えられないことが判明。直後に社内で開かれた経営戦略会議は「聞いてないよ!」などと大荒れとなった。そして激論の末、当て字の「京成」を採用することで決着。ここに京成電気軌道(後に現社名へ改名)が発足し、路線は京成線として正式開業した。開業後は計画通り、押上から東へ展開して千葉まで路線網を広げた。

しかし開業後程なくして、東京商工会議所より「『京成』という名称の所以、不自然かつ不可解の極み」という公開質問状、および会社の東商退会通告が発せられた。これを受けて京成側は、緊急諮問会議に出席することとなり、この名称問題を追及される。ここで京成側は回答に窮し、思わず「東京と成田を結ぶ」と発言した。

この発言は、東商側から「想定以上の積極的な経営姿勢」といった賞賛をもたらし、世間にも広く好意的に伝えられた。その一方で、京成側としては意図しない発言であったため、直後に社内で開かれた経営戦略会議は「聞いてないよ!」などと大荒れとなった。しかし、周囲の期待に背いて後戻りすることはもはや不可能という判断で決着。渋々、都心と成田へ線路を延ばす羽目になった。

概況[編集]

上記の経緯もあって、旧市街の中心部を突き抜けるルートを採用するも周囲に余裕が無く、カーブが非常に多い線形となった。結果としては、乗客・乗員・街中の人にとって命がけのエキサイティングなコースになった。青砥、京成高砂、京成小岩、市川真間、京成八幡、京成船橋などがその典型である。さらに、ゴーストタウンを突き抜ける京成幕張などは、ボブスレーやリュージュなどのコースを彷彿とさせるものとなった。

京成津田沼は、支線の千葉方面がほぼ直線に近い緩やかな構造であるのに対し、本線の成田方面がやけに大きな急カーブを描くという不自然極まりない配線構造である。これはまさしく上記の経緯を物語っている。成田方面はその後、成田街道沿いを避けた畑の真中を突っ走る。

また、上野 - 日暮里間の免許を取得していた筑波高速度電気鉄道をめぐる、東武鉄道との競争(後述)に勝利し、上野への伸延を果たした。ここまでは順調だったが、上野への接続地が、京成上野として隔離され、京成族の住みかとなってしまった。さらに、東側の延伸状況も、成田空港まで到達し、一方でチバラギニュータウンを目指したが、ちはら台を目指した時点で半分力尽きた。現在は抜け殻状態である。

ラインカラーはブルーとレッド。その色から、「冷静と情熱のあいだ」を目指しているのではないか、との憶測も飛んでいた。しかし、関係者によれば、「交通の静脈と動脈」をイメージしているという。「交通の静脈」は誰がどう考えても、致命的なミスである。

他の鉄道会社と交わることが趣味で、新京成北総芝山鉄道都営浅草線京急といった多種多様な会社と交わっている。そのため運輸界の火野正平という評価を得ている。

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1999年より、京成グループ全体のアピールを目的とした「BMK推進運動」(バカ丸出し京成推進運動)を実施している。加盟するトロピカル連合の性質を生かし、利用者とのコミュニケーションやサービス、接遇の向上(例:利用者が常時、駅員や従業員の顔色を窺うことができるサービスなど)を強化している。

最近、PASMO開始に伴って発行開始された「京成カード」のキャラクターに、多くの人がいろんな意味で気になっている。当の京成も気になり過ぎて、ついには車両のドアステッカーに思わず登場させてしまった。なお誤解されやすいが、『行け!稲中卓球部』には出演していない。

かつては直営のテーマパーク谷津遊園谷津駅付近に存在したが、禁則事項ですにより閉鎖。その後、谷津遊園の従業員らが再結成し、オリエント一のテーマパークオリエンタルランドを開設。オリエンタルランドは非常に経営状態がよく、親会社である京成電鉄にとって大きな資産となっていった、その矢先…(以降の悲劇の歴史については東京ディズニーリゾートを参照)

悲惨なる歴史[編集]

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ごめんなさい。ごめんなさい。
この時代ではお伝えできない事実が含まれていたため、対象箇所は消去しました。

路線[編集]

車輌[編集]

ここでは、京成電鉄の主な車輌について簡単に紹介する。

3300形
京成の古めかしさの象徴にして、最終兵器と目され、実力を発揮すると、会社側でも統制が困難であると考えられている。また、廃車寸前に不気味な光を放ったとの目撃証言も多く聞かれるという。2007年に、兄貴分だった3200形が依願退職したことに衝撃を受けたこともあってか、利用客の間では、光の威力がより増していると囁かれている。しかし、実力発揮寸前で廃車にされ、新製車輌に置き換えられるのが、お約束である。大槻義彦は、反武力思想のプライドから激怒して、オカルトとみなし、「物理的に不可能な光反応と言うが、あれはプラズマだ。」と猛烈な批判を展開した。そして2015年2月28日、退職し宗吾参道で重機のエサとなった。
3500形
整形後の姿
京成初のステンレス車輌。老化に対処すべく一部車輌が整形手術を敢行した。手術自体は驚異的な成功を収めたものの、ご承知の通り整形手術には健康保険が適用されないため、かなりの費用を要した。このため、手術は途中で中断されてしまい、手術を受けた車輌と受けられなかった車輌の間には、埋めがたい溝ができてしまった。近年多用される「勝ち組」「負け組」なる用語は、この3500形が発祥であるとされる。2013年4月1日より芝山鉄道にリースされた車両は、「勝ち組」の最先端を進んでおり、車体側面中央のKeiseiプレートの上に芝山鉄道のステッカーを貼られており、車体側面中央のK'SEI GROUPははがされている。なお、この例は整形手術が必ずしも幸せになる方法だとは限らない代表的な例として世間の注目を浴びた。しかし、大槻義彦は、“美は内面から”というプライドから激怒して、オカルトとみなし、「トレイン・ビューティー・コロシアム(略してTBC)と言うが、あれはプラズマだ。」と猛烈な批判を(以下省略)
3400形
廃車された初代スカイライナーAE形の足回り部を流用させ、鋼鉄を贅沢に使用してもらったおぼっちゃま。おまけに優等生の3700形と形状が似ているため、多方面からちやほやされている。しかし、甘やかされすぎたために性格的な欠陥が生じ、45km/h以下のスピードでは電気ブレーキが効かなくなるという、運転士にとっての鬼門の側面もあわせ持つ。大槻義彦は、教育パパとしてのプライドから激怒して、オカルトとみなし、「バカ息子と言うが、あれはプラズマだ。」と猛烈(以下省略)
3600形
例の6両編成
芝山鉄道にリースされた編成が2013年3月31日まで存在していたが、芝山鉄道線内にほとんど入らなかったため、ただのコスプレではないかとの疑惑が浮上していた。この議論に終止符を打つため、現在は京成電鉄に戻っている。色は芝山鉄道カラーのままで、完全なるコスプレ車となっている。ただし、何のコスプレかは、どの研究機関・調査会をもってしても不明であり、コミックマーケットでもその姿は未だ確認されていない。なお、ほぼ8連の中、唯一の6両編成については、全て先頭車両で構成されている。大槻義彦は、コミケ常連としてのプライドから激怒して、オカルトとみなし、「レイヤーと言うが、あれはプラズマだ。」と(以下省略)
3700形
京成の良心。仲間(編成)の数はピカイチで、健康的な優等生タイプ。ルックスも良くモテモテである。ただしあまりに優等生然としているため、某大型掲示板など一部では反感を買っているという。大槻義彦も、勉強小僧キャラとしてのプライドから激怒して、オカルトとみなし、「健康的なアイドルと言うが、あれはプラズマ(以下省略)
3000形(2代目)
出生理由については、専門家の間で様々な憶測が飛び交っているが、正確な事実は分かっていない。有力な説としては、廃車済みの初代3000形が、3700形の優等生ぶりに業を煮やし、怒りのあまり産業廃棄物処分場から甦ったというものである。新京成電鉄や北総鉄道など、京成グループ各社にも同型が波及していることや、飛行機のデザインがされた車両番号3050番台が「登場」したことなどが怒りの根拠だとされている。大槻義彦は、怒りキャラとしてのプライドから激怒して、オカルトとみなし、「怒りの鉄拳と言うが、あれはプ(以下省略)
AE100形
2代目スカイライナー用車輌で、ドイツ・ネオプラン製である。自分の期を悟っていると噂されており、車体を妙な霊気が渦巻いていたという証言がある。そのため近年、阪急とのトレード話が噂されている。しかし一部車両はもう重機の餌になっており、外された装置類はちゃっかり3700形の保守部品として流用されている。大槻義彦は、ヒューマニストとしてのプライドから激怒して、オカルトとみなし、「死の臭いと言うが、あれ(以下省略)
AE形(2代目)
歌舞伎の隈取のHMをつけたAE形
北越急行が160km/h運転を開始したり、JR西日本JR東日本新快速とか特別快速が130km/h運転をしたり、トンネルの反対側が120km/hでいきがっていたり、挙句につくばエクスプレスが130km/hで営業運転したついでに「将来はほくほく線並の160km/h出すべ」と言い出した。このため、「お前らのような若造共にばかりデカイ顔をされるのは癪に障る」と天界からAE形が戻ってきた。つくばエクスプレスに敵意むき出しで、最高速度は160km/hを出すと宣言。高速運転時の安全確保のため、前面にはモノアイを追加している。しかし、この半ばノリで言ってしまった最高速度は何気に大手私鉄では最高速度であるが、彼は気付いていない。どうやら彼の夢は速度というかトンネルの反対側級のアグロバティックな走りをしたい、ということらしい。設計した世界のカンサイ・ヤマモトによれば、隠し機能として、舞浜のくせものが武装した集団に襲撃された際に備え、人型巨大戦闘ロボットに変形して鎮圧任務につくことも可能だという。大槻義彦は、座右の銘は安全第一としてのプライドから激怒して、オカルトとみなし、「私鉄最速というが、(以下省略)

ゆかいな駅トピックス[編集]

以下に述べる駅たちは、項目にするとスタブ未満になることが決定しており、とても悲惨な存在にある。そのまま放置しておくのもアレなので、本節で採りあげることにする。

なお、「京成上野駅大佐倉駅はすでに項目がある」という指摘については、ここでは内緒である

京成上野駅の波瀾万丈伝[編集]

どうか、京成上野駅の項目も見届けてやってください。

1.上野延伸をめぐる競争[編集]

あらすじ
時は1930年。京成が上野延伸を目論んでいた頃、筑波(現・つくば市)から都心への鉄道を計画していた筑波高速度電気鉄道は上野 - 日暮里間の免許を取得し、筑波の勢力を上げる礎を築いた。このままでは成田に行きたがっている上野の民に不幸がおとずれる……「俺は筑波に行くために電車に乗ったんじゃねえ!!」「えーん!ママー成田はドコー?」……そんな光景なんか見たくない!京成は筑波高速度に決闘を宣言した。
しかし、京成にとって敵は一つだけではなかった。東武鉄道がこの戦いに名乗りを上げてきたのである。京成には、かつて浅草進出を東武に阻止された、苦い経験があった。あの時の無念、ここで晴らさずにいつ晴らす?もはや、これ以上の敗北は許されない状況となった。
強い決意と恨みを噛みしめながら、京成は上野接続を果たすため、上野の民の笑顔のため、そして己のプライドのため、決闘に挑むのであった……。
勝負形式
Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

2.京成上野駅の知られざる暗黒[編集]

京成上野駅は上野公園の地下にあり、JR上野駅とは少々距離があるため、乗換客はもっぱら隣の日暮里駅を利用している。なぜ、このような場所にターミナル駅を設置したのか?それには深い事情がある。

京成電鉄の前身である京成電気軌道は、名目上は一応、成田山新勝寺への参詣鉄道として計画されたことになっており、その成田山新勝寺はもともと、平将門の乱鎮定を目的として建立された寺院である。それに対して、起点となる東京の地霊は、その平将門である。将門の怨霊は実に強力であり、戦後首塚を壊そうとしたGHQが、最終的に工事を断念せざるを得なくなったほどである。

このため、京成の東京乗り入れは、すなわち平将門との戦いを意味した。京成の浅草乗り入れ失敗は、この戦いに敗れたためであるという。策に窮した京成は、上野公園に目をつけた。上野公園には、東照宮、大仏、稲荷、はては彰義隊など、様々な神霊が混在しており、東京の中でも、将門の力が十分に届かない一帯であると考えられた。そこで京成は、そのどさくさの中に紛れ込むことを思いついたのである。天皇の威光が非常に強かった戦前において、恩賜公園の地下を掘り返すなどという暴挙に等しい事業が承認されたのも、将門の力を抜きにして語ることはできない。

結果として、京成の思惑は当たり、上野を東京におけるターミナルとして確保することに成功した。

日暮里駅改良の舞台裏[編集]

上述のとおり、京成上野駅はその成立の背景からJR上野駅との乗換の便が悪く、JR線への乗換には主に日暮里駅が利用されており、京成の誇る“ツカエナイナー”ことスカイライナーも同駅に停車する。

このように、京成の玄関口としての役割が大きい日暮里駅であるが、鈴木新幹線の建設に伴って東北高崎線のホームが撤去されてしまい、利便性は大きく低下した。なお、常磐線のホームは現在も設置されている。このことからも、広くチバラキと称される千葉・茨城両県の密接さを垣間見ることができる。「千葉から見て茨城は東北」などという妄言にだまされてはならない。

2007年頃より上下線を別ホームとする大規模工事が行われ、2010年に竣工した。表向きは成田空港へ向かう旅客の増加に対応するためとされている。しかし、実際にはむしろ逆で、国外から聖都・秋葉原へ向かう外国人観光客をより取り込むための施策だといわれている。実の所はつくばエクスプレスに秋葉原駅が始発となり、京成ならぬ形勢逆転してしまったのは、ここでは内緒である

2008年には、日暮里・舎人ライナーが開業した。「舎人」とは、天皇・貴族に仕えた者をさす言葉であることから、同線の沿線はメイド・執事属性を持つ人々の聖地になると予想されており、より一層大きなお友達の利用が増加すると期待されている。彼らにとって、足立区が恵まれて来たとも言える。元々、北千住駅綾瀬駅を巧みに使う手もあるのだし。

関屋駅の長い春[編集]

京成関屋駅東武牛田駅とお見合いして80余年が過ぎているが、いまだお互いに駅名を変えずにいる。こういう理由でこんな状態が続いているのであるが、客にしてみればたまったものじゃない。駅名が違うばかりか、双方とも普通電車しか停まらないという暴挙にまで出ている。

「えっ、スカイライナー関屋停まんねえの?日光にも鬼怒川にも行けねえじゃん!」「えっ、スペーシア牛田停まんねえの?飛行機間に合わねえじゃん!」なんてことにならないよう事前に注意する必要がある。どうしてもアレだというのなら、新宿駅東京駅を経由してJR線を利用しよう。

無視されてゆく成田駅[編集]

京成の名前の通り、名目上は一応、成田を目指した京成電鉄であり、名目上は一応、成田山新勝寺を最終目標と定めていた。しかし、京成本線のほとんどの電車が佐倉止まりや成田スカイアクセス経由となってしまい、アクセス特急の数もほとんどなくなってしまった。また、昼間は金町線より少ない1時間3本しか止まらなくなってしまった。しかも、その全てが特急で、渋々と大佐倉に停車しながら、うすいなどに寄る場合は快速に乗り換えなければいけなくなってしまった。また、成田駅の駅自動放送も最近まで更新されず、八幡やうすいは駅名標が更新されているのに、成田駅はそのままである。今では成田空港と羽田空港に力を入れており、成田駅はどうでもいいという感じである。成田駅も、どんどん寂れていくのであろう。

さまよえる千葉駅[編集]

京成千葉駅は計3回も移転している。歴史から見ると肝が据わっていない駅だが、「それがどうした」と言われてしまうとこの話もおしまいである。

特に、最初の移転は、千葉市の都市計画担当者との折り合いが極めて悪かったためで、旧駅の跡地には中央公園が作られている。しかし秘跡などはない。もし、現在ここに駅があれば、千葉市民は千葉都市モノレール検閲により削除から解放されたはずである。

なお、1987年3月31日までは、現在の千葉中央駅が京成千葉駅を名乗り、現在の京成千葉駅は国鉄千葉駅前駅という名称だった。このような路面電車の電停のごとき駅名だったのは、千葉を路面電車が走っている大都市に見せかけるためであった。ちなみに「千葉中央」という駅名は、かつて駅近傍に存在した「セントラルプラザ」という商業施設にちなんで名づけられたが、セントラルプラザ閉鎖後の千葉中央駅の動向はお察し下さい[3]

なお、この件について詳しくは「京成千葉駅」を参照されたし。

謎の大佐倉駅[編集]

どうか、大佐倉駅の項目も見届けてやってください。

なぜ、ここに駅があるのか。なぜ、これが特急停車駅なのか。すべてがである。

……と、いうのが通説だが、あえて理由を探ってみる。普通に考えれば、各駅停車を設定するのが面倒くさいので、特急停車駅にしていると思うだろう。しかし、それは非常に軽率な思想である。数々の説が存在する中で、最も信憑性が高いといわれているのは、サクラ大戦(佐倉大戦)が関係しているという説である。京成族との戦いに敗れ、佐倉市の中心の座を持っていかれたJR族は、その報復として大佐倉に特急を止めるという案を考えた。停車駅が増えれば所要時間も当然のように増え、特に、東京方面から成田空港方面への速達電車で優位に立てる。そこで、検閲により削除した結果、この区間を日中特急だけの運行にして、やむなく同駅に止めさせることに成功する。京成側にとっては、大打撃とまではいかないが、まぁほんの少しは厄介になった。

……しかし、これはあくまで都市伝説として伝わる噂の一つであり、結局すべては闇の中、である。

見捨てられた京成成田駅[編集]

かつて京成成田駅は、スカイライナーも停車し繁盛していた京成のターミナル的存在であったが、成田スカイアクセス線開業と同時に徐々に寂れていった。

1990年代前半、成田空港や京成上野などの主要駅同様に最新式のLED発車標と放送装置が導入されたが、成田スカイアクセス線開業に伴い、押上・上野・日暮里・空港第2ビル・成田空港駅はフルカラータイプの最新鋭の案内装置に更新された。

八千代台駅の壊れた発車標(交換前)。文字が読めれば細かいことは気にしない。

残った八千代台駅と成田駅では引き続き古い案内装置が使われていたが、八千代台のLED発車標の劣化があまりにも酷かったため、なぜか京成津田沼と一緒にフルカラーのものに更新された。

2013年現在、京成線で唯一旧式の発車標と放送装置が使われているが、意外と機能はしっかりしており、英語での案内もスクロールしている。

また、放送は日本人のおばちゃんが流量な英語をしゃべって案内するタイプ(以前は成田空港等でも使われていた)であり、現在は成田駅だけに残っているので案外レアである。このおばちゃんは、「東成田」の英語発音(“ヒガスィナリィタァ”)はものすごく良いのだが、なぜか「芝山千代田」の発音がモロ日本語である。このおばちゃんも歳なので、ダイヤが乱れると処理についていけなくなり、無言になってしまう。また、定時出勤・退社を心がけているようで、朝6時から夜22時以外の時間は無言になってしまう。

会社側が新本社所在地となる京成八幡駅の更新に力を入れようとしていたことに、さすがの成田駅も怒り狂い、2013年の10月に1番線の土砂が崩れ落ち、会社に大規模なダメージを与えた。それにも関わらず、京成は今の成田駅より新しい八幡駅の発車標を新型のフルカラーに置き換えた。

驚いたことに、この記事が執筆されてから1か月後、成田駅の放送装置と発車標がフルカラーの最新のものに更新された。実は、成田駅の発車標更新等は2013年度の事業計画には書かれておらず、京成がこの記事を見て慌てて更新したのではないかと思われる。

ただ残念なことに、放送を担当していたおばちゃんは解雇されてしまった。今は八広駅だけで活躍しているが、英語放送は勿論の事、導入時期が違うので声のイントネーションも違っている。 90年から有名になったこの”京成おばさん”型放送は消滅に近い現状である。

駅名にこだわらない鉄道[編集]

駅名の改名はやたらに多い。物好きである。

「成田空港 → 東成田」という改名は成田空港への乗り入れが実現したため、まともな方である。「花輪 → センター競馬場 → 船橋競馬場」といった改名も比較的まともである。

しかし、「浜海岸 → 工学部前 → 黒砂 → みどり台」と改名された駅は、いつのまにか海岸から台地に移動してしまった。他にもあやふやな改名は続いており、現在の作業進捗率は60%程度である。

なお、「臼井 → うすい」という改名については、幼児の情操教育を目的としているため、日本政府の認可を唯一受けている。え?これは改名じゃない?正式名称は両方とも「京成臼井」って?細かいことは誰も気にしないからいいんだよ!

何にせよ、大学がもう所在しない詐欺駅発想ばかりなJR東急よりは柔軟な発想とも言え、大手関東私鉄なのに地味さ故の必死さも見え隠れしている。しかし、大佐倉駅だけは大人の事情で変える事が出来なかったのは前述通りと言えるので、お察し下さい

駅だけじゃないヨ!わくわくいろいろトピックス[編集]

京成ボロ伝説[編集]

京成の車輌はとにかくボロである。ひと昔前の方式である抵抗制御車の3300形が、羽田空港行きとして京急線内を快特運転をするのはよくあるブルガリアン・ジョークだとしても、初代スカイライナーの足回りを流用した3400形に至っては、地方私鉄も真っ青の長寿命となっている。関係者によれば、これらは懐古主義に基づいて行われているという。やはり、物好きである。

また、2011年3月14日は、東京電力計画停電により17時まで本線が運休。お隣りのJR成田線さんは終日ストライキをし、成田空港で足止めを食らった人たちは一斉に京成に駆けつけ、1番目に運転再開をした列車がよりによってこの3400形であった。乗客はすし詰めにされて、停車時にはオイルの悪臭に悶絶、冷房もつかずに乗客全員は汗だく。おまけに発車時、初代AEから受け継げられたチョッパ君で爆音を立てるなど、京成の懐古主義の性質がより際立つ結果となった。

また一時期、3200形が故障して6両編成が不足したときには、抵抗制御車とVVVF車を連結させて走るという難易度Eの大技「まぜるな危険」までも披露した(京成の社史には「森末慎二を越えた」と記載)。ちなみに、この「まぜるな危険」を得意技とする会社は、ほかに東武鉄道小田急電鉄があるが、これらは単に動力の違う編成同士を連結させただけの難易度Bであり、永久連結状態で1編成を作り出していたのは京成だけである。

この習慣が染み付いてしまっているため、新型の3000形を導入したときも、初めからオンボロに見える儀装が行われた。また、千葉線に乗り入れている新京成電鉄も一時期、懐古主義の荒波にのまれ、8000形の第1編成にレトロ塗装を実施したことがある。

なお、朝には芝山千代田発上野行きという、本線の始点(+α)終点間を走破する各駅停車が走行するが、この運用は6両編成のため、新3000系が投入されることがある。しかし、この時間帯は車両が不足しているため、8両の優等列車にボロ電が投入されることが多く、いかにオンボロ儀装をしていても、新3000系が新しく見えてしまう。かつてはこれを防止するために、1両を行商専用車両として運行し、田舎らしさを強調するようにしていた(後述)。

女性に優しいフェミニズム鉄道[編集]

千葉といえば、野菜や花を売る行商お嬢さんたちが有名だが、京成電鉄は、そんな行商女性を長きにわたってサポートしていたことでも有名である。大昔は、行商女性のためにわざわざ看板列車「開運」(スカイライナーの前身にあたる特急列車[4])用の車両を改装した、専用車両の投入なども行ってきた。その後改装した結果、普通の通勤電車みたいになったが、当時は画期的なアルミ車体を導入したのだから文句もなかったはずである。[5]

今はそのような専用車両は姿を消したが、今日の首都圏において女性専用車が導入されるはるか前に、行商女性専用車を導入してきた。京成電鉄は、旧酷電や他の大手民鉄よりも遙かに時代の先を読み、女性に優しいフェミニズム鉄道を実践してきた会社だったのである。

うっぷん晴らし[編集]

スカイライナーの運転は、すべての運転士が順番で行う。これによって退避列車運転時のイライラを最小にしているが、実は普通電車においても、京成津田沼 - 京成幕張間でJR総武観光船相手にうっぷん晴らしをしていて、千葉駅(京成千葉駅) - 津田沼駅(京成津田沼駅)間では駅数が2駅多いにもかかわらず、JR船と同じ所要時間で走破している。JR側は列車なのにクルーズ船だから仕方ないよね

2002年以前は空港第2ビル駅 - 成田空港駅間でも、京成に乗り入れた京急600系の赤い悪魔が、JRの赤い悪魔・成田エクスプレスと競争していた。加速力では圧倒的に京急のほうが有利だが、駅構内進入速度でどちらとも減速。結果的には引き分けとなった。

2013年の都落ち[編集]

以前の本社は、創業の地でもある押上に所在していた。しかしその外観は昭和時代に取り残された廃校舎のごとく熟成しきってしまい、建物内部についても地下階にある社員食堂のおばちゃんが休み時間に柱を支えていると言われたほどであった。加えてそのすぐ横では、長年の敵である東武鉄道によって次世代砲撃システム「東京スカイツリー」が建設され、地元からは冷戦以来の緊張がもたらされるのではと不安視する声が多くなった[6]

このように、徐々に居づらくなっていく状況の中、京成もついに空気を読んで、2013年9月に押上から撤退した。新本社の場所は市川市検閲により削除によって、京成八幡となり、まさかの都落ちと相成った(関東大手私鉄では、西武鉄道京王電鉄に続く)。

なお移転後の跡地は、15階建てのラブホテルを建設して賃貸収入にてやり過ごしている。こんなところにこれ以上、高層建築物を建てなくったって…

エクストリームスポーツ[編集]

首都圏の大手私鉄の例にならって、1998年度よりエクストリームスポーツ参加しているが、盛り上がりに欠けている。理由としては、競合する路線に乗客を多く奪われていることや、時間や会場の選定に欠点が多く見られることなどが挙げられる。このことが、京成船橋駅での大量下車・乗り換えの原因だと、一般では認識されている。

かけこみ乗車
平日朝ラッシュ時の京成船橋で行われるが、下車客が非常に多く、その後の乗車客にとっては余裕がありすぎて、競技のやりがいを失せてしまうパターンがほとんどである。ちなみに京成では、高得点者に対して賞金ではなく「新型スカイライナーフィギュア付きストラップ」をプレゼントしているが、受け取ろうとする参加者は今のところ、1人もいない。
過去には賞品に「タオル」、「ステーショナリーセット」、「お箸」をプレゼントしていたが、いずれも参加者が受け取った実績はない。
過剰定員
どれだけ積極的に乗り続けようとしても、やはり京成船橋駅や京成高砂駅あたりで下車・乗り換えが大量に生じる。すし詰めになることは理論上不可能のため、成績は最低水準ランクをさまよっている。
金町線が本線と直通していた時代、朝方に存在した金町駅始発の京成上野行きにおいては、半数は終点まで先行 + 高砂・青砥で、本線からの快特西馬込行きから連絡を受ける + こんな時代でも4両編成だったため、京成の中でも比較的好成績であった。
満員電車
乗客が少ないことから、「過剰定員」とは逆に成績が珍しく優秀レベル…になるはずだった。しかし、線形があまりにも危険で、沿線の治安も悪く、なぜか停止信号が頻繁に起こって、スペシャル・ステージ突入を繰り返すため、ギリギリラインで競技が成立しているくらい成績は悪い。2003年と2008年には、ついに競技不成立という事態が発生した。

その他のスポーツ[編集]

終電待ち
今、京成電鉄で一番ポピュラーなスポーツはこれである。押上駅では、23:35の次は24:11まで、本線方向の列車は来ない。また本線では、23時台に優等列車は無く、目的地へ着くためには利用客の気力と根性と150円(飲み物)を要する。
振替輸送
おとなりのJR千葉支社さんが地震や天候を理由に動かない時、JR民は殺気立つ雰囲気の中、規模の小さい京成西船駅や市川真間駅に押しかける。とっても狭い京成のホームから落ちずに電車を待っていられるかを競う。このため、京成民とJR民のバトルも発生する時がある。
しかし、2011年の東日本大震災の際、京成民側は「京成がこの程度の地震で運休するわけがない」と過信して余裕をぶっこいていたが、実際には東京電力からの送電が停止されて運行不可能な状況になっており、彼らのプライドもズタズタとなった。ただし心の友の京急さんは守りきった気がする。
雪中行進訓練
列車自身が訓練する画期的なスポーツ。2014年2月の豪雪によって京成線全線のレールが完全に雪中に埋没した中、スカートを持つ3500形更新車および3700形(3841編成)が走ることとなった。除雪車としての真価を問う訓練として、その実力を試されたのである。
この模様は地上から、そして空からテレビ中継され、“除雪もできる京成電車”として、その名を高める結果となった。

脚注[編集]

  1. ^ 著作『ぼく東奇譚』に廃線直後の白髭線を登場させてノスタルジーに浸ってみたり、晩年は京成八幡付近に移住してカツ丼に舌鼓を打っていた。彼も典型的な京成族だったのである。
  2. ^ 遊女を指す。美しさに夢中のあまり政を忘れて、自分の城が滅びてしまうという意味。
  3. ^ 地元民はスターバックスがあると主張するが、今やあまりステータスにならない。
  4. ^ 当時は、成田に空港ができるなんて思いもよらなかったに違いない。
  5. ^ ただし、なぜか青電と呼ばれたねずみ色のオンボロ電車に挟まれて運行されていた。
  6. ^ しかし実状は、新タワーの誘致推進協議会に、京成も幹事会員としてちゃっかり協力していた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


東西線で押しくらまんじゅう.jpg この「京成電鉄」は、延伸の案が出ています。延伸して下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ)