井伊直親

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井伊直親(いい なおちか、1535(天文4)年-1562(永禄5)年1月18日)とは、遠江の民話『タカを産んだトンビ』のモデル(トンビの方)として知られる遠江のかませ犬である。

人物[編集]

成長した赤鬼・直政の雄姿。
現存する直親の首級。その無念が偲ばれる。

徳川四天王の一人にして井伊の赤鬼こと井伊直政(いい なおまさ)の父として知られる直親だが、残念なことに直政の華々しい功績に埋もれがちである。が、彼だって彼なりに歩んできた人生があり、生きただけ重ねてきた恥だって残されているのは言うまでもない。以下、彼が歴史の片隅に刻みつけた武勇伝の数々である。

  1. 1544(天文13)年に父・井伊直満(いい なおみつ)が主君である今川義元に処刑されたが、実は直親が父に「エロ本を没収された」ことを恨んで讒訴(密告)した事によるものであった。
  2. そして父を告発したことによって下賜された賞金で再びエロ本を購入したが、今度は義元から親不孝の罪で逮捕状を突きつけられたために信濃へ逃亡した。
  3. 逃亡中、得意の笛でストリートミュージシャンとして糊口をしのぎ、転がり込んだとある古刹で生臭坊主をXXXXXし、檀家からお布施をだまし取って巨万の富を築き上げた。
  4. その後に元服した直親は1555(弘治元)年に整形手術を受け、素知らぬ顔で故郷・井伊谷(いいヶだに)へと舞い戻るが、誰も彼の存在に気づかなかった
  5. そして1560(永禄3)年の桶狭間の戦いでは織田信長に内通し、背後から養父であった井伊直盛(いい なおもり)を殺害、やはり素知らぬ顔をして晴れて井伊家の第23代当主として家督を継承した。
  6. それから1561(永禄4)年、ついにトンビがタカを何とやら、井伊直政(幼名・虎松)が生まれるが、後頭部の小さなコブを角に見立てて「これは鬼子じゃ、殺せ!」と厳命したものの、結局周囲の反対によって思いとどまった。
  7. しかし、とうとう焼きが回ったのか翌1562(永禄5)年に今川氏真から謀反を疑われ(と言うか、実際に裏切っているし)、その刺客である朝比奈泰朝によって暗殺された。享年28歳。

彼の死後、家督は直盛の娘である井伊直虎(いい なおとら)によって継承(第24代当主)され、彼女はまだ幼かった虎松を立派に育て上げ、お家再興を果たした上で直政に家督を譲り渡した(第25代当主)のであった。これらのエピソードを全部入りにして水増しした物語こそかの『タカを産んだトンビ』であり、その上巻には直親自身のいわゆるなかったことにしたい生涯が描かれており、その下巻は直親の死後、直虎が混迷する井伊家の家督を継いで立て直し、幼い虎松を立派な武将に育て上げて家督を譲り渡すまでのエピソードが描かれていると言われているが、その原本は残されておらず、ただ伝説によってのみ言い伝えられている。

関連項目[編集]