井伊直虎

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索

井伊 直虎(いい なおとら、生年不明 - 天正10年8月26日(1582年9月12日))は、遠州の名族・井伊氏の第24代目当主である。女性説がささやかれている他の武将たち(よくある話で上杉謙信織田信長ほか)とは異なり、こちらはリアルに女性である(但し別人の男性説が浮上:後述)。生涯未婚。戦国一の美男子と名高い井伊直政の義母(親戚)と名高い上、2017年NHK大河ドラマの主人公となったので、信長様や家康様を上回る美化合戦(例えば画像のような)が起きることだろう。

人生[編集]

実物はこんなに可愛くないが、こ、これはあくまで美形の私だ。け、決して見栄を張ったりしている訳ではないんだからねッ!
それよりこれを見てくれ。……わ、私の自慢の息子だ。どうだ、立派な若武者に育っただろう? 武勇に轟く赤備えを家康殿から拝領したんだ。 あぁ、直政こそ一族の誇りだ……

井伊直盛友椿尼(ゆうしゅんに)との間に生まれたこと以外、彼女の出生に関する詳細は不明である。ただ、仏門に帰依した友椿尼がアーン♥♥しようなどと考える筈もない[不要出典]為、さしあたって直盛がどこぞで作って来ちゃった子どもをしぶしぶ引き取らざるを得なかった……というのが真相であろうというのが声なき声による定説である。それも男の子であればまだしも、まったく残念なことに女の子である。おまけに友椿尼はどうやら不妊症らしく……そこで仕方なく、この子を次郎法師(ジローラモ)と名づけた上で男の子として育てる事としたのであった。

どうにか辻褄を合わせるために父・直盛の従兄弟にあたる井伊直親と婚約を交わさせ、やれやれこれで安泰かと思いきや、天文13(1544)年に直親の父・井伊直満今川義元にあらぬ疑いによって(直満から見て)弟の井伊直義もろとも粛清されてしまうと、その混乱に紛れて直親は父と叔父を見捨てて信濃国へ遁走してしまい、縁談はなかったこととなってしまったのであった。

更に間の悪いことに、律儀な次郎法師は一縷の望みと乙女のプライドを賭けて髪全部剃って直親の帰りを待ち続けていたにも関わらず、直親の方はと言うと嫁を現地調達(土豪・奥山親朝の娘)していた事が発覚、あわれ結婚適齢期をとうに過ぎてしまったのであった。そのトラウマから「もう結婚なんてしないっ!」とその場の勢いで宣言すると、幸か不幸か彼女の純潔は生涯にわたって守られることとなってしまったのであった。

その後、父・直盛が永禄3(1560)年、桶狭間の戦いにおいて戦死すると、ぬけぬけと遠州へ舞い戻った直親がちゃっかり当主の座(23代目)に就いたのはまぁ見逃すとした次郎法師であったが、永禄5年(1562)年に今度はその直親が今川氏真によって処刑されてしまうのであった。父・直満は今川家々老の小野道高(政直)の讒言によって処刑され、今度は子の直親が道高の子である小野道好[1]の讒言によって処刑されるという偶然ぶり、おまけに処刑した主君今川家も親子(義元、氏真)とあって、ここまで重なると、もはや偶然ではなく必然むしろ陰謀ではないかと勘ぐるのも無理からぬところである。

ともあれ何とか井伊家を立て直そうと生き残った面子で奮闘するものの、永禄6(1563)年には曾祖父である井伊直平が犬居城攻略の遠征途上に毒殺(今川家臣・飯尾連竜妻・お田鶴の方の仕業とされる)されると、一家の大黒柱を失った井伊家は大混乱に陥り、どうにか持ちこたえようと奔走した重臣の新野左馬助中野越後守の両名が過労死してしまうと、もはや井伊家の命運は風前の灯であった。そんなてんやわんやの頼りない男たちの混乱を尻目に、当主のなり手(適齢期の男児)がいなかったため、慌てて井伊家当主(第24代目)に祭り上げられた次郎法師は、ここへ来てようやく名前も直虎なおとら)と改名させたのが永禄8(1565)年のことであった。

しかし「女地頭の支配なんか受けてられっかよ!」とばかりに小野道好が決定的に反旗を翻した永禄11(1568)年、井伊家の居城であった井伊谷城を奪われてしまうが、忠誠心篤く、道好の専横を苦々しく思っていた井伊谷三人衆近藤康用鈴木重時菅沼忠久)の奮闘と徳川家康[2]の助力によって井伊谷城の奪還に成功、ついに元亀元(1570)年、一族の仇敵であった小野道好をとらえ、怨念を晴らすかのようにじわじわとなぶり殺しにしたのは言うまでもない話である。

こうして一族の仇を討ち果たした直虎は、井伊直満の処刑以来、ずっとガタガタになっていた井伊家の惨状(これを史家は『遠州錯乱(1544~1570年)』と呼ぶ)をすっかり回復し、元婚約者の忘れ形見・井伊直政を養子に迎え、未婚のとして立派に育て上げた。

そして天正3(1575)年、直政が元服すると家督を譲り渡して自身は後見人となったが、すっかり頼れる男の中の男に成長していた直政を見て「もう自分の使命は終わったのだ」と悟り、それを機として出家、祐圓尼(ゆうえんに)と称して安らかな余生を送るのであった。

直虎別人説[編集]

前述通り、2017年の大河ドラマに決まったわけだが、その放送直前、「直虎は『次郎法師』とは次郎違いの別人(親戚)で、男(井伊次郎)だった」という出だしを前にミソを付けるような説が発表される。しかも発表したのが、井伊美術館館長にして井伊の分家「兵部少輔家」の嫡流とはいいつつも旧姓を中村という血のつながりは全くないムコ養子である井伊達夫氏であったことからNHKは戦々恐々とし、歴史学者であるがメインはあくまで今川氏静岡県周辺の歴史研究であって、他の地域や大名の歴史に関してはかなり認識不足と言わざるを得ない局面が多々あるにもかかわらず、どういうわけか戦国時代を舞台にした大河ドラマの歴史考証担当に選ばれがちなNHKとの関係ズブズブの小和田哲男氏を介して、「女であった説も捨てきれない」という認識を流布、何事も無かったかのような体で放送を開始した。

脚注[編集]

  1. ^ 『おんな城主直虎』では「小野但馬守政次」だがここではウィキペディアの表記に倣う。
  2. ^ 正室・築山殿(瀬奈)は直盛の従妹である。しかし井伊家のDNAは気が短い所ばかり遺伝してしまったようである。残り半分の血が今川家だったのもねえ…。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「井伊直虎」の項目を執筆しています。
にーこにっこどーが♪
ニコニコ動画中毒患者のために、ニコニコ大百科ではニコ厨たちがお金をかけてまで「井伊直虎」の項目を執筆してくれています。
Pixiv
同人マニアのために、ピクシブ百科事典では同人ゴロとその愉快な仲間たちが「井伊直虎」の記事を執筆しています。