九鬼嘉隆

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面妖な兜を被っているが、これはフック船長から贈呈された友情の証である。

九鬼 嘉隆(くき よしたか ,1542年 - 1600年)は戦国時代の海賊、海軍軍人、水泳選手。通称九鬼船長。九鬼と言う名字からも分かる通り鬼が九人がかりでかかっても敵わない豪傑である。元々は競艇で活躍するスポーツ選手だったが、不祥事によって凋落、その後逍遥していたところを織田信長によって見出され武将に転身するという、下剋上の戦国時代にあっても異例の出世を遂げた男である。人脈が深く、竜宮城乙姫フック船長ヘクター・バルボッサなどと懇意の仲であった。造船技術にも長け、日本で始めて潜水艦や駆逐艦を造った事で知られているが、後に九鬼氏が内陸に封ぜられた際、水軍の技術が新たに入ってくる大名の手に亘る事を嫌がった藩主によって無数の潜水艦や設計所、造船技術が破棄され、その全てが闇に葬られた。

九鬼嘉隆は村上武吉と共に日本の海賊大名の嚆矢であり、海賊のロマンと美学を普及させた功労者として知られる。後世、彼に倣って自分も一儲けせんと大海原に駆り出して海の藻屑となった勘違いの数は計り知れない。一方で所詮海賊は船港を襲い強奪を繰り返す犯罪者に過ぎず彼もその一人(略奪は海賊の営為、無論嘉隆とて行っている)、華々しい戦歴は認めても不必要に美化されすぎていると非難する声もある。なお海賊大名と呼ばれる事があるが彼に言わせれば本業は海賊なので大名海賊と呼ぶのが正しいらしい。

ちなみに土佐の自称西海の鬼で日本史上最初の海賊とはどうやら嘉隆自身は面識が無いようだ。 海賊同士なんだから一度会ってみてもよかったのに


生涯[編集]

尚、彼のイケメン姿もたまに拝むこともできる

元々九鬼氏は代々競艇の選手であり、九鬼嘉隆は兄の九鬼浄隆と共に五本の指に入る選手として知られ、潜在的な能力では兄をも凌駕する九鬼家始まって以来の逸材と持て囃されていた。嘉隆は競艇のレースで得た賞金で競艇学校を開き、次世代を担う多くの選手の要請にも励んだ。九鬼一族と彼らが運営する養成所から輩出した競艇選手達は九鬼水軍と呼ばれ畏怖の対象とされた。一方で嘉隆は造船技術にも長け、多数の戦艦を造艦。一競艇選手でありながら一国に匹敵する軍事力を保有していたが、このため伊勢の守護北畠氏から危険視されるようになり、また競艇選手としてのめまぐるしい活躍が周囲の嫉視を招く。

1560年、嘉隆の兄浄隆の艇がレース中に突如爆発炎上し、浄隆は帰らぬ人となる。調査の結果、浄隆の艇に改造が施されていた事が明らかとなる。浄隆の死は九鬼家を嫉ましく思う他の選手か誰かが艇に改造を施したためだと当時から風評があったが、九鬼家の一人勝ちを嫉ましく思っていたスポンサー達はここぞとばかりに九鬼一党の排斥に躍起となる。不幸にも嘉隆はこれに拍車をかけてしまうこととなる。兄は謀殺されたと信じる嘉隆は復讐に躍起となり、魚雷を使って疑わしきライバル選手達を悉く爆殺してしまったのである。結果、嘉隆初め九鬼一党は競艇界を永久追放されてしまうばかりか逮捕状まで突きつけられ凋落、逃避行の日々を送る。

選手生命を永遠に絶たれた嘉隆は、潜水艦の魚雷で商人の運搬船を撃沈させて積荷を奪ったり、郎党を率いて略奪行為を行う海賊にまで落魄れていた。そんな折、旧知の仲である滝川一益がプータローに落魄れた嘉隆の身の上を案じ、自らも仕える織田信長への仕官を斡旋しようと談合を持ちかける。この時一益は信長から水軍の補強をしたいと話を持ちかけられ、旧知である嘉隆を味方に取り込もうとしていたのだ。しかし、信長が魔王のような男だという風評を耳にしていた嘉隆は、いくら海賊の俺とて魔王に顎で使われるのは勘弁して欲しいと拒否する。一益から嘉隆が仕官を拒否したと知らせを受けた信長は直々に九鬼水軍の元へ赴かんと、九鬼水軍の出没地域に船を運び、嘉隆を誘った。果たして嘉隆はこれに引っかかり、いつもの手筈通り郎党を率いて一隻の船を襲撃、信長に返り討ちにされる。いかに九鬼一党が精強な海賊と言えど魔王信長の前ではゴロツキに過ぎず、コテンパンに叩きのめされ嘉隆らは這う這うの体で遁走する。実はこの時信長は伊勢北畠攻略の為に九鬼水軍を味方に引き入れようとしており、むしろ目的の人物が向こうから訪れてきたことに手間が省けて上機嫌だったのだが、そんな事は嘉隆が知るはずもなく、九鬼水軍は全速全身で舟を漕ぎ逃走する。しかし九鬼水軍とコンタクトを取りたい信長は海に飛び込み、泳いで九鬼水軍を追跡、想像を絶する速さで肉迫する。嘉隆は最後の手段として魚雷での撃沈を試みるが、信長は発射された魚雷を何と丸呑みにしてしまう。抵抗しても叶わないと悟った嘉隆は死を覚悟で白旗を揚げ降伏した。嘉隆は信長が激怒しているとばかり思っていたため、初対面の信長がやたらと上機嫌だった事に驚いたという。この後、彼は滝川一益と共に織田家における水軍の統率を任される。

武勇伝[編集]

  • 盟友フック船長を手助けするべく遠路遙々ネバーランドへ向い共にピーターパンと戦う。
  • 泳ぎも得意で瀬戸内海を横断することは朝飯前。
  • 派手好きな性格で自分の戦艦に派手なデコレーションを施した。その為敵にとってはいい的になってしまうこともある。
  • 嵐の海でダイオウイカとタイマン勝負をし足を一本もぎ取った。その足は今でも鳥羽に保管されている。
  • 領内に造船所を持ち空母まで所有していた。毛利水軍との合戦の際は戦艦150隻を指揮して大暴れし毛利水軍を討ち破った。
  • 名前が九鬼である為節分の日には通常の九倍の豆を投げつけられた。
  • 漁ってはいけない鯨を勝手に取ったとかの理由で動物愛護団体から追いまわされている。
  • 水泳の世界選手権に飛び入り参加したがあまりに泳ぐスピードが早すぎた為半漁人と身間違えられて網で一網打尽に。
みなさん、松平です。 この項目「九鬼嘉隆」は、日本史に関連した企画書ですが放送日が迫っています。アンサイクロペディアではその時でないのに歴史が松平アナを動かす! (Portal:スタブ)