九州王朝

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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九州王朝(きゅうしゅうおうちょう)とは、現代日本のタブーであり、この説を唱える者は天皇陛下を冒涜するものとして不敬罪に問われ公安警察によって逮捕される。したがって、この説の研究者は迫害を逃れ地下にもぐりトンネル内で生活を送っている。説の内容も一般には非公開であり極秘である。

古代において太宰府を皇居に日本を支配し、また明治時代から再び日本に舞い戻った皇朝である。九州王朝を倒して新たに日本の覇者となった後代の天皇が歴史から闇に葬ってしまったが『東日流外三郡誌』、『百済書紀』といった真実の歴史書が発掘され今日ではその実在が確認されている。

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なお、本来は九州皇朝と呼ぶべきものを九州王朝というのは、チャールズ王太子がチャールズ皇太子といわれるのと同じ理由による。

目次

[編集] 歴史

(前略)

[編集] 天公乎富等の乱(大和王朝では筑紫国造磐井の乱)~継体・欽明朝の内乱

天公乎富等(あめのきみおおど、後の継体大王)、大伴金村物部麁鹿火許勢男人らは謀って武烈大王を暗殺し、反乱を起こした。武烈大王の嫡子・磐井王新羅の救援を取り付けたが、実の子・葛子王の裏切りにあいその命を奪われてしまう(筑紫国造磐井の乱)。しかし磐井王の弟・欽明大王(諱不明)が王位を継ぎ、ついに反乱勢力の打倒に成功する(継体・欽明朝の内乱)。『日本書紀』ではわずか1年で乱が鎮圧したかのように書かれているが、継体大王、安閑大王宣化大王と反乱軍3代に渡る長きの戦いだったのである。

[編集] 蘇我馬子の乱

継体・欽明朝の内乱をきっかけに外交の重要度が増し、蘇我馬子仏教の布教を推進する。そんな折、物部守屋は反乱勢力と結んで戦を起こし、蘇我馬子がそれを鎮圧した。しかし崇峻大王は馬子も反乱勢力と結んでいるのではないか、と疑心暗鬼にとらわれ馬子暗殺を計画する。そこで馬子は額田部皇女(後の推古天皇)と相談して崇峻大王をお隠しした。不徳の君が臣下にお隠しされることは遠く異朝をうかがえば幽王にもあったことであり、異例ではあるが前例がなかったわけではない。また、その直後に聖徳太子によって天皇という呼称が取り入れられた。

[編集] 大火の大乱(大和王朝では大化の改新

中華帝国の王朝がからへと移り、唐の計略によって旧親隋派の国々では親唐派による革命クーデターが同時多発し、これは日本も例外ではなかった。天大兄(あめのおおえ、天葛城(あめのかつらぎ)とも)は百済皇子・扶余豊璋(後の中臣鎌子)と結んで重臣・蘇我入鹿を暗殺した(乙氏の変)。急遽首皇子が皇位を継ぎ孝徳天皇となり、当時は蘇我氏の勢力圏のど真ん中であった難波宮に移る。しかし反乱勢力は飛鳥に城を構えて要人暗殺を繰り返し、ついに九州王朝を倒してしまう(大化の改新)。

[編集] 壬申の乱

皇統簒奪に成功した天大兄(天智天皇)ではあったが、斉明天皇の時代では都が不審火で燃えるなど、その勢力基盤はまだゆるいものであった。いったんは安定期に入ったように見えたが、天智天皇の崩御後すぐに九州王朝の生き残りである大海人皇子(天武天皇)がその圧倒的なカリスマ性をもって皇位の奪還に成功する(壬申の乱)。しかし天武天皇の崩御後はまたしても藤原鎌足の子である藤原不比等の助力のよって天氏の反乱が起き、今度こそ大和王朝が不動のものとなってしまう。

[編集] 藤原広嗣の乱

奈良時代には既に九州王朝はその歴史を消しきられてしまいかけていたが、藤原氏の内乱によって擁立されることとなる。太宰府に左遷された藤原広嗣は九州王朝の末裔を立てて逆賊・大和王朝の打倒を目指した(藤原広嗣の乱)。しかしこれは大和王朝に鎮圧されてしまった。

[編集] 明治維新

古代から近世にかけて実に千年以上も歴史から姿をくらましていた九州王朝だが、薩摩長州など九州隼人の助力を得てついに大和王朝の睦仁を廃し、九州王朝の末裔である寅之祐王が皇位に就く。しかし、当時は性急な社会整備が必要とされていたので、寅之祐王は睦人だということにし、このことは一般人には秘密にされた。2007年3月12日現在もまだ明らかにされていないが、近々、天皇陛下じきじきにお言葉がある予定である。

[編集] 邪魔大王国の侵略

考古学者・司馬遷次郎は、古代日本を支配した九州王朝が、「邪魔大王国(じゃまたいおうこく)」として復活した事を察知した。そのため遷次郎は「女王ヒミカ」の放った「ハニワ幻人」の襲撃を受ける。優秀な科学者でもある彼は、死の間際、コンピュータに自身の意識と記憶を移し替える。一方、カーレースで大事故を起こしながら無傷であった息子・宙は、既にサイボーグへと改造されていたことを父に告げられる。彼を頭部とする巨大ロボット「鋼鉄ジーグ」は、日本の支配をもくろむ邪魔大王国に立ち向かい、見事撃退した。

[編集] 遺跡

九州王朝の遺跡といえばなんといっても太宰府が有名である。これは日本最古の条坊制を取り入れた都市で、四神相応の地に建設された。あの菅原道真公も太宰府の風水パワーを元に藤原時平らに復讐を果たしたのである。

[編集] 九州王朝虚構説

九州王朝は存在しなかったとかいう不逞の輩がいるようだが、それは全て大和王朝にすがりつく逆賊か強者の弱者に対する圧力であるため、耳を傾けてはいけない。なお、九州王朝説は弱者の味方・日本共産党から支持されており、各国の共産党員やもちろん朝鮮民主主義人民共和国からの支援も得ている。上述の邪魔大王国の侵略の事件については、「ぼくの村の話」で有名なヒューマンな作家、尾瀬あきらが執筆して、日本政府の卑劣な行い、核兵器廃絶、自衛隊はDQNといった訴えを述べている。

[編集] 参考文献

  • 関裕二、『大化改新の謎―闇に葬られた衝撃の真相』、PHP文庫、2002年、ISBN 4569577679

[編集] 関連項目