丹羽長秀

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「ダッシュでパン買って来い。」
丹羽長秀 について、織田信長
「人質受け取って来い。ダッシュで」
丹羽長秀 について、織田信長
「ダッシュで茶器買って来い。これ代金」
丹羽長秀 について、織田信長
「安土に城建てるから。もちろんダッシュで。」
丹羽長秀 について、織田信長
「はい、もちろんダッシュでやらせていただきます」
馬揃え について、丹羽長秀
丹羽長秀。信長の部下とはいえ恐ろしいぜ・・・・

丹羽 長秀(にわ ながひで、1535年 - 1585年)は、元々織田信長のペットの鶏でありながら、「米五郎左」の異名をとるほどの卓越した経済手腕で戦国時代に活躍した最強のお米屋さんである。米穀販売業のみにとどまらず後に建築などの多角経営に成功している。一方で、米代を払わない不逞の輩には嘴で顔面を陥没させるまで突く力強さもあった事から「鬼五郎左」の異名もある。その腕力を見込まれ、副業として武将になり、織田信長の忠実なポチ(否、鳥だからコッコと呼ぶべきか)として召抱えられた。鳴き声は当然「コケコッコー」である。

経歴[編集]

「織田」と名前のつくチンピラどもが仲間割れを繰り返す厄介な国である尾張において、牧舎の鶏小屋で丹羽長秀は誕生した。一説によると金色の卵から生まれたとも言われるが、こんな地味な武将が煌びやかな金色の卵から生まれるわけがないので大方創作であろう。もともと斯波氏の元で飼育されていたが、当主の斯波義統織田信友らの謀反によって家畜に餌をやる余裕さえなかったため、長秀を初めとする家畜達は餓死寸前まで痩せこけてしまう。そして例え生き延びる事ができても、家畜である手前、いつかはミンチにされて食卓に並べられるのがオチなのだ。そんな生涯絶対嫌だと思った長秀は脱走を決意。同胞の家畜達と共に逃走を図るが、長秀の鶏冠が目立ちすぎたため逃走が露見してしまう。長秀らは死に物狂いで遁走したが、追ってとの戦闘や山奥を闘争中に遭遇した狩人との激闘で多くの仲間が命を落とし、長秀も重傷を負って仲間とはぐれてしまう。それでも一命こそ取り留めた長秀だが、得る糧もなく、あわや行き倒れの危機に瀕していた。しかし頭脳明晰な長秀は尾張が肥沃な農業地帯であることに注目し米穀の販売業を起こし、幼少の頃人間から見よう見まねで覚えた算盤勘定の技術もあって成功を収めた。この頃、長秀は商売がうまくいったことに気をよくし、猿の木下藤吉郎、うりぼうの池田恒興など悪い友人たちと付き合いだすようになる。そしてその悪い友人の親玉がウツケ殿であり、当時寝不足に悩まされていた信長から「俺の目覚まし時計になれ」と下僕となる事を強要される。この運命の出会い以降、長秀は信長の手下A兼目覚まし係として活躍する。朝方信長がうつらうつらしているところを「コケコッコー」と甲高い声で鳴いて起こすのが長秀の日課となった。もはや米屋ではなくただのパシリも同然である。この頃から長秀は、桃太郎の三匹の手下、犬(前田利家)、猿(木下藤吉郎)に合わせて「雉」と呼ばれるようになった。「雉も鳴かずば撃たれまい」と言う諺を知っていた長秀は、雉と呼ばれて、目立ち過ぎると殺すぞと脅迫されていると思い込み、極力目立たないように細心の注意を払った結果、ますます地味な存在となってゆく。

しかしながら織田家が桶狭間の戦い・稲葉山攻略などで勢力を拡大すると、信長の信望の厚い長秀に運が回ってくる。勢力範囲が増えれば増えるほど扱う米が増えてきた丹羽家は莫大な儲けを得ることになったのである。長秀が一介の米屋(しかも鶏)であるのに武将のように現代に伝えられるのは、「各地に商売に行くのにただの米屋では舐められる、武張っていけば舐められない」という深謀遠慮があったため、あえて武士の真似事をしていたためである。鶏の分際で長秀は帯刀し、本人の目立たなさに反して目立ちすぎるその鶏冠を髷で結って武士を気取っていたが、あまりの似合わなさに失笑を買うばかりであった。少しでも驚くと全身に鳥肌が立ってしまうほどの小心者であったが、最も恐れる信長から一喝されると恐怖を通り越して発狂してしまい、奇声を発しながら物凄い勢いで敵に突っ込んでいくので、世間には「勇敢な武士」と生涯勘違いされていた。信長はこの便利屋のような長秀を手元に置き、他の将のような軍団長としては使用せず、こき使った。彼の知行が同輩の明智光秀達に比べて低いのは米の売買で儲けているためである。

織田信長が本能寺で非業の死を遂げた後は、一瞬放心状態になったが、トリ頭の彼は三歩歩いて主君を失った悲しみをすぐに忘れた。その後秀吉に「俺に従えば今後も米屋を続けさせてやるぞ」といわれたため秀吉に付き従うことになる。しかしこれが長秀にとって最大の不運となる。頭の上がらない信長が死んだのに今度は秀吉にナメられる羽目となった長秀はついにキレて自領である福井県に引きこもり胃癌で亡くなる。辞世の歌も勿論「コケコッコー」であった。長秀なきあとも丹羽家は秀吉に舐められ続け、最後には所領を没収され、江戸時代に入るまで大規模な米店を開くことはできなかった。

エピソード[編集]

  • 不細工ともイケメンともいえない微妙な顔で描かれることが多い。というか、まんまニワトリである。
  • 織田信長には「友であり、兄弟である」と特別扱いをされていたが、実際はただのパシリであり、ただのニワトリである。
  • 手癖の悪い羽柴秀吉に名前を一文字盗まれたことがある。長秀は苦情を申し立てたが「織田家の出世頭の名前にあやかってつい…」とお世辞を言われ、気を良くしそれを許すというおっちょこちょいな一面がある。むしろトリ頭なので三歩歩いてすぐ忘れてしまった可能性が高い。
  • 古田織部には小心者と見られていたようで、『「The小心者」と書いた鎧を着用すべし』と「お前が言うな」的な事まで言われている。
  • 彼が副業でやっていたゼネコンもかなり儲かっていたようで、安土城建設は彼の手によるものである。しかしいくら功績があっても、所詮ニワトリである。
  • 彼の最期の地である福井県にて伝説の米コシヒカリが誕生したのは非常に皮肉である。ちなみに、彼は所詮ニワトリであるため、福井県民からは全く敬われていない。
  • また、織田家に雇われた軍事顧問であるランスの事を快く思わなかった様だが、所詮ニワトリなので何も言えなかった。
  • 信長の祐筆であった太田牛一が記した信長公記にはランスが信長に長秀のクビを進言した際、「地獄に堕ちるといい…」と発言したという記述がある。事実ならば彼が生前発した唯一の言葉である。

関連項目[編集]