下関市

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下関市(しものせきし)、または下関スラム村(しものせきすらむむら)とは九州が大好きな福岡県北九州市山口県村落都市である。

歴史[編集]

古くは古事記に登場し、神功皇后の朝鮮出兵の船出の地である。神功皇后は武内宿禰との不倫の私生児息子である応神天皇[1]を身ごもった揚句、「十月十日過ぎても我慢して産まない」と暴言を発し[2]、妊婦の身で陣頭指揮を執るという暴挙にでて出兵。その船出を祝って入り江に旗を大量に立てたことから、「幡生(はたぶ)」の地名が残る。また神功皇后の代理で武内宿禰が関門海峡の龍神に宝玉を返却し、これが満珠干珠のふたつの島になったと言われている。つまり二個の宝玉狭間にねじ込んだ場所であり、それ以来不倫男女や若い恋人たち聖地となっている。

平安時代末期には平家一門がぴょんぴょん飛び回るちんちくりんの自称色男にけちょんけちょんにヤられて滅亡した。この時安徳天皇とともに、草薙剣が海中に没したが、このことは国家機密であり、特に熱田神宮を擁する愛知県で口にでも出そうものなら、粛清されましたもとい、その理由を問われる前に殴り倒される。三河の将軍様もそう仰ってたぎゃ~。

江戸時代関門海峡に浮かぶ小島で、宮本武蔵佐々木小次郎が戦ったとの説があるが、どうやら吉川英治の作り話であることを、世間一般では気付き始めているみたいですけど、そんなこと誰も気にしない。いいじゃあないですか。ロマンなんですよ。ロマン。わかりますか?

幕末には長州藩イギリス海軍を砲撃するという、まるで北朝鮮のような、無謀な作戦をとった。その砲台が設置された山を火の山という。

明治維新では薩摩藩を心で侮蔑の限りを尽くしながら、あらゆる陰湿老獪卑劣な手で上手く立ち回った極悪人どもの巣窟となったが、結局のところ勝ってしまえばこっちのもの。その後の政治の主導権はしっかり伊藤博文以降受け継がれており、自由民主党は実は下関市の隷下組織である。そんなこんなから、会津若松市とは犬猿通り越して不倶戴天の仲。しかし純真な鹿児島市は「維新はおいどんがやりもうした」と信じて疑わず、長州藩の陰謀とも気付かないで、九州新幹線の始発と終着を担当している仲のいい同盟都市だと思っている。

伊藤博文春帆楼という一流料亭で、大シケの夜にもかかわらず、「魚を出せ」とめちゃくちゃな我侭を言い、困った女将が「もういいや、毒でも食らわせて殺っちゃえ」と座敷に運んだフグと格闘し、初のフグ食者となった。日清戦争の講和条約である下関条約は、伊藤が我侭を言ってフグを食った春帆楼で調印されたが、これは伊藤が「女将、無理を言ってごめんね」とのお詫びとお礼という個人的事実により選択されたんです。本当です。。

日露戦争の英雄軍神乃木希典閣下が生まれた地としても有名である?そうでもないか。

昭和になると、アントニオ猪木マサ斉藤が決闘。タイガーマスクも決闘するなど、極めて好戦的な風土である。

2012年には、未亡人製造機と悪名の高いアメリカ合衆国へんな飛行物体が下関市のR134なる、なんだか成人映画みたいな名前の訓練空域でカミカゼ型自爆訓練演習をした。下関市民はR134なる空域が存在することすら、知らずにのうのうと生活していたという点において、とっても不思議な日本の影の支配国家に実は帰属しており、日本国内ではないことが判明した。

下関要塞[編集]

Wikipedia
ナニモノかがウィキペディアに「ふぐ要塞」の項目を執筆しましたが、要出典厨削除厨の暗躍により削除されてしまいました

下関(本州)と門司(九州)の間を遮る様に存在している要塞。公式には明治28年から昭和20年まで存続していたとされるが、密かに現在でも存続している半民半官の要塞。この要塞は江戸時代から仲が悪かった長州藩山口県)と九州薩摩藩鹿児島県)の喧嘩が発端で建造された。

建造[編集]

明治維新時に坂本竜馬と名乗るちよっと胡散臭いオールバック野郎にまんまと丸め込まれた長州と薩摩であったが、明治維新後も議会椅子取りゲーム・内閣椅子取りゲーム・陸海両軍対抗陣取りゲームで争ったりするなど喧嘩が絶えなかった[3]。さらに、内戦である西南戦争の首謀者が薩摩の西郷どんであったため、鹿児島県の隔離を計画。ここ下関に要塞を築いて、鹿児島県だけ隔離するのは面倒臭いと言う理由から九州もろとも隔離しようとした。

城塞都市化[編集]

関門海峡から来る鹿児島人に神聖なる本州の大地を踏ませないために、下関市全体を城壁で囲み城塞都市化を計画した。途中、鹿児島県の間諜に施設の図面をパクられそうになるが、ふぐの肝入り十円チョコで事なきを得て、明治28年に要塞は完成した。様々な砲台がならぶ豪華なつくりだが、四国経由の普通の海運ルートでの「迂回作戦」によりあっけなく回避される。

現在[編集]

西暦1945年の敗戦の折GHQが要塞の解体を指示。下関市民のゲリラ戦や十円チョコ贈賄戦法などの必死の抵抗が続いたため解体不能とされ書類と歴史の教科書上は1945年に解体された事にした。そのため未だに下関市は要塞であるが、関門海峡にできた関門橋により完全に無用の長物化している。下関名物は「ふぐ」だが、下関人は「ふく」と読むと主張しており、よく国会の議題にあがる。かつては、このふくの内臓を大砲で鹿児島人の口に投げ込んだり、珍味と偽って会津遺恨全体主義狂国人の胃の腑に入れたりしていた。

JR下関駅は構内で無差別大量殺傷事件が発生するわ、放火で駅舎がほぼ全焼するわ、たまに構内の急な階段で転落・転倒事故が起きるわと散々な駅である。

しかし市側は新駅舎施工の目処すら全く立てようとしないので、市民には「まだ新駅舎建てねーのかよ!というかいつになったらJR西日本に建設要望をねじ込む計画を立てるんだよ!」「維新とか朝鮮通信使とか善隣外交などとギャーギャー騒いだりする暇ややたら豪勢な記念碑とか長州出島とかいう人工島作る銭があるなら、さっさと駅再建の方に回せよ!」なんて不満が密かに広がってるんだな、これが。ついでに「下関駅をJR九州に明け渡せ!」って声も多い。

下関市は完全に九州志向で、65kmも離れている県庁所在地(山口市)に背を向けており、昔から関門海峡で向かい合う北九州市との繋がりが圧倒的に深い。対岸の北九州市も同様に、65kmも離れている県庁所在地(福岡市)よりも、対岸の下関市との繋がりが圧倒的に深い。関門海峡は最も狭い所で700mしか離れてない。だが下関市民は山口のテレビをほとんど見ず、福岡のテレビ局ばっか見ている。勿論、関門海峡で大事故が起こると、その影響は計り知れない。この為、下関市と北九州市は日本からは脱退こそしないものの、山口県や福岡県から脱退して、関門海峡を跨ぐ「関門特別市」を結成しようと密かに企んでいる息巻いている。

蛇足だが現在、これとは別に韓国釜山市からの侵略も進んでいるが、市民の大多数は暴虐女王マドンナ安倍昭恵の絶対的な命令の下、これを大いに歓迎し、積極的に協力することを余儀なくされている。

観光[編集]

恋人の性地、海峡ゆめタワー
世界最大のフグの石像

基本的にアーン♥♥な観光地が多い。

これは神功皇后と武内さんの不倫に端を発していることは言うまでもない。実際にシンボルとされる海峡ゆめタワーは男根がモチーフであり、「愛が叶う」性地としてフランスでパリジェンヌを使用してロケをしたCMで県外に宣伝されており、北九州市の女性は、わずか数百メートル向こうにあるこのタワーを虚ろな目で見つめてアーン♥♥な想像に明け暮れており、アーン♥♥が大変なことになっている。果てには自らアーン♥♥までする始末で、これは北九州市議会でも議論の的となっているのだが、市議会議員がほとんど男性であるため、むしろ望ましいとの声が大半を占めている。

この他に夏の夜になるとフリーで夜空の下アーン♥♥できるスペースを提供する目的で作られた「恋人灯台」や、夜景を観た帰りにアーン♥♥に励んでいただき、少子化問題に歯止めをきかせるべく作られた、火の山ラブホテル群がある。

こう聞くと行ってみたくなるのが世の男性の常であるが、騙されてはいけない。世にも恐ろしい心霊スポットとしての観光資源も豊富である。

一例を挙げると平家一門の墓があり、耳なし芳一像を安置する赤間神宮は、主祭神を溺死した安徳天皇としており、毎年五月に開催される先帝祭では、女子高生が天皇崩御後に遊女に身をやつした女官姿をしたり、小学生が平家の落ち武者に扮した、百鬼夜行の再現が行われる。海上では漁船が源氏方と平家方にわかれて切り殺しあう、源平船合戦も行われる。また秋にはこの恐ろしい赤間神宮の舞台を利用して、夜中に死者に扮した劇団員が心から恐ろしい怪談を神宮境内の階段でするという、駄洒落からお察し下さいまで色々な意味で寒い「源平Night in 赤間神宮」なるイベントが開催される。

また亀山八幡宮には世界一大きなフグの石像があり、これも何のために建造されたのか、そのナゾがミステリーファンカルト教団に注目されている。吉村作治教授は「エジプトの次のナゾはここだ」と言ったとか言わないとか。

この他にも建築会社勤務Aさん曰く「こ~んなちっさな水族館造ったのは初めてだ」というほどみずぼらしい、海響館なる水族館があるが、なぜ家庭用水槽を自慢げに並べているのか、世界中の海洋科学者からナゾだと言われていたり、響灘の沖合いには住民の反対に遭い規模を20%程度にまで縮小した、長州出島なる名称の何の目的で建設されたか分からないショボい人工島があることも、下関をミステリーゾーンとする所以であるが、実は美しい政治をする一党独裁政党による、ゼネコンとの癒着と天下りによるものである。

また巌流島だの乃木神社を擁する長府城下町だの、好戦的な観光資源も豊富であるが、まともな観光施策をしていないのでビミョ~である。

下関とフグ[編集]

フグ、河豚、ふぐ、ふくとも表記。

下関と言えばフグ、フグと言えば下関と言うくらい、枕詞のように関連付けをされているが、元来の下関産のフグは現在存在しない。

何故なら下関産のフグとはかつては産卵のため関門海峡に押し寄せたフグを指すのであるが、環境破壊の結果として現在では関門海峡ではフグはたったの一匹でさえ獲れない。現在「下関産」として販売されているのは、全て東シナ海で延縄にかかった間抜けなフグである。従って正確には「東シナ海産下関水揚げフグ」である。

ちなみに下関で言うフグとは「天然もの本トラフグ(本虎河豚)」のみを指し、それ以外は「カナトフグ」「マフグ」「ナゴヤフグ」「アンディ・フグ」などと、その種の呼称で呼ばれる。

水揚げは名前のよく知れ渡っている観光市場である唐戸市場ではなく、南風泊市場(はえどまりいちば・蝿止まり市場ではない)で行われているのだが他県民には全く関係ないので誰も気にしない

ちなみに唐戸市場では、カナトフグやナゴヤフグの子供を「子ふく」と言って、あたかも天然もの本トラフグの子供のように販売しているが、お人よしなツーリストのみなさんは所詮フグの味などわからないので、詐欺行為とは見做されていない。またマフグも「真ふく」と表記され、一見して真実の本トラフグのように思えるので詐欺のように思えるが、そのまま何の説明も無しに販売されている。これも表記自体がウソではないので詐欺行為とは見做されていない。さらに天然ものと韓国から輸入された養殖ものも、あたかも同じフグのような顔をして販売されているが、ツーリストのみなさんは誰も気にしないので詐欺行為とは見做されていない。

料亭の女将や下関市の観光課では「下関ではフグのことを幸福を呼ぶと言う言葉と掛けて優しく ふ・く と呼ぶんですよ」と言っているが、市民はみんなフグと呼んでいるっちゃ。

下関と鯨[編集]

フグほどではないが、下関は捕鯨基地としても有名である。下関港には南氷洋や北太平洋に出漁調査捕鯨に行った船が帰港する。このため下関市民は極秘裏に鯨肉を入手して食す。調査捕鯨船の帰港はシモノセキシチズンにとってはよだれものである。また普通にスーパーマーケットにも「沖縄県産ゴンドウクジラ」だの「千葉県産ツチクジラ」だの、歯鯨(イルカの類)も販売されている。暴力系環境保護団体1その2に知れたら市民皆殺しに遭いそうだが事実である。

かつての下関水族館(現在のものよりかなり大きく、オサガメの飼育の世界記録を樹立、2つのイルカプールを持ち、オタリアが芸を見せ、海獣のコレクションと海亀の研究は日本最大級だった。閉館となった理由は故障したイルカプールの暖房器具を直す予算がもったいないと市民団体が市長を糾弾したせいだとか。現在は家庭用水槽を並べたショボい水族館が別の地区にある)には、ペンギンプール横の巨大な冷凍庫に、鯨のぴーと大きく表記された、シロナガスクジラから切り取った、人の体より大きなアーン♥♥アーン♥♥が安置されていた。地方局の美人アナウンサーがここを中継して「あれ~凍らせちゃいや~んアーン♥♥」と言ったのは下関市民では知らない者の無い歴史的事件である。また下関市内の鯨料理店では、フツーに鯨のアーン♥♥が「たけり」と称して供される。

下関と焼肉[編集]

フグや鯨ほど特徴的でないので目立たないが、下関は焼肉店が多いことでも際立っている。なぜ下関市に焼肉店が多いのかはお察し下さい

経済[編集]

元々九州に渡る唯一の経路であり、瀬戸内海と日本海をつなぐ海の要所であり、さらには朝鮮半島に最も近い場所であったため、黙っていても人が集まると高を括って過ごしてきたことに加え、官民揃って維新以降の歴史以外には完全に無関心なため、全くと言って良いほど観光施策が成されていなかった。このため歴史的にみても重要な場所であり、観光資源にはことかかないにもかかわらず、観光施策がド下手糞である。これらの実情はお観光資源のひとつである藤原純友の家臣である稲村平六景家が拠点とし、大内氏により築城され、江戸幕府により取り壊された、元長州藩の要塞、串崎城(櫛崎城とも)跡に下関市観光課が鉄杭を打ち込んだ件について、国内外の歴史研究者から大批判を受けて杭を慌てて撤去したがその痕跡であるは開いているという二重の大失態に良く現れている。

一例を挙げると海峡の向かい側にある北九州市門司区が「レトロ」を打ち出して、「いっしょに盛り上げんね」と誘ったにもかかわらず、海岸沿いに並ぶ観光資源となりうるレトロな倉庫群を全てぶっ壊し、極めて見劣りのするヘンなカタチの水族館を建設し、さらには鉄で出来た無機質極まりない立体駐車場をその横におっ建てた。

田中角栄の提唱した日本列島改造論佐藤栄作岸信介ら歴代山口県出身総理大臣の陰謀に遭い、ゼネコン献金のために関門鉄道トンネル関門国道トンネルが開通し、さらには関門橋で高速道路が九州との経路を結んだため、ただ素通りされる哀れな町へと成り下がったが、シモノセキシチズンは「東洋一の吊り橋ができたっちゃ」と大喜びした。その影で多くの船舶業者が廃業に追い込まれたため、造船基地としての位置づけも中途半端なものとなった。

また、そのような集客力であるので、海上交通の要所としての地位も、あっさりと福岡市に奪われ、唯一「ゲロゲロしながらでも安いから乗って日本に行くミダ」と僅かな顧客のある韓国釜山との定期航路のみが生き残った。

周辺郡部との合併により一時は何とか中核都市となったが、過疎化を誤魔化す子供だましであり、僅か半年後にはその地位からも陥落。現在も人口減少に歯止めがかからず、街で見かけるのはジジイとババアばかりである。

この下関市を支えしている主幹産業はパチンコパチンコならびにパチンコであり、年金所得の爺さん婆さんや生活保護受給者のおじさんおばさんが毎日朝から夕方まで泣け成しの小銭をつぎ込んで、経済を支えている。このパチンコ業を営むのは893大韓民国国籍者と将軍様のお国の人民であり、日本国経済から切り離された特異な状況にある。

日本一ショボい人工島

これではマズイと思いなおして考え付いたのが観光施策であるが、もともと観光施策がド下手糞な市民性であるので、リーダーが言い出した大きな構想も、やれ「漁業権」だの「治安」だの「無駄遣い」だのとグダグダ反対する一部の市民の意見に押し切られてしまう。

一例を挙げると亀田博市長(当時)が提唱した、沖合い人工島構想がある。当初の計画では下関市を観光と物流の拠点とすべく、「ひびっくらんど」なる名称で大型貨物船と大型客船が就航できる深さの岸壁と倉庫群と物流拠点が半分、もう半分には県外の大型観光産業業者に依頼して海洋テーマパーク大阪市海遊館以上の規模の大型水族館スキューバダイビング水上バイクウエイクボードウインドサーフィンなどのマリンスポーツの拠点となる人工海浜とヨットハーバーを建設し、さらに大手資本のリゾートホテルを誘致する計画であったが、やはりなんでも反対する政党に操られた市民運動により、計画が延期延期を繰り返し、さらに自身のせいではなく前市長の負債にもかかわらず日韓高速船負債問題で、亀田市長は辞任に追いやられる。続く江島潔市長は顔がいいだけの人気取り広く市民の声を聞き入れる人物だったので、市民運動の言いなりになり人工島の規模をどんどん縮小。「このくらいなら許してくれるぅ~?」と、甘えたおにゃのこみたいなことを言って、世にも奇妙なショボい人工島を建設した。

結果として延期延期の間に「こりゃ長州もんに物流ば取り戻さるっばい」と慌てた福岡市が人工島を建設し終わって、物流拠点の座は見事に福岡市に明け渡し、観光拠点としても全くの体を成さない人工島を市民の血税で建設するというゼネコン癒着が横行し、反対してればいいと思う政党の思惑とは逆に一党独裁政党の勝利の象徴となる。しかしこれは本当に無駄遣いであり、日本中のゼネコンから賞賛された。

この人工島構想を聞きつけて、いち早く下関駅前にホテルを開業したワシントンホテルグループは、大損益を出しながらもしかたなく現在もホテルを経営している。かわいそうにもほどがある。

言語[編集]

某鬼型宇宙人女子が使用するヘンな日本語に告示した、馬関語が一般的に使用されている。特徴は語尾の「ちゃ」である。「私、今日女の子なの」は「うち、今日あの日っちゃ」「あなたのことが好きです」は「うち、ダーリンが好き(だっ)ちゃ」となる。もうひとつの特徴として「ぶち」がある。これは「とても」「ものすごく」などの代用として使用されると言われているが、日本語には訳せない。

第二言語としてハングルがごく日常で使用されるため、韓国および北朝鮮の侵略拠点ではないかとの噂もある。代表的なものとしては「友人」=「ちんぐー」が挙げられる。JR下関駅近くのグリーンモール商店街ではむしろハングルが第1言語であり、「メッチュハナチュセヨ」というと「は~い」といってビールがテーブルに出てくる。

イントネーションが九州関西と違い、標準語に近いことから、下関市民はなんだか「うちら、東京の言葉しゃべっちょーっちゃ」と勘違いをしていることが多い。

また、安岡地区吉見地区など、山陰の漁村(この地区を差別的区別的に北浦と呼ぶ)では、独特の言語が発達しており、他地区から来たものは、同じ下関市民でも全く理解不能である。特徴は文章の末尾につく「こらっ」である。たとえば「お元気ですか?」は「お前げんきやったんか、こらっ」「あの女性とセックスしましたか?」は「お前あれとヤったんか、こらっ」「もう果てましたか?」は「イったんか、こらっ」である。この地区では言語が好戦的に聞こえるが、住民同士は普段から好戦的な言語を普通に使用しているので、誰も気にしない。ちなみに北浦地区では、かわい~い顔をしたAKBにいてもおかしくない女子高生も、この言語を使用しているので、女王様と誤解されがちであるがそうではない。

*北浦地区の日常会話例

「今朝、船出したんか、こらっ」(おはよう。お元気ですか?あなたは今朝、船で漁に行かれてましたね。漁の具合はいかがでしたか?大漁でしたか?)

「なんもおらんぞ、こらっ」(ああ、おはよう。元気ですよ。あなたも元気そうですね。漁には出たんですが、何も獲れませんでした)

「日ごろ往生じゃ、こらっ」(それは残念ですね。日ごろの行いが悪いからでしょう。いや、冗談冗談。わっはっは)

「お前、にやすぞ、こらっ」(あなた、冗談ばかり言っていると、殴りまわして半殺しの目に合わせますよ。いや、冗談冗談。わっはっは)

「どけ、そこ、こらっ」(じゃあ、私が漁に出てくるので、すみませんが少し避けていただけますか?申し訳ありませんね)

「上等じゃ、こらっ」(おお、これは気がつきませんで、ごめんなさい。どうぞ。いい漁でありますことを祈っております)

どう聞いても喧嘩をしているようにしか聞こえないが、ごく通常である。

脚注[編集]

  1. ^ にもかかわらず誰も気にしないのは、武内宿禰の実父の実父の(以下同文適時繰り返し)実父が神武天皇なので血筋の上では何ら問題は無いからである。加えて神功皇后の夫で応神天皇の戸籍上の父親の仲哀天皇あの日本武尊の息子なので、朝廷の文武百官としてはそんな危険な遺伝子が残るよりもお察し下さい
  2. ^ もちろん応神天皇の実の父親が武内宿禰だという事や不倫の事実を隠蔽するための工作である。
  3. ^ 余談だが、この長州閥対薩摩閥の対戦ゲームは、後に旧幕府派の代表格である米沢会津両藩の旧藩士まで子分に巻き込んで更にゲームの種類を増やしながら、西暦1945年の敗戦辺りまで続いた。ちなみに米沢藩士が長州閥幹部の、会津藩士が薩摩閥幹部の配下とか姻戚とか子分になったケースが結構多いらしい。

関連項目[編集]

Wikipedia
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