上杉氏
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
上杉氏(うえすぎし)は武家の姓のひとつ。スライムの一種とする説もあるが、上杉和也・上杉達也・ザ・タッチとは一切関係ない。
上杉重房を祖とする。関東管領職を世襲した一族であり、関東一、いや日本一の名族である。
分裂しすぎて増えすぎたため、関東は一時期食糧難に陥った。一説にはこの一族が食料を食い尽くし始めたころが関東における戦国時代といわれる。その後、関東を食い尽した上杉氏はさらに分裂を重ね、食料を求めて全国に散らばり、現代に至るまで影からこの国を操っているのである。あなたの友人に山田さんがいたらそれは伊勢国で勢力をのばした山田上杉家の子孫かもしれない。ただし偽物も多いので注意が必要である(後述)。
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[編集] 概要
上杉家は関東に寄生してからすぐに分裂し宅間上杉家、犬懸上杉家、山内上杉家、扇谷上杉家に分裂した。他に深谷上杉家、小山田上杉家、長合上杉家、越後上杉家、上条上杉家、山浦上杉家、山本寺上杉家、八条上杉家、四条上杉家などがある。それぞれ、一族の特徴を持つことから名前がついたが、現代に至るまで分裂を繰り返したため分家の総数は291,129家ほどにのぼるといわれ(これは日本の総名字数に匹敵する数である)、ここでは一部のみ紹介する。
[編集] 主要四家
- 宅間上杉家
- 普通の小学生、上杉たくま(←変換できない)が祖。英語読みで「Takuma Uesugi」となるため、タクマ=ウエスギ家と呼ばれ、ヨーロッパの名族っぽい名前になる。夏休みの宿題が「関東管領になった感想を書け」という内容だった。しかしたくまは当時京都に住んでいたため関東管領にすらなれなかった。ちなみに当主の名前はすべて「たくま(漢字は問わない)」であることからつけられた。
- 犬懸上杉家
- 文字通り犬に関係する一族だったため家名に「犬」がついている。ただし、この名前の意味は「犬を使って狩りをする」でも「犬を狩る」という意味でもなく、「犬に狩られる」という意味である。一族はなぜか犬に嫌われやすく、会うと絶対にかまれる。大変子沢山の家系であり、「馬並み」ならぬ「犬並み(子沢山の旦那様を褒める時に使う言葉)」の語源が犬懸上杉家であることはあまり知られていない。
- 山内上杉家
- 「山内」というのは別に例の人を指しているのではない。少なくともあの人よりは存在感があり、魅力的な一族である。関東管領職は主にこの一族が世襲した。
- なお、近年の考古学的発掘調査の成果により、鎌倉府では屋敷の位置的にハブられた存在だったことが判明した。室町時代の中頃、山内上杉憲基は状況を打破すべく、山内よりましとはいえややハブられ気味だった扇谷上杉家にすり寄ったが(これを佐介上杉家という)、逆に足利満隆・上杉禅秀によって越後まで追放されてしまった。これを上杉禅秀の乱という。同情した室町幕府の支援により憲基は鎌倉府に戻ることは出来たが、その後も山内上杉家は鎌倉の隅っこにしか屋敷を構えさせて貰えなかった。このことが後に鎌倉公方足利持氏との対立を引き起こす原因になったとみられている。
- 扇谷上杉家
- 読みは「おうぎがやつ」である。決して「おうぎたに」ではない。山内家に次いで大きな勢力を持っているが、むしろこっちのほうが影が薄い。
[編集] その他(影が薄い家達)
- 越後上杉家
- 越後上杉家…それはとても定義に困る家である。何しろ上条上杉家も山浦上杉家もナントカ寺上杉家も全て越後上杉家なのである。しかし越後国の守護を歴任した系統は自称上杉総本家であり、その自負ゆえに特に家号を定めなかったといわれる。この家を越後上杉家と呼ぶのは深谷上杉家を関東上杉家と呼ぶようなものである。現代の歴史学者たちは苦し紛れに越後守護上杉家などと呼んでいる。
- 上条上杉家
- 「じょうじょう」と読む。某番組に影響を受けて名乗ったという。「じょうじょうじょうしゅじょうじょうなにがし」というのは現代まで新人アナウンサーがマスターすべき早口言葉となっている。
- 山浦上杉家
- 裏日本の北の端っこの方に追いやられた不遇の上杉家である。関東を華々しく席巻する表日本系上杉家を羨んで「うらやましい」→「やまうら」と隠語のような家号を付けた。実は応永年間頃には越後一国の覇権を巡って頑張っていたのだが所詮裏日本での出来事であり、現在の大学受験では上杉禅秀の乱の方が100倍重要である。
- 山本寺上杉家
- 影が薄すぎてその由来も不明である。一説では上条上杉家のポチだったという。
- 八条上杉家
- 八丈島に拠点を持ち、初めは八丈上杉家と号したが、他の上杉氏から田舎者とバカにされるので「おらぁ京都八条の出身だぞぉー」と主張するために「八条」に漢字を改めた。某水泳の達人もこの一族の世話になっていることはあまり知られていない。
- 四条上杉家
- 四条とは京都四条ではなく大阪四条畷の四条である。戦国時代に入ると上杉材房という一瞬読みに困る名前の人物を輩出したりして微妙に存在感をアピールしているが、現代の歴史学研究ではごく最近まで存在を認識されていなかった。
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[編集] 落胤伝説
その子孫と分家の多さゆえにバレないと思ったのか上杉御落胤伝説は元家臣の子孫や、蝦夷地から琉球、モンゴルまで全世界に広く存在する。これも日本が誇る名族・上杉氏にあやかろうとしたものであろう。以下、国内の代表的な例をあげる。
- 藤原氏
- 逆説的ではあるが、藤原氏と上杉氏は卵が先か鶏が先かといった表裏一体の関係にあり、つまり近衛家が藤原氏だということは即ち上杉氏を称したということになるのである。
- 徳川氏
- 永禄9年(1566年)に徳川家康は正式に藤原姓、つまり上杉氏を名乗った。これは将来の関東支配のために、かつて関東を席巻した上杉氏にあやかったものと推測されている。それだけ関東における上杉氏は重要な地位を占めていたのである。
- 伊達氏
- 藤原氏である。しかし伊達氏が他と違うのは、かねてより上杉氏に羨望のまなざしを向けていたところであり、戦国時代には上杉御落胤伝説を称え家紋を上杉家を真似したものに変更した。現在も上杉家への感謝の気持ちを忘れず、上杉家から拝領した家紋の使用には厳しい制限をかけている。
- 毛利氏
- 毛利氏の先祖である大江広元が関東に下向したというのは上杉氏祖上杉重房の話を模倣したものである。つまり毛利氏には上杉氏と同化・一体化したいという願望があった。これも上杉御落胤伝説が少々違う形で現れたものであろう。大変興味深い。
- 足利氏
- 上杉氏からすると主家にあたる足利氏だが、たかだか初代将軍の母の実家というくらいで足利一門の末席に上杉氏がいることについて疑問に思ったことはないだろうか。また「足利ある所に上杉あり」と呼ばれるほどの足利氏と上杉氏の密接な関係に怪しいものを感じたことはなかっただろうか。世の歴史学者たちは言葉を濁すだろうが、やはり室町幕府将軍足利氏は上杉氏の御落胤と考えるべきあろう。そうしないとこの不自然さを説明できないのである。
[編集] 関連項目
| この項目「上杉氏」は、執筆者が途中でサジを投げてしまったので、今はまだクソの山です。スプーンを曲げてくれるエスパータイプのポケモンを求めています。 (Portal:スタブ) |


