上杉景勝

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「上杉景勝」の項目を執筆しています。
「俺が死んだおかげで命拾いしたのだ!感謝しろよ!…それにしても本当にギリギリの所で生き残る奴だな」
上杉景勝 について、織田信長
「お前もこっち側だろ。」
上杉景勝 について、武田勝頼
「うむ。こっち側だな。」
上杉景勝 について、北条氏政
「…あんた、少しは何か喋ったらどうだ?」
上杉景勝 について、クラウド・ストライフ
「何とか言え!!信長を殺せと言っておるだろうが!!」
上杉景勝 について、足利義昭

上杉 景勝(うえすぎ かげかつ、弘治元年11月27日1556年1月8日) - 元和9年3月20日1623年4月19日))は、戦国時代サムライ。通称は喜平次。現代においては諸般の事情により直江兼続の付属品扱いされている人物である。

武田信玄の娘である菊姫を正妻に迎え、武田と上杉の血が混ざった第六天魔王をも凌駕する人類史上最凶人類史上最強のサラブレッドが生まれ…るはずだったが、景勝がガチ真性童貞セックスレスだったのか、或いは菊姫の方ががガチ真性処女でセックスレス[1]かもしくは子を生めない体質だったのか、はたまたどこぞの将軍夫婦か恐妻家鬼嫁夫婦のように終始形式だけの夫婦のままだったのか、原因は定かではないものの、人類にとって幸いにも人類史上最凶…もとい最強のサラブレッドとやらは結局生まれることはなかった。

なお、景勝の息子の定勝の母親はれっきとした正妻(継室、後妻)なのにもかかわらず只の側室呼ばわりされるのみならず、本物の公家お姫様なのにもかかわらず子作りのために京都の橋の下でスカウトされた公家の娘を騙る遊女であるとまで呼ばれ、400年以上に渡って冷遇され続けている景勝に勝るとも劣らない気の毒な人物である。

概要[編集]

常に忿怒仏(ふんぬぶつ。例・不動明王など)のようにひどくおっかない鯱ばった形相をしており、黙っていると仁王像と見分けがつかないところから仁王様寡黙とも称される。厳つい形相どおり峻厳な人物で、冗談が一切通じない。下手にギャグでも飛ばそうものならこっちの首が飛ぶ。その無口っぷりは日本に伝来した宣教師達を通じて遠く南蛮の地まで(尾鰭が付いて)伝播した。ドン・キホーテの作者ミゲル・デ・セルバンテスは手記の中で「日本のウエスギ・カゲカツという殿様は必要最低限のこと以外を一切喋らず、YESとNO、及びSHOGIという日本のチェスで相手を追い詰めた際の「チェックメイト」の三語しか言わなかったらしい」と記述している。誰かさんのエピソードにそっくりな気がするが、誰も気にしない

どういう訳か与する勢力が全て負け組になってしまう上に、ミラヲタ系腐女子や数多くの偏狭で狷介な歴史家・歴史小説家によって書かれた三文歴史小説(H坂センセK衛センセとかの作品など)や虚偽情報を堂々と掲載しているエセ歴史書・歴史トリビア本(Hヶ前センセK戸センセとかの著作)を数冊読んだだけで「自分は歴史通」と思い上がっている歴女・歴史ヲタクといった連中から凄惨、陰湿かつ執拗な敬遠忌避、嘲笑、揶揄、痛罵無視をされ続け、いらない子扱いされている気の毒な人物である。たった一回の敗戦でボンクラ貴族の汚名が浸透している今川義元や有能であるにもかかわらず過剰な自己否定癖のためにボンクラ二世の汚名が浸透している毛利隆元並、いや彼らをも遥かに凌駕する気の毒な人物かもしれない。

一方で織田軍の猛攻によって窮地に立たされながらも、本能寺の変勃発で窮地を脱したり、小早川隆景が死んだお陰で五大老の末席に名を連ねることが叶ったり、徳川家康に言い掛かりをつけられ征伐されそうになったり、関ヶ原で西軍に与したと看做されて米沢藩30万石に減封されながらもした大名として命脈を保つなどギリギリのところで生き残ったりする運が良いのか悪いのか良く分からない男でもある。恐らくチキンレース綱渡りロシアンルーレットなどが趣味か特技だったのかもしれない。景勝のこの微妙な豪運は毘沙門天の天啓だとも言われている。

ともあれ、ひどく無口で無骨な人物であったことだけは確かであり、側にいるだけで胃に穴が空きかねない付き合いづらそうな人柄を思わせる。だがそれがいい

景勝は非常に身長が低かったらしく、1hydeを軽く下回り、約1ヘイヘともいわれる小柄な体系であったらしいが、持ち前の仏頂面とそこから生ずる威厳でカバーしていたらしい。この辺りは背の低さを端麗な顔つきでカバーしている某歌手と通じるところがある。

生涯[編集]

少年時代[編集]

のちに謙信の後を継ぎ、上杉の当主となった景勝だが、謙信の実子ではない。というか謙信はおにゃのこもしくはふたなりであったのは確定的に明らかな上、生涯不犯を貫いたため当然子供が生まれることはなかった。景勝は謙信の姉仙桃院の子であり、謙信の甥に当たる。父は謙信の実家である長尾家の一族長尾政景だが、政景は景勝が10歳にもならないころ変死を遂げている。広く世間に流布されている伝聞によると、謙信の懐刀である軍師宇佐美定満と一緒に摂取していたヤクに依存しすぎて心身を消耗した挙句、ある日湖岸にかけられていた小船の上で二人揃って素っ裸のまま死んでいたといわれる。また別の話では、定満とアッー!をしている最中、二人仲良く腹上死したとも伝わっている。いずれにせよ、政景(と定満)が尋常でない死に方をしたのは確かである。

この父親のショッキングかつスキャンダラスな死がもたらした精神的ショックが、景勝の寡黙で無骨で朴念仁な人格を培養したと言っても過言ではない。景勝は聡明な一方意地っ張りで負けず嫌いな所があり、父の死によって受けた動揺、悲嘆を他者に悟られまいとし、徹頭徹尾他者との意思疎通を拒み、一人武芸に励み、部屋で書物を読む引きこもり同然の生活を送っていた。これを憂慮した母の仙桃院が苦楽を共に分かち合え、胸襟を開いて心中を明かしあえる莫逆の友として育成するべく選りすぐりの小姓達を近侍させたのだが、皆景勝の憤怒の如き渋面を見るや否や怖れ慄いて逃げ惑い、全く使い物にならなかった。

しかし、そんな有象無象の小姓達の中で、唯一景勝の渋面に全く恐怖しなかったのみならず、心から進んで屈託なく接し、その深淵な心の扉を開かせた少年がいた。樋口与六、後の直江兼続である。互いに気脈が通じる所が合ったのか、兼続と景勝は意気投合し、水魚の交わるが如き莫逆の友となった。

景虎との相克[編集]

成人した景勝は謙信の養子となり、上杉家次代当主の候補の一人と取りざたされていた。他方、謙信にはもう一人養子がいた。北条家から人質として送られてきた上杉景虎である。本名は北条氏秀だったり最近の研究でどうもそうじゃないことが明らかになったりして判然とせず、要するに北条からの人質ということ以外たいして特筆するほどでもないどうでもいい人物だったのだが、眉目秀麗の精悍で華やかなイケメンであることに加え、武芸の誉れ高く才知も煥発、人となりも颯爽としているという所謂優等生タイプの人物…を演じることだけは得意な人物であったという。

景虎はその美貌と芝居にたらし込まれ果てた謙信や隠れジャニオタであったその姉仙桃院に寵愛され、謙信の養子となり、景勝の姉の一人清円院(華渓院とも、妹説もあり)を嫁に貰い、ついには謙信の昔の名である「景虎」の名を貰い、急激に家中の求心力と人望を獲得していった。地味で無愛想な仏頂面のうえ、陰湿で愚鈍と周囲に誤解されていた景勝は、今まで蝶よ花よとちやほやしてくれていた叔父や母・姉たちをはじめとする家中のほとんどからから手のひらを返すようにたちどころに「ウザい」「視界に入るな」等と露骨にないがしろにされてしまい、景虎の後塵を拝することを余儀なくされていた。

兼続を初めとする景勝子飼いの側近たちである「上田衆」や、上記の事態を憂慮した直江実綱とその娘婿信綱と、その子飼いの配下たちからなる「与板衆」と呼ばれる小賢しい小才子ども者たちはしきりに景勝に発破を掛けて景虎との差を少しでも大きくしないようにしたが、彼らにも現状を良くするための打開策がなんらあるわけでもなく、日に日に開いていく景虎と主君との格差を前になすすべもなく、いつの日か好機が訪れることを信じながら臥薪嘗胆の日々の中、巌のように鎮座したまま無言を貫き通すことしかできない八方ふさがりの状態であった。

家督継承[編集]

そんな最中、謙信が酒の呑み過ぎ&肴の梅干食いすぎによる塩分過剰摂取による脳卒中でポックリ突然死してしまう。とある史料によると便所で糞まみれになった状態ででんぐり返ってこと切れていたという。「軍神」と畏怖された男の最期にしてはあまりにみっともない。

が、そんなことはどうでもいい。問題はその先である。

謙信は後継ぎを決めておらず、しかも養子2人をほぼ対等に扱っていたため、有力候補である景勝(とその支持者)と景虎(とその支持者)との間で御家騒動に発展した。いわゆる御館の乱である。景勝はこの内乱で華麗な権謀術数を縦横無尽に駆使して見事に景虎を降し、上杉家の当主に収まることに成功する。なお、大河ドラマ天地人」他、兼続、景勝を主役として描いた作品では「景勝の側に義があったから御舘の乱は景勝勝利に終わった」などと荒唐無稽なたわごとがほざかれているが、景勝がこの内乱を制したのは義などではなく、謙信死後、遺言をでっち上げありと称していち早く春日山城の本丸と金蔵を占拠した事、つまりであったことは言うまでもない。

ちなみに景勝は、景虎の助命を頼みに行った景虎の妻まで殺している。景虎本人が死んだのは言うまでもない。

織田家・北条家との死闘[編集]

辛くも内乱を制した景勝だが一難去ってまた一難、破竹の勢いで北進する柴田勝家率いる織田軍、織田と内通して寝返った北越後の新発田重家、御館の乱で滅ぼした景虎の実家である北条家に三方からの挟撃を食らう。程なく武田勝頼が滅ぼされて北信以南からも織田家が侵攻し、更に北からは蘆名盛隆までもが攻め入り景勝は文字通り四面楚歌の苦境に追い込まれた。しかし景勝は降伏することなど全く考えておらず、お家滅亡を覚悟で抗戦した。家なんぞどうなってもいいとはとんだ親不孝者だが、親の謙信からして色々な意味でHENTAIなのでまあ仕方ない。

ところが、織田信長が本能寺の変というアクシデントで涅槃の人になってしまったため、景勝は窮地を脱した。なんともマヌケな助かり方である。

しかもその二年後には、北狄蘆名盛隆が男色のもつれからナニを小太刀で斬りおとされてNice boat.な頓死を遂げるというこれまた上杉家にとって僥倖というべき椿事が起こっている。相次ぐ宿敵の死によって上杉家は完全に態勢を立て直すことができた。

父の変死、家督継承争い、その他諸々と不運続きであったが、ギリギリの所で豪運が発揮されるのが上杉景勝という男の天性である。この「ギリギリのところで降臨する豪運」はこの後も景勝、ひいては上杉家そのものの命綱となってゆく。

会津転封[編集]

巻き返しを計る景勝はまず裏切り者の新発田重家を攻め滅ぼした。硬派な武人である重家は景勝の降伏勧告を頑なに拒み、居城の天守から景勝目掛けて放尿[2]して挑発した後、全身にダイナマイトを抱えて着火し天守閣ごと爆死するという壮絶な最期を遂げた。誰かさんデジャヴュのような気もするが、その辺は気にしない

新発田を滅ぼした後は甲斐・信濃・上野の占有権を巡り、北条・徳川と角逐し、幾度も合戦を交えた。この抗争の最中真田昌幸の次男幸村を人質として一時預かっている。景勝は幸村に「義」の精神を叩き込んだ。幸村も景勝の人柄に惚れこみ、信玄以外の人物を始めて「ウォヤカタサムァ!」と呼んだと言われている。[3]

数年に渡り北条・徳川と覇権争いをした景勝だが、やがて豊臣秀吉が破竹の勢いで西国を席巻すると、済し崩し的にこれに臣従。小田原征伐に従軍したり、参謀・兼続が伊達政宗と醜くも大人気ない餓鬼の喧嘩をやっているのを遠巻きに見たりしているうちに、いつの間にか越後を没収されて会津に左遷させられていた。佐渡銀山の私有化と上杉家と結束の深い越後の土豪、土民を乖離させるための政策の一環であったらしい。景勝はいつものように仏頂面で何も言わず秀吉の命令に従容と従ったが、一部の上杉家臣、それも結構な人数が「ヤダヤダ会津なんていくのヤダヤダ越後出てくのなんてヤダヤダヤダ」と暴れだしたので景勝は彼らを「義」によって成敗した。幸い、景勝が入植した会津は先代領主である蒲生氏郷によって整地されていたため統治にさほど難儀することはなかった。[4]

関ヶ原[編集]

秀吉が病没すると、水面下で蠢動していた徳川家康がいよいよ天下を我が手に収めんと躍動を初め、各大名の懐柔に乗り出し、また豊臣政権を骨抜きにする権謀術数を仕掛け始める。その過程で、上杉氏は家康によって色々言いがかりを付けられて征伐を受けることになる。家康は福島正則ら有力大名、諸将を糾合して北進、会津と目と鼻の先まで迫り万事休すと思われた時、西国で石田三成が挙兵したため、家康が三成を迎撃するべくUターンしたため虎口を脱した。

またも豪運によって虎口を脱したか・・・と思われたが、景勝は直江兼続の「家康を追撃すべき」という提案を却下してしまう。結果、石田三成は徳川家康に敗北。義の精神はどこへ行ったのか?

そんな事をして何をやっていたのかというと、この機を狙って会津・米沢に侵攻してきた出羽の狐DQN眼竜と対峙するべく北に向かって軍を進め、合戦に及んでいたのである。この一連の「奥州の関ヶ原」は史料によって伊達政宗TUEEEEEEだったり、上杉軍の本庄繁長チート性能を発揮していたりで、史料ごとにかなり差異があるのだが、「うやむやのまま終わってしまった合戦」という点はどの史料も一致している。景勝はこの混乱に乗じて最終的には祖国越後を奪還したかったといわれているのだが、失敗に終わった。

晩年[編集]

戦後、徳川家康により、上杉家は西軍の一翼を担ったとして大幅に領土を削減され、米沢30万石に押し込められた。改易(領地の完全移動)ではなく減封(と正室・菊姫の身柄を家康に差し出す[5]こと)で済まされたのは実に運が良いと言うべきだろうか。一応、これが3度目の豪運である。

その後は兼続や本庄繁長らと共に領国経営と藩政の立て直しに尽力したが、後妻の京女の色香と性技に鼻の下が伸び切ったこともあって、完全に徳川の犬になり下がり、大坂の陣には東軍として参戦。旧主豊臣滅亡の一翼を担っている。「義、義」と口うるさく言っていた昔日の上杉義レンジャイの姿はどこにもなかった。

1619年、懐刀の兼続が死んだ。マシンガントークが煩わしいあの小才子がようやく死んだと最初は安堵していた景勝だが、話相手がいなくなったことの寂寥感がじわじわと押し寄せ、気力を無くし、その4年後に逝去した。

今際の際、先に三途を渡った兼続から、「死ぬ時くらい笑ってください」と言われて、世にもおぞましい笑みを浮かべながら亡くなったという身の毛のよだつ逸話がある。

人物[編集]

  • とにかく無口であり必要最低限の事以外は一切喋らない。その為「ネタにしづらい」「ツッコミを入れ難い」と言う声が多い。
  • 正室は武田信玄の娘である菊姫だが、彼女との間に子供が生まれることはなかった。その原因は直江兼続が婚礼直後の菊姫を「この女には信玄の亡霊と不運を呼ぶ摩利支天の呪いが憑いている!」と決めつけ、菊姫(の背後にいると兼続が思い込んでいる信玄の亡霊と摩利支天の呪い)に対して調伏を行ったからだという。菊姫は兼続のこの礼を失した振る舞いに非常に憤慨し、報復として生涯景勝と一切閨を共にすることはもとより同室することすら完全に拒絶したからである…という逸話がゴシップ誌『奥羽永慶軍記』にある。[6][7]
  • ある時、彼はひよこ陛下に銅像と間違えられて顔に落書きされたが、怒ることはなかった。次にコロ助が銅像と見間違えてまた彼の顔に落書きしたが、彼はムスっとしただけで両名を咎めはしなかった。しかしこれを知ったジャイアンが同じように銅像と見間違えて[8]彼の顔に落書きした時には、彼はこの不埒者を一刀両断の元に斬り捨てた。この逸話を側近の直江兼続「仏の顔も三度まで」との諺に例えている。
  • 彼を笑わせようと何人もの芸人が彼の前で漫才を披露したが、一人も彼を笑わせることは出来なかった。そんな中出川哲朗氏が「くすぐらせりゃー簡単だろ」と言って景勝の脇の下を擽らんとするや、出川は景勝に一刀両断で成敗された。脇の下を擽るのは反則なのかと思われたが、実際には景勝はその際の出川の態度が気に食わなかっただけらしい。
  • しかし、彼の愛妻・菊姫と兼続だけは容易に景勝を笑わせることが出来る。この件は「日本七不思議」候補に挙げられているらしい。
  • 彼にパイを投げつけた場合、機嫌のいい時は無視され、機嫌の悪い時は一刀両断される。もちろん投げつけられたパイは、彼の機嫌の良し悪しにかかわらず一刀両断の元に斬り捨てられ、パイクリームの一滴はおろか、かけら1つすら彼に当たることは無い。
  • 景勝に睨まれると大人でも恐怖の余り卒倒してしまうか、さもなくば失禁してしまう。
  • 叔母の謙信ちゃん検閲により削除関係にあったという噂があるが、真相は景勝と謙信ちゃん、そしてXXXXX兼続のみが知る秘密である。
  • 景勝にとってはアンサイクロペディアの99%は退屈な記事である。しかし君は牛を二頭持っている。の項目を見た時は爆笑したという。
  • 緑のカラービキニ(純国産シルク製)を愛用している。関ヶ原の後、伊達政宗が景勝への萌え心とフェチ心、そして興味と検閲により削除な想いが滾る募る余り、忍びの者を景勝の屋敷に忍び込ませて景勝の下着を奪い、景勝は緑のカラービキニ(純国産シルク製)を愛用していると言う事実を日本中に大々的に暴露した。これを知った兼続は「政宗許すまじ!!」と烈火の如く激怒したが、景勝は乙女の如く恥ずかしそうに赤面しただけだったと言う。ちなみに兼続の下着は白木綿製の六尺褌である。[9]
  • 大河ドラマ「利家とまつ」にも直江兼続と共に登場したが、演者が演者だっただけに利家や秀吉よりはるかに年下とは思えないほどの貫禄があり、老木のごとき静謐さと気品と荘厳さを漂わせていた。これは脚本家の竹村洋が「北陸の雄」としての景勝の勇壮さ、厳かさを全面に押し出そうとしてのオファーだった。後半大物役者が減るからクレジット補充の為の埋め合わせとか、単に里見を出したかったけど千利休は既に古谷一行がキャスティングされてて適役がなかったとか、断じてそんなことではない。

景勝を笑わせようとした人々とその華麗なる軌跡[編集]

  • 明石家さんま
    • 出てくるたびにお茶の間の笑いを掻っ攫うさんまも、「無駄に話が長い上に下品で不愉快」の一言と共に景勝に一蹴された。
  • 笑点の皆さん
    • 全員座布団1枚も貰えなかったばかりか、手持ちの座布団まで没収された。
  • モノウ・ルッテレ・ベルジャネーゾ
    • 渾身の一発ネタ「漫才ってレベルじゃねーぞ!!」を披露したが景勝は微動だにしなかった。
  • 鉄拳
    • 「こんな上杉景勝は嫌だ!」ネタで笑わせようとしたが逆に景勝の機嫌を損ねてしまったようだ。
  • ウィキペディアン
    • 頭の固い専門家気取りのウィキペディアン共は笑わせようとするどころか、逆に景勝の評価だの戦術だの毀誉褒貶だのをしたり顔で語り始め、景勝を呆れさせた。
  • 豊臣秀吉
    • 「サル」だけに猿芝居を披露したが、あまりにヘタ過ぎる芝居だった為強制退去させられた。
  • 山内一豊
    • 景勝を笑わせれば有名になれると思った一豊は秘蔵の漫才を披露したが存在自体を無視された。
  • 周の幽王
    • 狼煙を上げて嘘の緊急招集を発し、全ての上杉軍将兵を景勝の元に集結させたが、「お前の妻と同じ手には乗らぬ」と却下された。
  • ジョン・F・ケネディビル・クリントン
    • 空気を全く読まないばかりかそもそも空気を全く読めない上にミーハーな彼らは、景勝の子孫の上杉鷹山を褒めちぎる一方、これと比較して景勝を散々クサしため、ブチ切れた変態陰陽師による強烈な飛蹴りと大量のおぞましい凄まじい呪詛を食らい、2人仲良くフルボッコとなって撃沈した。
  • ジョージ・ブッシュジョージ・ウォーカー・ブッシュ
    • 「ギャグがダメならまともな話さすべぇ」という安易な発想で、ピューリタニズム説話をテキサス訛りで語り続けたが、彼らが気づいた時には景勝はとっくの昔にその場から退出していた。
  • 安倍晋三
    • 「何故か存在しているだけで苛々する」と問答無用で玄関から追い出された。
  • 安倍昭恵
    • 「夫の敵打ちよ!」と意気込んで、韓国ドラマ韓国マンセー映画の話をしつこく語り続け、余りの痛さに辟易した景勝の命により、上杉軍鉄砲隊隊員の射撃を受け、危うく射殺されるところだった。
  • 福田康夫
    • チンパンジーとしての沽券を賭けてブッシュに対抗すべく、例の赤い旗と人民服のコスプレで上杉邸を訪れようとして「ふふん」と微笑みつつスキップで自宅の玄関を出た所を、ピンポイント爆撃で攻撃されてお陀仏となった。ちなみに景勝の好きな猿は日本猿である。
  • 小沢一郎
    • 「何故か存在しているだけで奴が許せない」と問答無用で軒猿(上杉家の忍者)に半日ほど不眠不休で追いまわされ続けた。
  • 鳩山由紀夫
    • 「鳩」だけに即効上杉軍鉄砲隊隊員の集中砲火を浴び、豆鉄砲を食らわされたような顔で退散した。
  • 麻生太郎
    • 執拗で陰湿なアンチの工作により、世間からいらない子扱いされ、忌み嫌われてフルボッコに叩かれているという境遇にある者同士で意気投合した模様。むろん笑い一つない愚痴のこぼし合いである。
  • 花ヶ前盛明火坂雅志楠戸義昭愉快な仲間たち
    • 花ヶ前氏は景虎信者から猛烈なマンセー支持を受ける作文論文を書き、景勝信者たちをファビョらせている[10]
    • 火坂氏は病的かつ原理主義的な謙信&兼続マンセー(むしろ謙信&兼続 し か 見えていない)の果てにとち狂ったヘタレな作文で見事に両方をファビョらせている。[11]
    • 極端に病的かつ気違いレベルの超つきの姫萌えである楠戸氏は、景勝の愛妻・菊姫に病的に萌える余り、「僕の菊姫タンを景勝の鬼畜野郎が冷遇した!」「貧乏公家の下男の娘を孕ませて菊姫タンを悲しませて自殺させた!」「おのれ!鬼畜景勝と自称四辻の娘の糞ビッチめっ!てめえらのやったこの悪事はこの僕の人生を賭けても絶対風化させないからな!!」と脳内幻想で本人がファビョりまくり、そのおどろおどろしくも過激で極端な恨(ハン)の篭りまくった妄想の書きつけ幻想作文を「史実」と偽って方々に大量散布している。[12]
    • 空気を全く読めなくなるほど極端に熱烈な謙信・兼続・菊姫ファンかつ気違いその物の極端に凄まじいアンチ景勝である彼らは、景勝を完全に無視して、自分たちのいる方へまっしぐらに向かったのを不審に思って問いただした謙信・兼続に、
      あんな糞ボンクラ、存在自体が日本、いや全人類の恥かつ大罪だから最初から存在しない物として扱うのは当然ですよ。あなた様方も早急にアイツをぶっ殺すか縁切りして追い出してしまいなさい
      と答え、さらにたまたま居合わせた菊姫に、
      あなた様のような素晴らしい女性があんな愚劣で鬼畜で冷酷な人でなしの妻だなんて勿体なさ過ぎます。今すぐにでも離婚して慰謝料たんまりせしめてアイツを追い出しなさい
      と言い、余りにも酷過ぎる景勝に対する罵詈雑言と暴言に激怒した謙信・兼続・菊姫らに極めて暴力的かつ残酷なシーンにつき削除
    • なお、これに先立って楠戸氏は「平民の分際で菊姫タンのハートを最も傷つけた糞鬼畜」と日ごろから憎悪し続けてやまない景勝の継室・四辻氏を禁則事項ですしようとして、血眼で邸内中の下女部屋や侍女の居室を探した[13]時間の都合によりカット
  • 小松江里子
    • 余りにも酷いドラマの出来に堪忍袋の緒が切れた上杉家はもとより、怒りに燃える他家の皆さん総出により、問答無用で命の次に大事な韓国ドラマDVDコレクションを眼前で全て叩き割られた上、諸藩の鉄砲隊と弓隊による集中砲火を浴びせられ、蜂の巣どころかグロにつき削除状態で殺害された。
  • 毎日新聞
    • 「菊姫は徳川家康と連日のようにチョメチョメしまくっている淫乱女」「菊姫は毎日どころか一日中誰彼構わずアーン♥♥しないと生きていけないビッチ」などと景勝の愛妻に対する事実無根の中傷記事を書いて世界中に発信したため極めて暴力的かつ残酷なシーンにつき削除

脚注[編集]

  1. ^ なお、女性小説家阿井景子は著作中において「景勝と菊姫夫婦はセックスレスではなかったが、彼らのセックスはXXXXXのみであった」という説を発表している。
  2. ^ ここでも景勝の豪運が発揮され、小水はなぜか景勝にしぶき一つすらかからず、その隣にいた色部顕長に命中した。余談だが顕長は重家に小水をぶっ掛けられたショックで間もなく病没した。
  3. ^ 上杉家の元で培われた幸村の「義」の精神はその30年後大坂の陣で遺憾なく発揮されたが、その時、伝授した側の景勝は徳川の犬となり下がっていた。
  4. ^ が、会津城下では氏郷を慕う人々の間で「景勝が会津の地ほしさに氏郷を殺した」などという根拠不明の流言蜚語が飛び交い、「義」を重んじる景勝としてはそのような噂が耳に入るのを大変悲嘆していたらしい。
  5. ^ その後の菊姫の末路については徳川家康の項を参照。
  6. ^ もしこの話が本当だとすれば、兼続は景勝夫妻の関係を「破壊した」上、景勝の世継ぎを「抹殺し」「殺した」も同然の不忠極まりない極悪人である。何故景勝がそんな極悪非道かつ不忠不義の男を重用したのか不思議としか言いようがない。
  7. ^ 別の説によると、景勝もまた菊姫が第一声に放った「ハイサ~イ^^」の意味がまったく分からなかったのみならず、我慢ならないほど気持ち悪く感じ、菊姫を非常に疎んじて一切接したがらなかったので、終生二人は完全に仮面夫婦のままであったといわれる。
  8. ^ むろん故意にである。
  9. ^ そしてhydeの身長は156cm
  10. ^ もっとも、花ヶ前氏のご先祖は景虎側についたばかりに景勝によって越後を追放されて長年に渡って北陸を流浪し、景勝の会津転封後にようやく越後に戻れたのだから、景勝を憎悪かつ侮蔑するのも当然だが。(※実話)
  11. ^ また、花ヶ前氏の友人(※本当)である彼は、「美男で優秀な景虎」「醜男で愚鈍な景勝」という描写も作文に欠かさず盛り込み、景勝信者のファビョり狂いに一層油を注ぐという、友に対する美しい友情と敬意も見せている。
  12. ^ 誰か景勝信者が猛烈に嬉し泣き喜び…はしないまでも、せめて安心して読める真っ当な作品を書く歴史家や歴史作家はいないのか、本気で。
  13. ^ 四辻氏は「後妻になったリアルお公家様の姫君(しかも少なくとも親父さんの官位の上では菊姫より遥かに格上)」なので、女中の私室や下女部屋なんていう見当違いの場所を幾ら探しても無駄でしかない。

関連項目[編集]

  • 直江兼続
  • 佐渡侵略
  • 伊藤孝雄 - 日本のテレビドラマ史上最も景勝を上手く演じた俳優といわれる。
  • 児玉彰三郎 - 日本で唯一の真っ当な上杉景勝の評伝を書いた人物といわれる。しかしその評伝は諸般の事情により、再版される望みは薄いといわれていたが、全国の景勝ファンの熱い直訴が通じ、めでたく再販を果たした。