三河人

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「勝てるワケがない!!あいつは伝説のスーパー三河人なんだぞ!!」
三河人 について、ベジータ
「このオレが、タヌキなどに負けるはずがない!!」
三河人 について、フリーザ様

三河人(みかわじん)とは、愛知県東部に住む宇宙最強クラスのタヌキ型戦闘民族である。

三河には、愛知県に当たる「西三河」と、浜松県に当たる「東三河」があるが、通常は律令以前の「三河」に当たる「西三河」を指す。尚、東三河は、律令以前には「穂国」という別の国であった(と、豊橋市教育委員会は主張しているらしい)。

概要[編集]

勝利のためには自らのも顧みないほど勇猛果敢なことで知られ、全国の武将に「三河武士めんどくせえ」と恐れられた。 性格は凶暴・粘着質であり、一度受けた仕打ちを絶対に忘れない。また、極度のツンデレであり、そのあたりもめんどくせえと言われる原因である。 方言は「じゃん、だら、りん」などのわけのわからない言葉を使い、浜松県に住む東三河人は物事を強調したい時に「ド」をつける癖がある。 例 あいつすごくムカつく → あいつドムカじゃんねー。など。

社会・歴史[編集]

三河人が住み始める以前、愛知県には、尾張人といわれる高度な味噌製造技術を持った先住民族がいた。尾張人は味噌を主食としていたが、次第に味噌の需要が供給を上回るようになり、ついには尾張人の労働力だけではまかないきれないという事態にまで陥った。足りない労働力を補うために移住させられたのが三河人の祖先たちである。彼らは当時不毛の地であった愛知県東部の居住区に閉じ込められ、決して口にすることのない味噌を毎日ただひたすら尾張人のために製造するという奴隷のような生活を送っていた。長年にわたる奴隷生活は、三河人の「味噌への欲求」を増大させ、その欲求は「尾張人への反乱」という形で爆発することになった。

当初この反乱は高度な技術力をもつ尾張人によってすぐに鎮圧されると予測されていた。

しかし、大方の予想に反し、尾張人は全ての味噌蔵を奪われることとなる・・・。

三河人の勝利には3つの要因があった。少ない資源を奪い合う極限環境下で増大した戦闘力、長年にわたる強制労働で尾張人から学んだ技術力、そしてスーパー三河人の出現である。

三河人の社会は、徳川家を頂点にした専制国家で身分制度社会であるが、性別民族による差別はあまりなく、良くも悪くも戦闘力を重視する能力主義社会である。身分は生まれた直後の戦闘力で決まり、王族、エリート、下級戦士とランク分けされている。生まれた直後の戦闘力の数値が低い者は使い捨てにされ、たとえ王族であっても強敵のいない辺境の土地に送り込まれる。

瀕死から復活すると戦闘力が大幅に上昇する特質を持っているため、下級戦士でも激しい戦闘や修行を繰り返すとエリート戦士の戦闘力を超える場合がある。

エリート戦士となるために三河人は成人までの間、大変過酷な英才教育を受ける。西のキブツ、東の三河と言われ、一時期は毎年のように、未成年児童や青年が英才教育を受けている間命を落とすという事例が散見された。現在では近代化のため幾分マシにはなったものの西尾市で同様の事故が発生している。

文化・風習[編集]

三河人にとって戦闘服は戦に向かうための正装である。現在も勇者・鳥居強右衛門を称える祭典など重要な行事で着用する。戦闘服は重く頑丈なだけが取り柄の代物であるが、三河人にとってそんなことは問題ではない。

日本刀は三河人の魂であり、常に携帯している。日常生活で他者との衝突が生じた際に大変役立つ道具であり、三河人はこれを用いて肉体言語で語り合う。三河国の公共交通機関、劇場の座席には日本刀ホルダーが設置されており、侍にやさしい設計になっている。

スーパー三河人[編集]

戦闘民族三河人が、戦闘力上昇のために変身した状態。

変身には一定以上の戦闘能力と、(食べ物の恨みなど)フラストレーションの蓄積が必要とされる。 寅年寅の日寅の月寅の刻に生まれるという予言のみが語り継がれ、家康の出現までその存在は伝説でしかなかった。

伝説の人物[編集]

鳥居強右衛門:

三河人の最下級戦士の身であるが、度重なる激戦と死線を潜り抜けてきたことによって、その戦闘力は10,000前後と、エリート三河人にも引けをとらず、その勇猛さは三河人のあいだでは有名だったとされる。 三河人の誇りを守り長篠の戦いで壮絶な最期を遂げた。

徳川家康

三河人の王子。伝説のスーパー三河人。寅年寅の日寅の月寅の刻を狙って父王・松平広忠が絶倫パワーで生み出した101人の竹千代の一人。戦闘力が兄弟の中で最も低かったため今川氏に人質として送られたが、数多くの戦いを経て宇宙最強の戦士となった。 三方ヶ原の戦いにおいて、武田軍の追撃から命からがら逃れる馬上でうんこひりパワーアップし、超三河人へと覚醒。

山本勘助

三河人で有りながら武田一族に寝返った裏切り者。戦闘力約4,000。

徳川方によって発見された時の政局。腐食が進んでいる。
大河内政局:

1574年に武田方の手に落ちた高天神城に一人残り、奪還されるまでの8年間、何も飲まず食わずの捕虜生活に耐え徳川への忠義を貫いた三河人の鑑。捕虜生活の間に行われた拷問は熱い蝋燭を背中に垂らす、爪を焼く、髪の毛を引っ張ってアメリカンクラッカーの相方にする、ウィキペディアに「hydeの身長は156センチ」と延々と書き込まされる、など凄惨を極めていた。しかし政局はこの拷問に対し悲鳴をあげたり苦痛の表情を見せるどころか、逆に笑っていたという。三河人が食べ物の恨みから戦闘力を上昇させることができる好例といえよう。因みにこの拷問を見ていた武田の兵士がのちにSMプレイを考案した。しかしいかに三河人といえども、8年間飲まず食わずの生活で次第に体を蝕まれ、1581年に救出された時には体の節々は腐食し、歩くのも困難となっていた。戦闘力約8,000。

本多平八郎忠勝:

一向宗のクローン技術で蘇った古代のスーパー三河人。一向宗と手を組んだ尾張人の技術力で人造人間として改造されており、ジェット噴射で空を飛ぶこともできる。三河の一向一揆で一向宗側の主力として活躍するも、家康と激闘の末敗れる。敗北の際忘れていた侍魂を思いだし、以後家康の家臣となる。戦闘力14億。

必殺技[編集]

「ボーナス30%アップ」:

現代において某Tヨタ王国でも使用される最強の必殺技である。ボーナスをアップすることで三河人の戦闘力は一時的に10倍近くに跳ね上がるが、やりすぎると過労死する。三河人に勝てる奴はこの日本にほとんどいないため、三河人が戦場で討ち死にする事はまず無い。戦で死んだ三河人のほぼ9割が「ボーナス30%アップ」による過労死だったとされる。

宿敵[編集]

武田一族

甲斐国の独裁者で、私設軍を率いて地上げ等の活動を行ってきた。武田一族の部下には三河人より強い戦士が多いが、これは戦闘に秀でた戦士を各種族から選りすぐった結果であり、三河人のように種族全体で強い民族は少ない。

穂国:

メロンうなぎパイを好物にする種族。天竜川浜名湖の文化圏で、三河人からは「浜松のポチ」と揶揄されている。三河国に併合された後は「東三河」と呼ばれているが、「東三河は西三河ではない」というアイデンティティーが強い。戦国時代には今川義元武田信玄の領土で、今川一族と武田一族が没落すると徳川家康の領土に下った。

鳥山明

尾張人の物理学者、天文学者、哲学者、芸術家、発明家。聖書「ドラゴンボール」と彼の思想を信奉する尾張人たちは最後まで激しい抵抗を行ったが敗北、鳥山明は見せしめにツルマイツブリ山の永久氷壁に生きたまま氷漬けにされた。漫画家、 鳥山明は彼の思念の集合体であり、世界中の子供たちを聖書「ドラゴンボール」で洗脳し、「三河人絶滅計画」の尖兵にするべく活動している。

関連項目[編集]

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