三好三人衆

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三好三人衆(みよしさんにんしゅう)とは、三好長逸岩成友通三好政康の三人からなる戦国時代の三馬鹿トリオである。織田信長の天下統一事業に引き立て役、噛ませ犬として貢献し、花を添えた。

一般的な三好三人衆のイメージ

人物像[編集]

タイムボカンシリーズの三悪や、機動戦士ガンダムシリーズの黒い三連星などの三人組の敵キャラ、ファイナルファンタジー4のメーガス三姉妹など、物語における三人組と言うものは、概して主人公達の踏み台、引き立て役、噛ませ犬としての役割を割り当てられる事が多いが、その起源をたどれば三好三人衆に辿り着く。彼らは戦国時代に畿内に一大勢力を築き上げた三好長慶の一門家臣でありながら、時には主長慶に追従し、時にはその意思に反する行動を行い、結果として松永久秀と共に三好家中を引っ掻き回し三好家衰退の原因を作り、織田信長が容易に上洛できる土壌を作ってしまった。そのため朝倉義景と並んで、信長の天下統一事業に寄与した人物として顕彰されている。小物の印象を懐かれがちな彼ら三人だが、三好長慶ですら扱いあぐねたほどの曲者であり実力者である事は事実で、三位一体の攻撃で(松永久秀の助力もあったが)かの剣豪将軍足利義輝を追い詰め自害に至らしめた。この際には三人が何やら合体してビームを放ったという目撃証言もあり、彼らの勇猛さが偲ばれる。

三者紹介[編集]

三好長逸[編集]

三好 長逸(みよし ながやす、? - 天正元年(1573年?))

三人衆の筆頭として指揮を取る。六角義賢松永久秀に時には反目し、時には手を結ぶなどリーダーとしての狡猾さを見せ、長慶の弟である十河一存の変死や安宅冬康の誅殺に久秀と共に関わっていた疑惑があるにも拘らず長慶の信頼は厚かったなど単なる三馬鹿トリオのリーダーに納まらない食わせ物の器用人である。信長の上洛に抵抗するも破れ阿波まで後退するが勢力を盛り返し、信長包囲網の一角を担う。しかし包囲網が瓦解するに伴い長逸らも劣勢に追い込まれる。近年の研究で同じ三人衆の岩成友通とは同性愛の関係にあったことが明らかになり、最期は同胞であり、愛人でもある彼と共に織田軍相手に玉砕したとかつての通説では言われてきたが、最近の研究ではどうやら薄情にも友通を見捨てて一人逃亡したと言うのが史実[要出典]らしい。その後の消息は不明だが、友通とアッー!する一方もう一人の三人衆である三好政康とも不倫しており、彼と共に真田家へ落ち延びたそうな。信長の野望の武将列伝でもそれは反映されており、シリーズを通して一度も「死亡」と断定されたことはなく、後述する不死身の三好政康よりも強靭、無敵、最強であった。現在では故郷の徳島県でクリーニング屋を営み、かつての三人衆の盟友達の事を思い出して余生を送っているらしい。マンガ『信長』では最高齢なだけに威厳ある顔立ちだが、セリフは全て「〇〇の軍勢の数は?」というものである。
ちなみにキリスト教に寛容だったのでイエズス会の宣教師どもは著書で長逸のことをかなり好意的に書いている。ところが信長が畿内に押し寄せてくると彼らは長逸ら三好家を見捨てて信長にべったりと擦り寄った。布教の為の道具としか思っていなかった証拠である。耶蘇の奴らは性根が卑しい。

岩成友通[編集]

岩成 友通(いわなり ともみち、? - 天正元年8月2日(1573年8月29日))

苗字は異なるが三好氏の一門に連なると言われていたが、近年ではどうも三好長逸とアッー!の関係にあり、そのコネによって出世し、三人衆に名を連ねていた可能性が濃厚になっている。三好三人衆の女房役としてリーダーの長逸を支え、畠山高政、松永久秀らを相手に長逸、政康と共に戦った。信長が上洛してくるとこれに抗しきれずに三人仲良く落ち延びたが、足利義昭信長包囲網を敷くとこれに加担する。しかし次第に劣勢となり、最期を悟った友通は同胞であり愛人でもある長逸と共に玉砕して果てようとしたが、薄情な長逸は友通を捨て石に逃亡してしまい、哀れ友通は淀城を細川藤孝に攻められて憤死した。マンガ『信長』ではひどくエロい目つきの男となっている。
ちなみに本当は「石成」と書いて「いわなり」と読むのが正しいのだが、同時代の人間達が友通によこした書状では悉く名字を「岩成」と読み間違えられている。友通の発給した文書を見ると、しつこく「私の苗字は正しくは『石成』です」と注釈しており、岩成友通の苦労が偲ばれる。

三好政康[編集]

三好 政康 ((みよし まさやす、享禄元年(1528年) - 慶長20年5月7日(1615年6月3日))

三人の中で唯一生没年が判明している。他の三人衆二人が謀略も嗜んだのに対して彼は根っからの戦闘狂であり、父三好政長を長慶に討たれた後、香西元成と共に細川晴元や将軍足利義輝の家臣として各地でゲリラ戦を展開、ついでにちょくちょく長慶の屋敷へ忍び込んで彼を暗殺しようとするが悉く失敗している。何度も暗殺に失敗したため自分には体育会系は向いていないと悟った政康は長慶に降伏してその配下となる。そして、長慶の死後、他の二人と一緒にかつての主君である足利義輝を殺害する。義輝から「親父の面に泥塗って恥とは思わんのか」と罵倒されてキレたのが義輝殺害の理由らしい。
信長の上洛に対して長逸、友通と共に抵抗、足利義昭の信長包囲網にも加担するが敗れて動向不明となるが、真田昌幸に拾われる。戦闘狂である政康は真田の元でも重宝され、清海入道と号し、北上する北条氏政徳川家康との戦いで活躍した。真田幸村と共に大坂の陣に従軍し、87歳で戦死する。当時としては異例の長寿の上、80過ぎた老体で大坂の陣に従軍している事から弟政勝と共にターミネーターサイボーグの疑いが強まっており、その肉体は死後、棒ロボットの素体となったという。マンガ『信長』ではサザエの兜をかぶっている。如何に変わり兜とはいえ、サザエってあるか?
ところが真田の家臣になっていたというのは後世のライトノベルが典拠であったことが明らかとなる。実際には1569年に、三人衆で一番早く、病気にかかってポックリ逝ってしまったらしい。つまり真田十勇士と同一人物であるというのは真っ赤な嘘で捏造ということになる。最も歴史の専門家達はとっくに気づいていたのだが、尾鰭がついて風聞が膨張してゆくのを面白がって放置している。

三好政勝[編集]

三好 政勝(みよし まさかつ、天文5年(1536年) - 寛永8年12月10日(1632年1月31日))

三人衆ではないが、便宜上ここに記載しておく。政康の弟であり、兄とは異なり、父の仇である長慶には徹底して抵抗し、信長が上洛すると時世を見極めてこれに従い、秀吉、家康と天下人に仕え、老体で大坂の陣にも東軍で参戦し九十六歳の長寿を保ったと言われる。兄弟揃って尋常ではない長寿であり、おそらくは二人ともサイヤ人のような戦闘民族の血が流れていたか、人体改造を施された強化人間ではないかという説が濃厚である。
また彼は何故か真田十勇士の一人、三好伊三入道に数えられている。おそらく、政康と政勝が史実上の兄弟であった事から共に十勇士に数えられたのであろうが、三好ファンの戦国オタク達は、むしろ伊三入道が政康であり、清海入道は行方不明となった長逸ではないかと妄想している。

その他[編集]

  • 三好政長三好元長を、長慶が弟安宅冬康を、三好長治が忠臣篠原長房を謀殺するなど、戦国時代の大名家でも内ゲバ発生率が異様だった三好家の中で、彼ら三人衆が一番良好な仲であった。ケツの穴で繋がっていたがゆえの仲の良さだったとも言われている。
  • 茶器を愛し茶器と共に自爆して果てた松永久秀マ・クベに、三好四兄弟がザビ家に喩えらる為、三好三人衆は(穴兄弟的な意味合いも含めて)黒い三連星に喩えられる事が多い。無論、踏み台にされた人は岩成友通である。