一騎討ち

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一騎討ちについて

「やぁやぁ我こS 」 〜ある鎌倉武士〜

「何か言ってるぞ、今だ!かかれ」 〜あるモンゴル将軍〜

「くっ卑怯な」(矢で撃たれながら) 〜ある鎌倉武士〜

一騎討ち(いっきうち)とは、敵方の一騎(=馬に乗った一人の武者)を討ち取ることを目的として行われる戦闘行為である。

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概要[編集]

古来日本では、対立する勢力のあいだで数多くの戦闘が行われてきた。そういった戦闘の中で、どうしても敵方の有力な武将(多くは総大将)を討ち取る必要が生じたり、図らずしてそのような人物を討ち取れるような状況になることがある。このような状況で企図されるのが一騎討ちである。

なお、あくまでも一騎討ちとは敵方の一騎を討ち取るために行われるものである。よって、一騎討ちに参加する味方の人数はどの程度であろうと構わない

第四次川中島の戦いにおける一騎討ち[編集]

最も著名だと思われる一騎討ちの事例は、第四次川中島の戦いにおいて行われたものである。川中島の戦いは、北信濃の支配権を巡って武田信玄上杉謙信の両大名によって行われた合戦であり、全五回のうち四回目である当合戦が最大のものである。

この合戦では、武田軍が上杉軍の挟撃に失敗したために大乱戦となる。この乱戦の中でかの有名な信玄・謙信の一騎討ちが行われた。一般には、謙信がたった一騎で武田本陣に乗りこんだものの、信玄が軍配で防いだために討ち取ることはできなかったとされている。[1]

しかし考えてもみてほしい。混乱する武田方において信玄の周囲が手薄であることはあり得るが、優位に立つ上杉方で総大将が一人で突撃する必要はないだろう。そう、実際には上杉方は大軍で信玄に襲いかかったのだ。武田方の奇襲を見抜いた上杉方は統制がとれており、一万人以上の本隊が一気に武田本陣にになだれこんだと考えるのが自然である。つまり、武田本陣で行われたのは「一人対一万人の一騎討ち」である。しかし、一万人からの攻撃を信玄はどうやって軍配のみで防いだのかという問題に関する定説はなく、今後の究明が待たれる。

  1. ^ 諸説ある。この記述は『甲陽軍鑑』による。

一騎討ちの実態[編集]

一騎討ちをいわゆるフェアプレイや武士道精神のルーツとしてとらえる向きもある。また、ドラマ等では正々堂々とした合戦を演出するためのパーツとして用いられるなど、一対一の「一騎討ち」のイメージが人口に膾炙している。しかし以上の例で分かるように、一騎討ちの実態は集団リンチそのものである。以上の事例は、過去の史実が誤って解釈されている一つの好例ではないだろうか。

関連項目[編集]