一揆

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「俺もやったよな、そして逝ったよな?」
山城の国一揆 について、山城新伍
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一揆(いっき)とは、何らかの共同体に属する者が心を一つして目的を達成するため、酒を飲み交わすことで成立する盟約、及びその儀式を指す言葉である。一揆飲みとも言う。日本の伝統儀式であり、近年まで、大学のサークル等の飲み会でも「一揆!一揆!」と叫び煽りながら酒を飲み、学友が心を一つにする微笑ましい光景が見られた。なお、一揆で酒を飲む時は必ず一回で飲み干さなければならないとされており、途中で残すことは神々と盟友への背信行為と見なされるので注意が必要である。

一揆と反乱[編集]

よく誤解されるが、上記にあるように、本来一揆は反乱や支配者への抵抗運動を指す言葉ではない。確かに、一揆はその飲み方の性質上、酔が激しくなることが多く、歴史的には一揆によって泥酔して判断力を失った人間が大挙して、暴力沙汰になることが度々あったが(というか、今も結構ある)、こうした暴力行為が一揆なのではなく、酒を酌み交わす盟約そのものが一揆なのである。このことはウィキペディアにもしっかり書かれている。[1]

一揆の歴史[編集]

江戸幕府による一揆撲滅キャンペーン。

一揆がいつから行われたかは定かでない。一般に室町時代が一揆の全盛期と呼ばれ、後に掲げるようなバリエーション豊かな一揆が登場した。戦国時代には毛利元就等の大名が一揆を用いて国人をまとめ上げた。江戸時代には、一揆によって急性アルコール中毒で死亡する者が続出したので、江戸幕府は一揆を厳禁し、一揆をしたものは厳罰に処せられた。しかし人々は一揆を求め続け、明治初期にはさらにエスカレートして人間の血をしぼって飲む血税一揆というものまで現れた。第二次世界大戦後には一揆を取り締まるために破防法が制定され、今に至っている。しかし上に挙げたように一揆は現在でも行われており、破防法がザル法であることは明らかである。それでも近年はお上の目が厳しくなってきたため、飲みニケーションと改称して伝統文化の存続を図っているところも見受けられる。

いろんな一揆[編集]

室町時代には、既存の一揆に飽き足らない人々によって、様々な個性豊かな一揆が登場した。以下に、その例を挙げる。

土一揆[編集]

酒の代わりに土を飲む。極めて危険であり、参加者の大半が窒息死したと伝えられる。飢饉で酒が手に入らないときによく行われたといわれ、中世の人々がいかに一揆を渇望していたかが窺い知れる。

徳政一揆[編集]

将軍の徳政を称えるために行われる一揆。一般人にとっては、酒が飲める機会さえあれば理由なんぞ適当で構わないのである。将軍が替わったときに就任祝いとして行われるものは特に代替わりの徳政と呼ばれる。参加者には酔った勢いで借金を踏み倒す程度の勇気が与えられる。

一向一揆[編集]

南無阿弥陀仏という呪文を唱えながら行われる一揆である。既存の一揆に加え、さらに神秘的な気分を味わいたいときに行われる。蓮如という人物が始めたもので、多くの人々を酒に狂わせ宗教に傾倒させた。彼らはやはり酔った勢いで敵陣にかまわず突っ込んでくるため各地の戦国大名から恐れられた。

梶原一揆[編集]

巨人の星』や『あしたのジョー』などで知られる原作者の一揆で、高級クラブで酒を飲んでは少年マガジン編集部に無理な要求を受けて一揆を起こし、空手の自慢で鎮圧する男の中の男

神一揆[編集]

悪代官を一揆飲みの酒で昏睡状態に陥れ闇献金や裏金を奪い返す『声優・アイコ』による一揆。

その農民は女性」で居ながら「女装」をすると言う、忍者でもできない前代未聞な変身術に長けている。

海外発祥の一揆[編集]

海外由来の一揆も存在する。有名なものにあのヒットラーも行った「ミュンヘン一揆」、小ぶりの容器で女性にもやさしい「カップ一揆」等。いずれもドイツ流である。

ゲーム化[編集]

1985年、一揆をモデルにしたゲーム「いっき」が発売された。このゲームは、「ひとりでも一揆ができる」というキャッチコピーを掲げ、これが飲み会での人間付き合いに疲れた現代人の心を見事に捉え、ミリオンセラーとなった。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ しかし一揆に対する偏見は根強く、大河ドラマ『毛利元就』において、本来「国人一揆」という言葉を用いるべきところを、青少年に悪影響を与えるという理由で「国人領主連合」なる言葉に変えられてしまった。