一式陸上攻撃機

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一式陸上攻撃機(いちしきりくじょうこうげきき)は、第二次世界大戦直前に完成した日本軍の大型攻撃機のこと。愛称はワンショットライター。アメリカB-25と外見は一部似ているが、長所短所はちょうど逆である。

概要[編集]

太平洋戦争直前、大日本帝国海軍の無茶な計画に沿って作られた。海軍は、来るべき米艦隊の日本襲来に対して、漸減作戦でその数を削ぎ落とし、主力艦同士の対決を容易にする作戦を想定していたが、その為に双発でも3000km以上飛行でき、戦闘機以上に高速で、魚雷を搭載できる陸上機を必要とした。

これに従って各メーカーに試作を要求したところ、どこのメーカーも四発機でなければ所定の性能は満たせないと回答した。これを無理に海軍のない物ねだりで、双発でこしらえたのが本機である。四発機は多少高価にはなったろうが、既に92式重爆や飛行艇をこしらえてきた日本の航空技術では不可能な話ではなかった。が、一度決めた用兵思想は押しとおすという軍の官僚主義が、献策の受け入れを阻んだのである。 以下は、その時の、メーカー主任と海軍将校の答弁。

本庄季郎技師(三菱) 「防備が不十分。小型で航続距離求めれば燃料タンクに被弾しやすいため、四発機にして搭載量、空力性能、兵儀装要求を満たし増えた二発馬力で防弾鋼板と燃料タンクの防弾、消火装置を備える」 和田操(航空技術廠長) 「用兵については軍が決める三菱は黙って軍の仕様通り作ればいい」

結局、三菱が引き受け、日本人の勤勉さと工夫によって機はできるにはできたが、案の定、肝心なものが犠牲になってしまった。それは、防弾性であり、また防御力である。困ったことに、翼内部全体を燃料タンクとした為、羽に銃弾が当たると必ず火を噴き、火だるまになる仕様になってしまったのである。しかし、攻撃は考えても、防御はさほどに考えたくない日本軍においては、あまり問題にされなかった。そもそも、日本海軍は主に対米大海戦にだけを想定して、日夜戦備を蓄えていたので、一回こっきりの海戦で使えれば、後はどうでもよかったのである。

登場までの経緯[編集]

主な開発条件は

  1. 高性能であること。
  2. 長距離で飛ぶこと。[1]
  3. 魚雷1トン搭載可能なサイズにすること。
  4. 双発機であること
  5. 当時の戦闘機と同レベルな速度を持つこと

主に落下傘部隊に活用されたり、専ら中国などの都心の空爆作戦にも利用された。

実用化[編集]

零戦(手前)と並走する一式陸上攻撃機の最終型(奥)

日本海軍が真珠湾攻撃をしている間に仏印には数十機が派遣され英艦隊を壊滅させた。また、山本五十六も愛用しキ-94の登場まで長らく現役であった。なお、キ-94は試作段階のまま終戦を迎えており、正式採用はおろか量産にも入っていない。つまり、一式陸攻は終戦まで使われ続けたという事である。

ライターとしての評価[編集]

本機に遭遇したアメリカ人操縦士たちは、その葉巻そっくりの胴体ゆえに激しく喫煙欲を催した。

一式陸攻は彼らのくわえたタバコに片端から火をつけて回り、そのうち156[要出典]ほどを肺ガンに罹患させる戦果を上げる。

この結果、操縦士たちは一式陸攻に「ワンショット・ライター」= 一発で火の点くライター、との愛称を捧げ敬意を表した。

「おかげで空の上でもタバコが吸えるようになりました、ありがとう!」
一式陸上攻撃機 について、アメリカ人操縦士一同

隠れた本機の実態[編集]

なお名前から勘違いされがちだが(編集者も勘違いしている)本機は海軍機である。 B25側も海面スレスレ作戦を真似した。(B25は脅かして玉型爆弾を投下するという違いがある) また、大戦末期には、敵艦隊上空への特攻機の運搬(人間爆弾桜花)にも従事したが、積載重量が規定の倍になり、鈍重になりすぎた為、迎撃機の追撃をかわし切れず、図らずも、自ら人間爆弾も同然(=全滅)になってしまった。なお、終戦直後には、停戦交渉の為、全身白塗りにして、緑十字のマークをつけて軍使を乗せて飛び、平和の使者ともなった。

脚注[編集]

  1. ^ 具体的には積載量1tで航続距離4,000km以上

登場作品[編集]

  • 太平洋戦争シリーズ :日本の場面に至るところで一式陸上攻撃機が登場。
  • パールハーバー :後半のドーリットル空爆作戦に登場しB-25多数撃破する。
  • 山本五十六関連 :彼の登場する作品に決まってこの一式陸上攻撃機が登場。