一寸法師

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一寸法師(いっすんぼうし)とは、室町時代後期、主に応仁の乱の混乱に乗じて活躍した足軽の一人。五月蝿い鳴き声に定評のある衝々法師(つくつくぼうし)、仕えた主が次々に死んでしまう桑島法師(くわしまほうし)と並び、室町の三法師と呼ばれる。

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外見[編集]

一寸法師は、極めて身長が低かったことで知られている。少なくとも、当時の人間の平均身長である1hydeの半分にも満たなかった。一寸というのは流石に誇張であろうが、とにかく小さく、建物の隙間にネズミのように忍び込めてしまう俊敏さを持っていた。このため「鼠小僧」という別名でも呼ばれていた。なお、身長に関してはかかりつけの医者から成長ホルモン分泌不全性低身長症と診断されたとの記述が伊勢物語にある。

活躍[編集]

鼠のように小柄でありながら、一寸法師は卓越した怪力の持ち主で、片手で熊を持ち上げるほどの力を持っていた。茶碗の蓋とを武器として扱い、乱れる戦場を疾駆しては箸の槍で敵兵を突き殺し縦横に活躍した。応仁の乱で乱行狼藉を働いたことで知られる骨皮道賢を始末したのも一寸法師だと言われている。また針を刀として用い、動けなくなった相手をさらに時間をかけてじわじわといたぶるのを好むサディストであり、敵からも味方からも大いに恐れられた。

一寸法師は力だけでなく、頭脳も聡明であった。一条兼良らと親交が深く、兼良に師事して故事や源氏物語などについて色々学び、博学になったという。他、雪舟と美術の腕を競ったこともある。

その活躍を認められ、一寸法師は足軽でありながらある高貴な姫君を娶ることを許された。その姫君が一寸法師の男めがけて小槌を振り下ろすと、それまでいかなる美女に対しても変化のなかったそれはムクムクと頭をもたげ、みるみるうちに大きくなり、立派な姿に変わったという。こうして新たな快楽を知り、男になった一寸法師にとっては、戦における傷は恐れるものでなく、大きな悦びであった。それゆえ妻帯後の彼の戦績はさらにめざましいものになったという。

財力[編集]

一寸法師はかなりの金持ちであった。彼の邸宅には、どこから集めたか知らないが、金銀財宝が山ほど備蓄されていた。どのような経路で集めたかは不明であるが、本人が語るところによると、鬼退治をして鬼が独り占めしていた財宝を取り返した、らしい。

鬼退治[編集]

鬼退治で財力を獲得したという一寸法師だが、室町時代の史料には、実際に一寸法師が鬼を退治したという史料が散見される。その中には一級史料もある。その「鬼」についてだが、我々が想像する怪物としての「鬼」もいれば、比喩表現としての「鬼」もいる。その「鬼」とは、将軍足利義政を篭絡して政治を掌握していた有馬持家、烏丸資任、今参局の三人である。史料が伝えるところによると、一寸法師はかの日野富子の命令を帯びて、今参局を暗殺したと伝わる。また足利義視をも暗殺しようとしたらしいが、細川勝元の妨害によって失敗した。

出自[編集]

出自については不明だが、赤松家の出身ではないかと提唱されている。赤松家の当主は歴代低身長のものが多く、一寸法師ような人物が生まれてもおかしくないというのがその論拠である。

一寸法師の最期[編集]

そんな一寸法師にも最期の時が訪れた。一寸法師は鼠のように小さい人間であったためか、鼠と同等の寿命しか持てず、老衰で病死してしまった。享年は10歳にも満たないという。また一説には細川政元に捕縛され市中引き回しの上打ち首になったと言われているが、根拠に乏しい。

それから数百年後の江戸時代、鼠小僧次郎吉なる盗賊が、「俺は江戸時代の一寸法師だ」などと吹聴して盗賊行為を働いたが、あっけなく御用となって処刑された。

また、大正期には「一寸法師」と呼ばれた殺人鬼がいた。その活躍は朝日新聞にて連日報道され、人々は美女を次々と切り刻む残忍な手口におののき、当時著名であった私立探偵、明智小五郎との対決を固唾をのんで見守った。彼は次郎吉と異なり体の大きさが本当に一寸ほどしかなく、高い身体能力とずば抜けた知力で探偵や警察を欺いた。この恐るべき殺人鬼を室町の一寸法師の子孫であるとする説がある。