ロック

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「ロックは死んだ。我々が殺したのだ。」
ロック について、ニーチェ

ロックとは、1960年代から1970年代にアメリカを中心に活動した音楽家兼哲学者

概要[編集]

ロック(フルネームはRock-N-Rool)は1940年代にアメリカ合衆国南部で生まれたとされている。少年期である1950年頃、当時最新鋭だったエレクトリックベースの音色に感銘を受け、更にドラムセットを加えたパーカッションを取り入れた独特の演奏を考案する。また社交性の高かったロックは友人を誘って演奏する事も多く、彼の楽曲は五名以上で奏でるものが多い[要出典]

当時のアメリカでは人種や立場により音楽のジャンルも細分化されていた[1]が、ロックは「聴覚に人種的な差異は無いにも関わらず、何故こうなっているのか」と疑問を抱き、「世界の真実」を求めて哲学の道へと進む決意を固める。音楽を通じた哲学的活動は多くのフォロワーを産み、思想を受け継ぐミュージシャンが何人も世に出ることになっていくことになる。

作風[編集]

彼の曲には、漏れなく「抵抗」という言葉が入っており、「俺らに恵まねえ政府なんかくたばっちまえ」という歌詞が充満している。貧乏人を世界一見下していた17世紀の名門イギリス貴族のコスプレ衣装でこれを歌っただけに、誰もがそのギャップに笑いと怒りをこらえ切れず、熱狂が世界を包んだ。

ロックの音楽は『開かれた音楽』として世間に広がり、また激情的な音楽を便宜的に「ロック」と呼ぶようにもなった為そのジャンルは様々な方向へと広がっていった。人間だけでなく蜘蛛の一種にもこの音楽に反応するものがいる程である[2]。津波のように押し寄せる音の奔流は若者の心を捉え、大きなムーブメントを作るに至ったのである。

失速[編集]

ロックの思想が、人生そのものだと言う教え子の姿。

しかしそこから時代が下ると、その人種や思想による「区別」を否定するロックの考え方がキリスト教関係者から危険視されるようになり[3]、またベトナム戦争によりロックの協力者たちが続々と社会から去っていった事もあってロックの活動は次第に勢いを失っていった。

そこにホッブスという同じくイギリス貴族のコスプレライバルが現れ、「リヴァイアサン」という巨大クジラの闘争をうたう新曲を発表した。「全てはバトルだ」と熱唱する彼の曲にロックのファンはすべて移行し、ロックは過去の人物となり、その曲はポップスの幕開けと礼賛された。ホッブスの方が年上だとロックが抗弁しても聞く者はいなかった。

ロックはその後、活動拠点をイギリスへと移し、後進の育成に主眼をおいて活動するようになり、「人間知性論」「市民政府論」という著作を書いた。しかし、「音楽と何の関係もない」「ロックがずっと否定してきた難しい政治思想の本にすぎない」と散々な評判であり、誰もが抵抗精神の喪失を惜しみ、家を炎上させた。現在は実質的な消息不明状態であり、「電子世界でワイリー博士と戦うロボットになった」と各所で囁かれるも、真偽は不明なままになっている。

脚注[編集]

  1. ^ 黒人はブルーズ、中産階級の白人はカントリーミュージック、という具合。
  2. ^ ロックンロールウィドウと呼ばれる。
  3. ^ ロックがキリスト教音楽であるゴスペルを取り込もうとした事もその一因である。

関連項目[編集]