ロアッソ熊本

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ロアッソ熊本(ロアッソくまもと)とは日本のプロサッカークラブである。

「たまには俺達の事を思い出してください」
ロアッソ熊本 について、アルエット熊本元関係者一同
「ところで巻はいつ熊本に帰ってくるの?」
ロアッソ熊本 について、熊本県民
「お前ら!!うちから来た連中ばかりじゃないか!!!」
ロアッソ熊本 について、柏レイソルサポーター
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ロアッソ熊本」の項目を執筆しています。

概要[編集]

熊本には、今までまともなスポーツと呼べるスポーツがなかった。当時はまだ国民的スポーツであった野球についても、熊本県民のアンチ福岡精神により、ソフトバンクホークスの応援ではなく、巨人を応援する程度であった。そこに誕生した一つのプロスポーツチームがロアッソ熊本である。

歴史[編集]

1969年〜2004年[編集]

アルエット熊本時代など、当時の沿革についてはWikipediaのロアッソ熊本の項目を参照して欲しい。

その後、柏レイソルの元監督である池谷友良を招聘したところから話は始まる。

「とりあえずJリーグ目指せ」と言われてやってきたのはいいが、組織側の事前準備などほぼ皆無。フロント構築なり選手スタッフ、練習場など、やることが山積していた。それを見た池谷監督は「仕事丸投げってレベルじゃねえぞ!」と嘆くが、嘆いても誰も助けてくれるわけじゃないので仕方なくスタッフ集めに奔走する。

そのスタッフ集めが一段落ついた段階で、「アルエット熊本」というチームを母体に「ロッソ熊本」を結成した。「ロアッソ」ではなく「ロッソ」なのが肝要である。ちなみに、アルエット熊本の選手は一人残らず戦力外になっているので、実質的には全く別のチームである。

そして何より特徴的だったのは、選手全員がプロ契約という点。これは地域リーグのチームとしては過去に例がないものであった。

2005年[編集]

九州リーグ(実質的な1部リーグ)の入れ替え戦に難なく勝利すると、九州リーグに加入した。FC琉球とデッドヒートを演じたが最後には地力の差を発揮。一時低迷することもあったが、終わってみれば圧倒的1位で地域決勝リーグへ進んだ。全員プロなんだし余裕でJFL昇格だと誰もが信じて疑わなかった。

ところが、1次リーグこそ、JFL昇格の最大のライバルと言われたグルージャ盛岡と岡山に勝利し突破したが、次のリーグ戦でFC琉球にまさかの敗北、さらにジェフリザーブスにも敗北し3位が確定。昇格筆頭候補と言われながらもJFL昇格を逃してしまった…


かに見えた。だが愛媛FCがJリーグに昇格し、繰り上げで何とか昇格した。 ここで昇格に失敗していたら、間違いなくクラブは消滅していたはず。非常に幸運にも恵まれていた。

2006年[編集]

滑りこみでJFLに昇格して挑んだ1年目。Jリーグへの準加盟にも通り、「JFLで2位以内」に入ればJリーグ昇格も約束された。

だが、終わってみればリーグ4位。JFLの門番チームに力の差を見せつけられたプロチームはJリーグ昇格を逃してしまう。これで県民の期待値も大きく減ることとなるが、チームが消滅にせずに済んだのは幸運だったのかもしれない。

2007年[編集]

正念場の2年目。JFAのお情けで4位以内にJリーグ参入条件が緩和され、終わってみれば2位でJリーグ加盟が決定。

ちなみに、「ロッソ」が商標登録されていて使えなかったので、「ロアッソ」に改名。ロッソ(=イタリア語で「」)と阿蘇(あそ)を合わせたシュールな名前であったので、サポーターから大ブーイングが出たほどである。だが今現在、「ロッソ」はチームの愛称として定着していることを記しておく。

2008年[編集]

そして記念すべきJリーグ1年目。大人の事情で大幅な選手入れ替えは出来ず、どの雑誌でも最下位争い必至と予想された。 戦術は引きこもりカウンター。必死に守ってカウンターでFW高橋泰の得点力に期待する、というものであった。

この戦術はある程度通用し、FW高橋は得点ランク2位にまで上り詰めた。序盤から中盤は流石にJリーグの厳しい洗礼を受け続ける日々だったが、シーズン後半には8試合連続負けなしを記録し、最終的には12位フィニッシュ。後半のショートカウンター主体の鋭いサッカーの成熟を、と2年目に期待する声はかなり大きくなった。


だが

チームの大黒柱であったFW高橋が「こんなチームにいたら、いつまで経ってもJ1でプレーできねぇよ」福岡へと電撃移籍。これが未だに遺恨となっており、福岡と熊本のチーム間の関係は(特にサポーターを中心に)良くないのである。

また、それはチーム力の大幅な低下を意味し、Jリーグの厳しい現実を魅せつけられてしまうのであった。

※結局福岡は2011年シーズンをJ1で過ごすがわずか1年でJ2へ逆戻り。2012シーズンでは九州の盟主となり、FW高橋は望みは叶ったとはいえ、移籍元よりも格下クラブの選手となってしまったから皮肉である。

2009年[編集]

そんな時支援の声をあげたのが、地元有数の企業である「株式会社藤田」である。

そんな株式会社藤田の意向で獲得したのが、当時名古屋で不遇だった大ベテランのMF藤田俊哉である。 苗字が同じ選手を獲得して欲しいとのことで獲得をしたとのコメントが残っている。年俸はロアッソ熊本史上最高額の3000万。熊本の選手スタッフ年俸(総額2億円)の実に15%を占めるものであったが、株式会社藤田が負担することでチームの負担は殆どなかったとされる。

また、池谷監督が総監督GM専任となったことから、代わって北野誠が監督に就任した。北野たけしとは無関係でバーニングはしないが、成績的にはバーニングしてわずか1年で退任となった。「目標の10位に届かなかったため」が理由。

戦術は昨年までの守備的サッカーから一転して攻撃的なサッカーになった。だが守備軽視の結果失点が増えた上、FW高橋が抜けた穴はあまりにも大きすぎた。終わってみれば昨年よりも酷い14位でフィニッシュ。

そしてシーズン末には大きな事件が起こる。この「歯医者」騒動に関しては後述する。

その中で、その貧弱な攻撃をただひとり支えていたFW木島の素行を一部スポンサー(株式会社藤田との噂)が嫌悪し、「こいつクビにして!」とチームに命令。本当にクビになってしまいさらに攻撃力が落ちる結果となる。

2010年[編集]

新しい監督には、横縞をJ1昇格に導いた「アジアの大砲」こと高木琢也が就任。攻撃的サッカーから再び引きこもりカウンターサッカーへと転向することとなる。フロントにはチーム強化のビジョンがないことを示す大きな出来事であった。そして、「3年以内にJ1昇格」という目標を掲げたのもこの年である。

そしてシーズン開始。引きこもりカウンターサッカーを存分に発揮し、シーズン中盤までは昇格争いに絡むという大躍進であった。

そんな堅守を支えていたのが、オフにから加入したGK南である。ネタGKとして有名だが、実力はJ1クラブが羨むレベル。後述する池谷即電の賜物である。このあたりから徐々にネタチーム化してくることとなる。

その後、熊本の酷暑にやられたのか夏場以降に大失速し、終わってみれば7位でフィニッシュ。だが戦力を考えれば120%の力を発揮出来たシーズンという評判である。

その一方、失ったものも多かった。

シーズン終了後、地元熊本出身のエース西が「この監督じゃ自分を活かせない!」大分トリニータに移籍。

また、FWカレン・ロバートが「海外でチャレンジしたい!」オランダVVVフェンロに移籍してしまったことで、表向きでは主力流出と評されることとなる。

2011年[編集]

昨年ある程度実績を残せた守備をベースに、FW長沢らを加えて攻撃力の強化を図った。実質的には昨年よりも層が厚くなり、台風の目になると予想されてシーズンイン。

序盤こそ持ち前の引きこもりカウンターで昇格争いを演じたが、やはり夏場に大失速。ホームで瓦斯に無得点1失点、さらにアウェーとなる真夏の国立競技場で瓦斯に瓦斯サポ環視の中無得点5失点という公開処刑を喰らうと、岡山にも4失点と守備も崩壊し、昇格争いから早々と脱落することになる。

その後チームの立て直しには成功したが、結局昨年よりも順位を4つ落として11位でフィニッシュ。九州最弱こそ回避したが、昇格圏には遠く及ばなかった。

攻撃強化を目論んだ1年だったが、終わってみれば 得点は0.86点/試合とリーグワーストで、昨年よりも攻撃力が大幅に落ちた(2010年は1.18点/試合)。中盤までは攻撃の形を作れるものの、フィニッシュの精度がべらぼうに低く、攻めているのに点が入らなかった。

また、本来ハイボールにはあまり強くない長沢にポストプレイを強要するなど、選手の特性を顧みない戦術であることも得点力不足に拍車をかけてしまっていた。この状況にシーズン終了まで苦しみ続けることになったのは言うまでもない。

守備については、シーズン全体を通してみれば昨年よりも改善(1.19点/試合→1.15点/試合)しているように見えるが、夏場以降、特にDF菅沼を大阪からレンタルで獲得して以降のDFラインの不安定具合に関しては言うまでもないほどであった。

これは菅沼が悪いわけではなく、DFラインの選手の相性を見抜けなかった高木監督に難があるように見えることを記しておく。2012年シーズンの磐田での菅沼の活躍を見れば、それは明らかである。

オフには大幅な戦力刷新が行われた。チームの守備を支え続けたベテランMFエジミウソンや、チーム屈指の人気選手だったFW宇留野を筆頭に、出場機会を失っていた合計8人に戦力外通知した。

主力の流出がゼロであったことは大きなプラス材料ではあったが、ただならぬ状況に陥っているという事実が年明けに判明することになる…

2012年[編集]

J1昇格5カ年計画の最終年に当たる年となった2012年。補強は地味ながらも、養父や藤本といった「中盤で試合を作れる選手」を獲得し、弱点である中盤の強化に成功した。そして、さらなる選手獲得をサポーターの誰もが待ち望んでいた。

だが、チームはかなり深刻な状況であったのである。 なんと、2011年は7500万の赤字決済であり、債務超過が4900万発生したという事実が発表された。

おりからの不況で日本全体が厳しい状況であったところに、東日本大震災による自粛ムード、そしてチームの順位の低迷による客足の遠のきなど、マイナス要素が重なってしまったのが原因である。

そのため、クラブライセンス制度を見越しての予算大幅減。コーチスタッフが2人退団し、チームメンバー数を抑え気味にしたのも、その赤字削減策の一環だと思われる。

それでもチームに必要な主力は全員残留した上、補強にもほぼ成功。赤字自体は4年ぶりなので、今年赤字と債務超過を解消できればJ1昇格は十分に可能。とりあえずサポーターは安心してシーズンインすることになった。

だが周囲の期待とは裏腹にスタートダッシュに失敗してしまった。6節で岐阜にホームで3-0で勝利して以降、7節から15節で9試合で得点1というとんでもない決定力不足に。もちろん勝てるわけがなく、0勝5分4敗であっという間にリーグ18位まで落下。J1昇格よりJFL降格の心配をする羽目になった。

低迷した理由は、今年から縦ポンカウンターサッカーから脱却し、ポゼッションを軸においたパスサッカーへと転換したのが大きな要員であろう。開幕から数試合は魅せる試合もあったが、それもすぐに通用しなくなった。守備では3バックに変更し、なんとか復活を図ろうとしたがうまく行かず、そのままズルズルと行ってしまった。

また、このシーズンはアウェーでまるで勝てないことも、低迷の理由の一つだと言える。 まるで千葉みたいな内弁慶っぷりに、ロアッソ熊本の親分もさぞ驚いたことだろう。

結局夏ごろにパスサッカーを捨て従来の縦ポンカウンターに回帰。その結果得点力が復活し守備も安定傾向に。これで調子を取り戻すと、例年のごとく秋には上位チームを尽く破るなど躍進。だが前半戦の失態が尾を引き、結局プレーオフ圏内には遠く及ばない14位で終えることになった。

天皇杯ではクラブ初となる4回戦まで駒を進めるが、結局はJ1名古屋グランパスにボッコボコにされてシーズンを終えた。

また、シーズン開始直後にAC熊本の岡社長が債務超過の引責で退任。池谷GMが社長を兼任するという異常事態となり混乱を極めることとなったことも記しておく。

なお、この年の決済は2300万円の赤字だったことが明らかになり、債務超過が7100万まで膨らんでしまった。黒字化を目論んだのにさらなる赤字。どうすんだよこれ…


2013年[編集]

チームを3年率いた高木監督が退任となり、新たに前U19日本代表監督である吉田靖が監督として就任した。折しも、『東洋のバルセロナ』とまで呼ばれ、世界中で注目された世代を率いたにも関わらず散々な成績(U20W杯出場出来ず)を収めた直後であったため、不安視する声が少なからず出てくることになった。

それに拍車を掛けるように、チームの得点王だったMF武富が湘南へ移籍、更にはチームの生え抜きであるDF市村が横浜FCに移籍(後述の「整骨院騒動」を参照)と主力級が相次いで退団。代わりにブラジル人を複数確保し何とか体裁を保ったが、池谷即電もゼロと物寂しさだけが募った。

しかし、それを吹き飛ばすかのような出来事があった。

ロアッソ熊本がホームスタジアムとして使用している「熊本県民総合運動公園陸上競技場」という長ったらしい名前のスタジアム。 その呼称は長らく「KK WING」であり、愛着を持っていた人も多かった。

それが2月1日から「うまかな・よかなスタジアム」 へ変更されるのである。それも4年間。

略して「うまスタ」で、日本のサッカー事情に詳しい人であれば熊本のスタジアムだと分かる(うまスタ→馬スタ)のだが、 それ以外の人はピンとくるかどうか怪しい。そもそもうまかなよかなとは何なのかはお察し下さい

でも、命名権を取得した山田なんとか市場の社長が「うまスタという略称になるように、ロアッソに配慮して命名した」と言ってくれたり、そもそもこの不景気で年2,500万円×4年=1億円も出して命名権を取得してくれたり、本当にありがたいですよ、本当に「ヤフオク!ドーム」や「Eスタ」よりはマシな名前にしてくれてありがとう!

なんやかんやでシーズンが開幕したが、前評判通りに低迷することとなった。 高木監督の守備組織を維持しながら、攻撃では細かく繋ぎ、左右に散らす「ゆりかご」をテーマとして戦術を組み立てたかったようであるが、シーズン序盤から守備組織は崩壊。攻撃では序盤こそ魅せる展開、得点場面を作ったが徐々に失速した。

そして、チームはあっという間にJ3降格圏直前まで落ちてしまった。 その状況で攻撃ではコンセプトを捨てて、可能性ほぼゼロな縦ポンに終始。守備ではあっけなく複数失点を繰り返すという、スタジアムに行く気を完璧に削ぐ糞試合を連発した。

そんな中、主力に怪我人が続出したことで、ヴァンフォーレ甲府から堀米、FC東京から橋本を短期レンタルで獲得した。 その二人の加入で一時的に流れは良くなったが、結局元に戻ったのは言うまでもない。

そして、アウェイでの北九州戦で0-7での記録的大敗 を喫してしまう。7失点というのは当時のJ2タイ記録であった(その後、岐阜2-8G大阪という記録によって塗り替えられた)

そのような大失態を演じてしまったがゆえに、7月10日に監督解任が決定。お金がないので池谷GMが再び監督業兼任となった。 結果として22チーム中19位と何とかJ3降格だけは回避したが、シーズン終盤の脅威の馬脚力も見られず、終始低空飛行のままシーズンは終わりを告げた。

ちなみに、2013シーズンは1000万ほどの黒字化に成功。実りが少なかったシーズンだったが、最低限のノルマは達成したと言えよう。


2014年[編集]

新監督には小野剛が就任。良くも悪くも無難な選択であり、ファンはとりあえず安心することとなった。


池谷即電の賜物であった南雄太を給料が高すぎという理由で放出。岡本(札幌)や園田(愛媛)といった他クラブの中心選手の強奪や将来有望な多数の新人の獲得に成功したものの、クラブの大黒柱を失いあっという間にファンは不安一色となってしまった。

それもそのはず。今年の年間予算編成にはJリーグからの指導が入るため、高額な選手はとても雇える状況ではなくなったのだ。その影響もあり、点取り屋やサイドバックの補強に出遅れて、これでシーズンインするの?と思われる状態になってしまった。

かと思ったが、とある凄いサプライズによってそれは打ち消されたのであった。また、とてもカッコイイと多分評判の新ユニフォームも発表され、そこにあのサプライズキャラもデザインに入ることになった。

そしてシーズン開幕。

ホームに福岡を迎えた開幕戦は、Jリーグ3月のベストゴールとなった片山の弾丸無回転ミドルに始まり、新戦力の園田拓也のカウンターからのループシュートの2本で勝利。幸先のいいスタートを見せた。

プレスからのカウンター、そして巻の活躍がフィットし、今年は上位を目指せるかもしれない、と誰しもが思った。 だが、それがチームとしてのピークになってしまった。

それ以降、試合内容はいいのに勝ち切れない状態が非常に長く続き、シーズン後半戦に入る頃には安定していた守備が崩壊。最終的には立てなおして13位でのフィニッシュだった。

この年の特徴としては、『内容では完全に勝っていたのに勝ち切れない』試合が多すぎたことが大きかった。 2014年シーズンは中位(6位~19位)が団子状態であり、こういう試合できちんと勝てなかったことが中位に沈む要因となってしまった。

なお、この年は債務超過の解消、財政基盤の改善を目指して7000万の債務解消資金募集と3000万の財政基盤強化のための募金を打ち立てた。 結果として債務超過は解消され、募金も最終的に2900万集まった。観客動員も下位に沈んだ割には昨年よりも上向いた。

観客動員も中位に沈んだ割には動員は微増。ただ、ひとつ言えるのは巻のネームバリューは大した効果はなかったということか。

それだけでなく、澤田や中山、上村、嶋田と言ったルーキーの活躍も有り、来季に向けて期待できる要素が増えた、久々の年だったとも言える。

オフには出番を失っていた高橋、大迫、五領、ファビオ、山崎に戦力外通告を行った。

なお、この年のラジオにおいて池谷社長が「今までは『この選手がうちに来たらどうなるのか』で選手を取っていたが、今後は『このクラブに必要なタイプの選手』を取りに行く」と宣言。つまりはそれ以前はいい加減な補強だったわけね…。

2015年[編集]

オフには池谷社長の言葉通り、効果的な補強を達成することが出来た。

昨季9得点の澤田と、守備の柱だった橋本がJ1クラブへ個人昇格していったのは痛かったが、ザスパクサツ群馬の中心選手だった平繁とクォン・ハンジンの強奪に成功。 更には、調子の波は激しいが、乗ると手が付けられない常盤など、癖はあるが効果的な補強を行うことが出来た。 他、U代表の大谷、インカレ最優秀選手に選ばれた鈴木など、将来性に期待出来る選手も増えた。

また、オフのニューイヤーカップでは、チーム戦術の浸透度の差こそあったが、主力をぶつけてきた浦和レッズに引き分け、同じく主力主体の清水エスパルスに完勝を収めるなど、順調な仕上がりを見せていた。 攻撃については相変わらずの決定力不足であったが、復帰間近の平繁が帰ってくれば…と期待値がますます高まっていった。

が、開幕1週間前になって、FWの柱になると考えられていたアンデルソンが靭帯断裂で今季絶望の大怪我をしてしまい、一気に不安に包まれることとなった。

そんな不安の中シーズン開幕。 その不安は見事に的中し、開幕10試合でわずか1勝 しか出来ず(1勝3分6敗)、当たり前だが最下位 に沈んでしまった。

攻撃では、昨年相手に脅威を与えたハイプレスとショートカウンター、ドリブル突破をかなぐり捨てて、連携皆無なポゼッションサッカーに固執。 高い位置でボールを繋いで崩す、という意図があるのだろうが、前線の役割分担が全く出来ておらず、ミスを掻っ攫われてカウンター、というのがお約束になった。 その上、たまにある決定機をことごとくFW陣が外し続け、10試合でわずか5得点と対戦相手としてはとても守りやすいショボさ。

昨年は勝てなかったが内容では圧倒していた試合が多かったが、今年は中身がスッカラカンで負けて当然の結果な試合ばかり。 チーム専属のライターである井芹氏からも「個の技術はしっかりあるが集団として機能していない」とバッサリ。

もともと、澤田のJ1清水への移籍や、チームの中心選手の一人だった仲間をレンタルで追い出すなど(さらに言えば、仲間は讃岐で中心的選手として大活躍している)、チーム強化方針に疑問を持っている人がそれなりに多かったこともあり、監督解任論にとどまらず、チームの強化責任者=池谷社長の退任論まで噴出することになった。

この状況を変えたのが、夏前に仙台からレンタル加入したシュミット・ダニエル神 である。 加入するやいなやガバガバだった熊本の守備が激変。リーグ屈指の堅守に生まれ変わった。 シュミットダニエルの守備範囲を活かして思い切りラインを上げるコンパクトな陣形の戦術は、サッカー誌がぬるっとサッカーと題して特集を組むレベルに成熟。クラブの成績も急上昇し、一時はPO圏内の6位まで勝ち点差5(9位)まで順位を上げた。 更に鳥栖から夏にレンタルで加入した清武()が7得点あげ、大車輪の大活躍でチームを引っ張った。最終的にはラスト5節で3分2敗と失速しPO争いからは脱落し去年と同じ13位でのフィニッシュ。実質的には戦術シュミットダニエル、戦術清武に近いサッカーであったが、サポからは小野監督続投要請が増えるようになった。

そして事件は起こる。小野監督によるスタッフへの暴力が発覚してしまう。 この事件はJリーグに通報され、地元紙のみならずネットで全国にニュースが流れた。

池谷社長は続投要請をしたが、スポンサーが黙っているわけがなく、サポーターからもそれまでの高評価を撤回しての解任論が飛び出るようになった。 結果として小野監督が続投要請を固辞しての退任になったのは言うまでもない。

悲劇はそれだけに終わらなかった。 オフには、チームの主力であったシュミットダニエルが松本へ、エースFW齋藤が磐田へ、守備の柱だったクォンハンジンが済州(韓国)、養父がVファーレン長崎へ移籍してしまう。 それにとどまらず、スーパーサブとして重宝した田中も岐阜へ貸し出すという迷走っぷり。 スタッフでも、功労者であった北嶋コーチが新潟へ行ってしまったりと散々。 J2でダントツの草刈り場と化した状況に、来年はガチでJ3かな…、と悲嘆に暮れるサポーター一同であった。

その一方、下部組織は充実。 ユースを財前氏が再建しプリンスリーグ昇格が決定。その財前氏に代わってやってきたのが、なんと元日本代表のFW森本らを育成した菅澤氏。 日本のユース界隈における超有名人を確保するというお手柄をやってのけた。 ジュニアユースでは藤本氏が監督1年目ながら九州リーグ昇格を達成するなど、悲惨なトップと対照的な下部組織の躍進である。

2016年[編集]

主力が大量に移籍してしまったが、退団選手に見合うだけの補強が全く出来なかった。 小野監督退任を予想していなかったのか、監督人事が全く決まらず迷走した。 J2チームで最も遅くにようやく清川氏の監督就任が決定したが、補強でも完全に出遅れ。 J2他クラブの戦力外選手を数人確保するのがやっと、という状態でクラブの戦力はガタ落ちしてしまった。

齋藤の移籍に関して磐田から移籍金を獲得できたものの、それを使う機会すら与えてもらえなかったのであった。お隣のJ3降格クラブ最下位でJ3降格のクラブの補強のほうが明らかに良かったため、なんでJ3のほうがまともな補強してるんだ?とフロントに対する疑問も大きくなっていった。

そんな中でのシーズン開幕。相手は昨季J1であり元々相性が悪い松本。案の定ボロ負け…かとおもいきや、開き直ったカウンターサッカーを展開、PKによる1点を守り切ってまさかの開幕勝利スタートに成功した。その後も、苦手徳島、東京ヴェルディ相手に勝利し、0-7で負けるなど相性最悪なアウェイ北九州戦をドローで凌ぐと、昨季PO圏内の長崎にもアウェイで勝利。気づけばJリーグ加盟後としてはクラブ初のJ2単独首位 に躍り出る大躍進を見せた。

そんな躍進を引っ張ったのが、昨季から期限付き移籍にて加入していたMF清武。圧倒的な個人技とフィジカルで大車輪の活躍を見せ、J2の3月期月間MVPに輝いた。

が、その躍進もここまでだった。ホームでの清水エスパルス戦に敗れると、J3からの昇格クラブである山口に全くいいところなく完敗。呆気無く首位の座を失った。

それだけでは終わらなかった。そう、4月14日、熊本地方を震源とするマグニチュード6.5の大地震が発生。益城町で震度7を観測し、選手の住居も被害を受けた。更に打撃を与えるように、4月16日にはマグニチュード7.3の更に大規模な地震が発生。益城町と西原村で震度7を再度観測した。

そう、これが平成28年熊本地震 である。

この地震の影響で、選手・スタッフの大半が車内での寝泊まりを強要され、スタジアムは地震により損壊した上に救援物資の保管庫化。サッカーどころではなくなってしまい、クラブは機能停止状態となってしまった。選手の一部は県外に避難、他クラブの善意にて練習参加させてもらう日々であり、5月に入ってようやく全選手が揃っての練習が開始された。

そんな状況でなんとか5月15日にクラブはアウェイ千葉戦にてJ2へ復帰した。チーム内でインフルエンザが流行したこともありコンディションの悪さは想定以上で、全く歯が立たず完敗したが流石にこの試合の出来を咎める人はいないと思うので気にしない。ホームスタジアムであるうまかな・よかなスタジアムは損壊しており7月まで使用不可ということで、次の22日の水戸戦は柏のホームスタジアムである日立台での開催となるなど、苦しい状態の中なんとかJ2残留を目指すことになった。しかし選手のコンディションは芳しくなく、ノエスタ神戸で開催された町田戦で0-2。3連敗(清水戦、山口戦を含めれば5連敗)となり、最下位と勝ち点差3にまで迫ってしまった。

ただでさえ選手のコンディション、メンタル面でのマイナス要素が強すぎる上、のしかかってきたのは過密日程。地震の影響で延期した試合が殆ど真夏の水曜日に押し込まれた結果、ようやく持ち直してきた選手のコンディションが再びどん底に落ちた。当たり前のようにチームは連敗。エース清武の絶不調も重なり、深刻な得点力不足で勝ち点を積み上げることが全くできなかった。天皇杯では地域リーグのクラブにPK戦一歩手前まで持ち込まれるような体たらくであった。

それでもホームで千葉に勝利し、山口にはアウェイで勝利。岡山など上位勢から辛うじてドローで勝ち点を積み上げることが出来たため、降格圏からは多少離れた位置まで上がることは出来た。まぁ、下位チームが予想以上に負けてくれたり、行政によるチームの私物化でモチベガタ落ちな元J1クラブの存在もあったことで救われた感はある。 最終的には16位でフィニッシュ。

Jリーグからの支援金や全国からの募金が大量に集まり、この年はなんとか赤字決算回避に成功した。なのだが、震災の影響で被害を受けた企業が多く、2017年シーズン以降の年間予算は縮小傾向になるのが確実で、まさにこれからが本当の地獄だ状態である。

オフにはチームの攻撃を1人で引っ張った清武弟が千葉に移籍。またもやエースストライカーを引き抜かれてしまった。とは言え主力は総じて残留し、J1クラブやKリーグクラブとの争奪戦を制して獲得したDFイム・ジンスや、同じくJ1J2クラブとの競合を制して獲得したMF上里、GK野村や、クラブとしては初となる非韓国・非ブラジル国籍のFW安柄俊(元北朝鮮代表)も加わり、得点力不足に対する不安は残ったが悪くないオフだったといえる。 まぁ、昨年主力を抜かれまくったのを考えると平和なオフだったのだろうが、ロアッソ史上最悪の地獄が訪れようとは、当時誰も想像しなかっただろう。

2017年[編集]

シーズン開幕前の会見で池谷社長はこんなことを言ってのけた。「日本で最も厳しい練習を課すクラブにする」と…。戦いに厳しい姿勢で望む方針を打ち出して盛り上がったが、いざ蓋を開けてみるとけが人が大量発生してしまった。特に昨季の主力中の主力だった植田が大怪我でコンディションを大きく落としてしまったのが誤算だったと言えよう。ニューイヤーカップやTMではJ3チームにボッコボコにされるなど、雲行きが非常に怪しくなってしまった。

そして迎えた開幕戦。相手は格下の讃岐なのだが、ボールをその讃岐に支配される展開。 カウンターから北朝鮮代表に選ばれることになる安柄俊が決め勝利したが、「今年のロアッソ不味くない?」という空気が一気に広がった。 それでも、失点はそこそこ多いが得点もそこそこ取って中位にかろうじて食らいつく状態だった。

が、ここで大きな転機を迎える。第9節後に守護神GK佐藤が大怪我で離脱(リーグ最終戦でようやく復帰)すると、ここから1勝1分7敗であっという間に19位まで沈んでしまった。 代役のGK野村が不安定で、1試合平均失点が2.2と、最下位群馬よりひどいデータを叩き出すと、攻撃陣も無得点ゲームが長く続いた。 チームもベテランと若手の温度差が著名となり、まさにチームがバラバラじゃねーか!!状態になってしまった。

この有様を受け、池谷社長は清川監督を解任(多分「解任」自体はクラブ初だったような…)。2度目の代役俺となった。 これが起爆剤となり、手堅いサッカーで勝点を稼ぎ始めたのだが、他クラブに対策されるとまた勝てなくなった。

ロアッソより下位に沈んでいた金沢や讃岐、山口がリーグ後半戦で徐々に調子を上げる一方、最後まで低空飛行になってしまい、最終節で降格筆頭候補とされた山口にも追い越され、過去最低順位の21位でフィニッシュしてしまった。

2017年から下位2チームはJ3降格というレギュレーションだったため、このままではJ3降格。 なのだが、J3でJ2ライセンス持ちのクラブが上位2チームに1チーム(栃木)しか入れなかったため、かろうじて降格を免れたのだった。

この成績を受け、池谷社長はチームを去ることが決まり、まともな補強を出来なかった強化部長は解任となった。 今シーズンに補強した選手で明らかな戦力として定着したのはDF三鬼、MF上里、FW安柄俊の3人のみ。大量に選手を取ってきたが、結局主力として機能した選手は数少なく、夏場に緊急補強した選手もほとんど試合に絡むことが出来ず当然の処遇といえる。

その上、清川監督に明確なビジョンがなく、それまで(小野時代)にそれなりにチームのスタイルが確立されたいたものを完全にぶち壊してしまったのが痛すぎた。 もともと外部から監督招聘を考えていたが交渉がすべて決裂し、やむおえずの監督打診だったこともあり、モチベーションが低いのは致し方なかったのかもしれない。

いずれにせよ、チームの創設者である池谷がチームを完全に去ることになり、ロアッソにとって一つの時代の終わりを告げるシーズンだったと言えよう。

一方、営業面では震災の影響をなんとか緩和しようと、熊本でのスポンサー企業募集にある程度見限りをつけ、東京での営業を開始した。 その結果が今季のマイナビや双日と言った県外大手企業の支援であり、冷え切った熊本経済を考えると、今後も東京や熊本関係者コネを活かした県外企業との関係は強くなっていくだろう。

オフは監督探しからのスタートとなった。 シーズン終了時点で「ロアッソと無関係な複数の監督と交渉中」とのことだったが、それが「リストアップしただけ」→「年内に決定する」とトーンダウン。 海外の報道にてイングランド人監督就任の噂(現地報道で「来季J2クラブで指揮をとる」と発言。来季監督が未定だったのは熊本だけだった)が流れたがそれもいつの間にか消え去っていった。 新人獲得も完全に出遅れ、ユースからの昇格のみと非常に物寂しいオフの開始となった。

監督まとめ[編集]

池谷友良[編集]

ロアッソの社長であり監督もこなす人。2005-2008と2013後半戦で監督就任。
戦術はプレッシングからのショートカウンターで、運動量、性格が荒くてもファイト出来る選手を多く起用する。
が、現役時代はテクニックに長けた攻撃的MFであったことから縦ポンカウンター程度まで守備的なやり方は極端に嫌うようである。
守備、攻撃ともにまぁ手堅く構築するが、凄い腕前ってわけではない。
お金がないロアッソ熊本において、いつでも監督解任できるのはこの人の存在もある(池谷社長本人が監督代行を出来るから)。
2017年は清川を解任し再度監督に就任したが、最終的に清川と同レベルの結果しか残せずチームは降格圏でフィニッシュ。
責任を取る形で同シーズンでクラブから去った。

北野誠[編集]

攻撃は最大の防御という思想の持ち主。2009で監督就任。
守備的な選手でも攻撃時にはどんどん前へと飛び出していく、迫力がある攻撃が魅力。
ただし守備はおざなりになるので、攻撃のタレントが揃っていないと得点数<失点数となって下位に沈むので要注意。
だが、2010年から讃岐の監督に就任後に、格上相手にはリアリストに徹し引きこもりカウンターも行うことを覚えたようである。

高木琢也[編集]

元日本代表FWながら、非常に堅い守備を構築できる監督。2010-2012で監督就任。
戦力的に乏しくても上位進出出来るウノゼロサッカー。ただし2~3年目は攻撃的な戦術を作ろうとして失敗して下位に沈む。
本当に守備は素晴らしいのだが、攻撃に関してはお察し下さい
長崎の監督に就任後は、運動量にものを言わせたハイプレスサッカーを標榜し、それなりに成功を収めている。

吉田靖[編集]

世代別代表監督経験者。攻撃重視の戦術を組む。2013年前半で監督就任。
戦術はボランチの実力次第で、このポジションに滅茶苦茶優秀な選手がいたら結構面白い攻撃サッカーを展開する。
ただし守備練習がかなり苦手らしく、守備は選手任せなので守備崩壊は覚悟が必要。
ロアッソ時代は無能監督扱いされたが、再就職した浦和レッズレディースを優勝させ汚名返上の活躍を見せたりした。

小野剛[編集]

元フル代表コーチの肩書を持つ監督。2014-2015年で監督就任。
ポゼッションサッカーを好み、自分が理想とする戦術に選手を当てはめるタイプ。
ロアッソ熊本1年目はカウンターサッカーを標榜したが、2年目でやりたいサッカー(=ポゼッション)を始め、その結果J3降格争いを演じる羽目となった。
スカウティング能力は極めて優秀でコーチとしての性能は日本屈指だが、監督としての性能は平凡というのが不思議なものである。
この人の海外サッカーの解説はとてもわかり易くて人気が高いので、『早く解説業に戻れ!』という声もあったりする。
シーズン2年目にはスタッフに対する暴力行為によりJリーグから警告を食らい、結果として監督退任となった。

清川浩行[編集]

2016年に監督就任。
元々柏レイソルのユース指導者だったが、池谷社長に引っ張られてきて熊本のユース指導者に就任。
その後トップチームのコーチを高木監督体制くらいからやっていたが、本人は監督をあまりやりたがっていなかった。
だが小野監督の暴力事件により急きょ監督探しが必要になった際に、案の定オファーがどれも成立せず、やむおえず監督昇格という形。
フォローに久藤氏(元アビスパU18監督)と財前氏(元ロアッソユース監督)が入るという条件で受け入れてもらった。
戦術はサカつくで言う「ノーマル」
清武がいた2016年は戦術清武でそれなりに機能したが、清武の不調が顕著になるとやはり勝てなくなったのは言うまでもない。
結局、2017年シーズンでチームを大きく低迷させたため、途中解任となった。

選手の移籍にまつわる騒動[編集]

※この2つの事件はwikipediaに書くと削除されるので、仕方なくuncyclopediaに書いていることを改めて記しておく。

「歯医者」騒動[編集]

2009年にロアッソ熊本を、いやそれだけでなく全国のサッカーファンを驚かせた事件である。

今シーズン限りで契約満了となりチームを去る選手の発表を、クラブは11月29日に発表する予定であった。 だが何を思ったのか、クラブのスポンサーである歯科医が自身のブログで、公式よりも先に戦力外選手を発表してしまったのである。クラブは慌てて戦力外選手を公表した。

このことがきっかけとなり、クラブの内通者がこっそりと情報をブログや掲示板に書く行為が歯医者と呼ばれるようになった。

だが忘れてはならないのは、重要な情報を漏らすのはクラブや企業の信頼に関わる重大な行為であるということであろう。

「整骨院」騒動[編集]

歯医者騒動で懲りたはずのロアッソ熊本であったが、2013年初頭にまたも同じようなトラブルが発生してしまう。

今回はクラブのスポンサーではない整骨院長が自身のブログで、公式よりも先に、チームの主力であるDF市村の横浜FC移籍を発表してしまったのである。

また、そのブログには、ユース監督であった上村氏のカマタマーレ讃岐への転任もリークされており、ロアッソ熊本サポーターだけではなくサッカー界全体を再び揺るがす大きな事件となってしまった。

ちなみに、今回のように患者情報を漏らすのは刑法違反(守秘義務違反)であることを記しておく。企業としては失格であることには変わりがない。

「池谷即電」について[編集]

  • 池谷即電(いけやそくでん)
「熊本の池谷は早速オファーの電話をかけた」の意。
 オファーの成功率はともかく、熊本の「ダメでも良いからとりあえずオファー」という精神は他クラブも見習うべきである。
  類義語:「尚既神断
      〜民明書房刊「新明解 蹴球四字熟語辞典」より〜


ロアッソ熊本を語る上で最も大事になるのがこのフレーズである。

ロアッソ熊本はフリーになりそうな選手に対して、片っ端からオファーをするチームである。以下、すでに判明しているターゲットを記す。※実際にソースがあるもののみ

2010シーズン[編集]

  • GK南雄太柏レイソル)→新潟などとの競合を制して獲得成功。本人曰く「戦力外通知10分後にオファーをくれたから」

2011シーズン[編集]

(その他、池谷GMがオファーしたとコメントした選手が複数存在する様子)

2012シーズン[編集]

2013シーズン[編集]

即電無し

2014シーズン[編集]

即電無しだったようだが、小野監督就任後、強い要望を受けてすぐにある大物へオファーしたので、これも即電に入るのかも知れない。

2015シーズン[編集]

  • DF上原拓郎 (コンサドーレ札幌) →札幌側のコメントにて「(戦力外発表後)すぐに声をかけていただいた誠意に心惹かれて」とコメントしている。

2016シーズン[編集]

即電無し

2017シーズン[編集]

  • MF上里一将 (コンサドーレ札幌) →熊本加入が決まった際に本人がブログで1番最初に声をかけて頂き、熱心なお誘いに凄く感謝と語っている。
  • FW玉田圭司 (セレッソ大阪) →戦力外発表翌日にオファー。当初は競合クラブ無しと思われたが資金力で圧倒的なグランパスに競争で敗れた。

今度のオフシーズンも、きっと池谷友良が盛り上げてくれる!そう信じてやまないサポーターは多いはずである。

だが池谷がクラブを去ることになり、もう池谷即電はみられなくなった…完。

謎の踊り[編集]

2012シーズンの後半戦から始まった踊りで、片手を振り上げながら「カモンロッソ!」と叫んでラインダンスを踊るものである。ロッソと叫ぶ理由はお察し下さい

きっかけはFW北嶋とMF藤本が「ゴール裏のサポーターへのお礼としてなにかやりたい」と言い始めたことらしい。

当初は戸惑うサポーター一同であったが、これを契機にチーム成績が向上し踊る機会が爆増したことで一気に定着。今やロアッソ勝利を祝うお約束のダンスとなっている。

今ではサブGKによる謎のダンス進化Verで盛り上がることになっている

巻誠一郎とロアッソ熊本[編集]

熊本県を代表する有名人であるFW巻誠一郎。そして、ロアッソ熊本が熱心にラブコールを送っては尽く無視されている。これはある意味様式美とも言える。

熊本県には、まだ完全にサッカー文化が根付いているとは言えず、地元の選手=地元出身の選手なのである。(これが成熟してくると、地元の選手=地元チーム所属の選手になるのである)

例えるなら、デルピエロがロアッソ熊本に加入した所で、「よそ者がチームでプレイしている」としか思われないということである。地元サッカーを盛り上げるためには、「有名な地元出身の選手」が必須であり、それに最適な選手である巻誠一郎の獲得に必死になっているのである。

2010シーズン[編集]

シーズン途中でジェフ千葉を戦力外になった巻。熊本から「うちに来いよ」とラブコールを受けるも、無視してロシアへと移籍。 年俸が高すぎて断念したのでは?との声があったことで「巻獲得基金」を設立した。(巻獲得が現実問題として困難となったため、2012年シーズンのJ1昇格への補強資金になる見込みである)

2011シーズン[編集]

ロシアで活躍できず、事実上の戦力外で移籍先を探す巻。もちろん熊本から「うちに来いよ!」とラブコールを受ける(実際にオファーまでしたらしい)。だが何を思ったのか、トルシエ監督率いる深センへと移籍。結局活躍できずに速攻でクビになる。

そして再び熊本からのラブコール。日本に帰ってくることが濃厚であったため、「今度こそ巻が来るか?」と期待は高まった。だが何を思ったか東京ヴェルディに移籍。さらに、すぐにホームでの熊本との試合に出場した。東京ヴェルディではそこそこ活躍し得点も記録し、巻待望論を掲げていたサポーターからは落胆の声が多く聞かれるようになったのである。

2012シーズン[編集]

東京ヴェルディの一員としてシーズンインする予定であったが、シーズン開始直後に顔面骨折で長期離脱となってしまう。その怪我から復帰するとすぐさま結果を残し、チームの途中交代の切り札として確固たる地位を獲得してしまった。

でも熊本県民は夢見てやまない。巻誠一郎がロアッソ熊本の一員になることを―――

だが、池谷社長がコメントにおいて「もう巻誠一郎へはオファーしない」と宣言しており、巻本人がよほど希望しない限りはロアッソ熊本加入の可能性がほぼ消滅したということをここに記しておく。

2013シーズン[編集]

巻は東京ヴェルディのスーパーサブ、あるいは調子がよければスタメンにてそれなりに活躍した。

2014シーズン[編集]

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祝・巻誠一郎選手、ロアッソ熊本加入!!!


巻佑樹とロアッソ熊本[編集]

巻誠一郎の弟で同じくプロサッカー選手なのだが、熊本県民にも忘れられてるので割愛する。

実は2012年シーズンをもって現役を引退し、スカウトに転向したことを知る人は少ない…

関連項目[編集]

  • 熊本県
  • 熊本市
  • 水前寺清子・・・ロアッソ熊本イメージソング「HIKARI」を歌っている。
  • 宮崎美子・・・たまに試合を見に来るらしい。
  • 蒲島郁夫・・・熊本県知事。この人が来ると試合に負けない。どんなに内容が悪くても負けないから不思議…であったが、2013年開幕戦でその記録が途絶えてしまった。なお、蒲島県知事の無敗記録とは対照的に、熊本で地上波放送があると勝てないというジンクスもあったが、こちらも2013年水戸戦で途絶えた。2013年はジンクスがことごとく崩れる年で鬼門鳴門の渦潮にも飲まれなかった。
  • 小沢一敬・・・スピードワゴンの目立たない方。TV番組の企画でロアッソで働いていたことがある。今でもサポーターをしてくれている。
  • ホラッチョ川上・・・同じく熊本市をホームタウンとするサッカーチーム。
  • くまモン・・・2010年の夏からホームゲームに無理やr(ry、もとい熱心に応援しに来てくれている熊本県のPRマスコット。