ランチア

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ランチアとは、非常に壊れやすい数々の名車迷車を作りだした自動車メーカー兼ラリーチームである。イタリアのメーカーであるが、同じくイタリアのフェラーリランボルギーニといったそうそうたるメーカーの影に隠れてあまり目立たないのが特徴。日本国内では一部の大きなお友達に熱狂的なファンを持つのみで、それ以外にはほとんど知られていない。

概要[編集]

1906年、イタリア・トリノ生まれ。当時すでにフィアットが国内市場を席巻していたイタリア国内にあって、高級車等のニッチな部門で自動車を売り出したが、創業者親子のどんぶり勘定がたたってしまいあえなく倒産。その後敵対していたフィアットに買収されたことを機にモータースポーツ界へ本格的に参戦し、自動車メーカーというよりもラリーチームとして有名になっていった。まさしく当時の本業ともいえるラリーで輝かしい伝説を残したことから、日本でもわずかながらランチアの熱狂的ファンが存在し、中古のランチアが今でも250万円前後で取引されている。現在ではまたまたどんぶり勘定がたたってラリーからは撤退し、再び普通の自動車メーカーに戻って新車の製造を専門としているが、今だに輝かしいラリーの伝説に目がくらんでいるランチアファンはこれに見向きもしないため、日本には正規輸入代理店が存在しない。

沿革[編集]

黎明[編集]

ランチアは、モータースポーツが趣味でレーシングドライバーとして活躍していたヴィンチェンツォ・ランチアが、「サーキットを走るのもいいけど、やっぱり自由に車を作ってみたいなあ」という思い付きで始めた会社である。とはいっても、最初はモータースポーツへの参戦は行わなかった。

前述のとおり、イタリアの国内市場はすでにフィアットによって制圧されていたも同然であったため、ランチアはあまり手の伸びていない高級車部門でその才能を発揮し、流麗なフォルムと性能を併せ持った自動車の生産によって人気を博した。

しかし、採算を度外視して性能を追い求めた技術偏重の自動車製造を行っていたランチアはあえなく倒産。その後は敵対関係にあったフィアット傘下に入ることとなる。

フィアット内でもランチアの伝統的スタイルは軽視されずに受け継がれ、高級車部門のフラッグシップとして扱われていたが、ランチアはそれなりに、あくまでもそれなりに高性能であったので、大衆車中心のフィアットが持ち合わせていなかったものを持つブランドとして注目が集まり、徐々にモータースポーツ界への参入を試みていくこととなった。その参入先として最も有力であったのが「ラリー」の世界であった。

ラリーへの参戦[編集]

1973年、ラリー界では有名な「WRC」が初開催を迎える。ランチアはすでに市販されていた自動車をより高性能に改造した上でラリーに出場させることとなったが、当初はあまり成績が奮わなかった。当初、WRCでは「市販車を強化したモデルを1年間で400台販売し、そのモデルを基にマシンを開発する」というルールが存在していたため、いくら強化したところで市販車ベースの域を出なかったのである。

そこでランチアは、そのルールを逆手に取り「400台市販すれば何でもいいんだよね」と考え、「ラリー専用マシンを開発し、それを400台市販する」という暴挙に出た。 こうして生まれたのが「ストラトス」である。市販車ベース車が軒を連ねる出場マシンの中にあって一際異彩を放ったこの「ストラトス」は、車体の軽さと圧倒的な高性能で他を寄せ付けず、1974年には「わずか4戦出ただけで製造者部門総合優勝をかっさらう」という伝説を作り、さらに1976年まで3連覇をも成し遂げてしまう。

こうして輝かしい活躍を見せたストラトスであったが、肝心の市販車のほうはさっぱり売れなかったという。何分ラリーというごく限られたシーンに適合するように作られており、公道で走る分にはいろいろと中途半端だったのだ。フィアットはこの大成功とも大失敗ともいえないような複雑な事態を受け、自動車製造業としてのランチアに見切りをつけ、マシンの開発をアバルトのチームに委託、ランチアを完全にラリーチームに転換することにした。ラリー馬鹿伝説の始まりである。

グループBへ[編集]

WRCはこれに飽き足らず、「さらなる高性能マシンによる危険で迫力あるバトルを」として、後に「狂気の時代」と言われてしまうグループB規定を設立する。ランチアはこれに追従する形でストラトスの流れを汲んだ「ラリー(通称037ラリー)」を開発し、当時ストラトスに代わり勢力を伸ばしていた四輪駆動車に対抗するが、037ラリーは開発期間短縮のために後輪駆動であり、舗装路では勝てるものの、非舗装路では四輪駆動車に勝てなかった。なお、037ラリーのスタイリングは大変美しく、その後に出るホンダNSXなどにも影響を与えた。

いよいよ万を持して四輪駆動のラリーマシン開発に着手したランチアは、既に市販されていた「デルタ」の名前だけを借り、中身をラリー専用に大改造を施した「デルタS4」を開発。 その中身は890kgの超軽量車体を最高456馬力のパワーを余すこと無く4輪から路面に伝え、異常なまでの変態的な動きをする文字通りのモンスターマシンとして生まれ、グループB末期には600馬力をゆうに超えていたと言われるこのマシンは、そのハイパワーさゆえに扱いが非常に難しく「コース上に留めておくだけで精一杯」と言わしめるほど。そして、運命の1986年5月2日ツール・ド・コルス SS18でヘンリ・トイヴォネンがドライブするデルタS4が崖下に転落し爆発炎上、ドライバーとコドライバーが焼死する大事故が起きてしまう。以前にも事故は多々あったが、この悪夢と呼べる事故がきっかけでグループBは廃止となる。

グループBはデルタS4のようなキチガイマシンが軒を連ねるグループであり、事故を起こしていたのはランチアだけではなかったため、あまりに危険すぎるとしてグループBは1986年を持って終了となる。デルタS4は総合優勝を勝ち取る事なく、WRCの表舞台から姿を消したのであった。現在はヒルクライムレース等で活躍している模様。

なお、WRCは事故がなければこれよりもさらに改造規定を緩くしたグループS規定が設立される予定で、ランチアもデルタS4をさらに改造したマジキチマシンことランチアECVでこれに参加する予定であった。中止されて本当に良かった。

ランチア人気の秘密[編集]

グループBが終了したのち、ランチアはグループA規定に移行したWRCに引き続き参戦した。市販車をベースに改造をするのは当初と同じであるが、様々な改造規則が存在したため、ラリーマシンと言えどもその実態は市販車に近いものであった。 ランチアは先述の「デルタ」をベースとしたマシンを開発し参戦。市販車に近いとはいえ、元々戦闘力の高い車両であったことからランチアはグループAをけん引する存在となり、それに日本のメーカーが追従するという構図が生まれた。

このグループAマシンは「HF4WD」「HFインテグラーレ」「HFインテグラーレ エヴォルツィオーネ」と年々マイナーチェンジが繰り返され、また年間生産義務が5000台とかなり多かったこともあって市場に流通する台数も多く、特に日本市場ではラリー人気も相まって、一部の大きなお友達から不動の人気を得ている。1992年のラリー撤退後も人気は根強く、日本市場向けの特別仕様車を販売するほどであった。

しかし、そんな大きなお友達の中でもランチアを知る者はごく少数であり、日本国内で公道上を走行しているランチア車の姿を見る機会は非常に少ない。今となっては新車が輸入されることも極めて稀である。超高級スポーツカーの代名詞であるフェラーリや、スーパーカーブームの筆頭であるランボルギーニと比べれば、ランチアの人気が非常にニッチなものであることは確定的に明らかである。

ランチアの故障伝説[編集]

そもそもイタリア製の自動車というものは、ラテン系のおおらかな気質が悪さをしているのかメーカー問わず壊れやすく、フェラーリやランボルギーニなどの高級車では修理費がべらぼーに高いことで有名であるが、ランチアはそのはるか上をゆく存在である。

まず一年の一回の車検をすれば、必ずどこかが壊れている。車検を無事に通過しても、半年に一回はどこかが壊れていると言えるほどしょっちゅう壊れており、「一年の半分はジャッキアップされている」とも。エアコンのガス漏れや、エンジンの点火に関わる「タイミングベルト」というゴム製のベルトが切れるなどの症状が代表的で、後者に至っては、日本車がおおよそ「10万kmごとに交換」なのに対し、ランチアは「2万kmごとの交換が必須」である。

しかも修理費は一般大衆車であるのに非常にお高く、年間維持費は実に100万円とも言われ、これはフェラーリと肩を並べるほどである。さらに現在日本国内を走行しているランチア車は大半が20年落ち以上のもので、もはや部品の在庫も底を尽き始めており、修理するのも一苦労。日本国内には正規代理店すら存在しない。

車種[編集]

フルヴィア
ランチアがフィアット傘下に入る前に生まれた純粋なランチア車である。
曲線を多用した流麗な車体で伝統を重んじたスタイルであったが、すでにこの頃には血の気が多かったランチアはこのフルヴィアをラリーに参戦させた。WRCが始まる前で、当時のランチアの知名度は皆無と言っても過言ではない状況であったが、数多くのラリーでランチアは優勝し、ラリー界における地位を確固たるものにした元祖とも言える車である。
ストラトス
ラリーに勝つために生まれた戦闘マシン。先述したその性能も去ることながら、生産数が著しく少ないためその存在は雑誌等でしか見ることが無く、幻の車とも言われている。
いわゆるスーパーカーブームの時期には、レプリカが1000万円ほどで売られていたというのだから、本物の貴重さは言うまでもないだろう。                                                                      
ベータ・モンテカルロ                                               
元々はストラトスの後継車となるはずだったが、親会社フィアットがラリーではなくレースへ投入することにしたためにラリーにはほとんど出なかった。グループ5のシルエットフォーミュラへと大改造を受けサーキットで活躍したが、フィアットが方針を転換、再びラリーへと参戦することとなった。そして1980年、イタリアの国内ラリーにスーパーチャージャーを搭載したマシンが参戦した。これが037のベースとなった。
037ラリー
ラリーマシン3台の中でも最も地味な存在である。何しろデルタS4が誕生するまでの繋ぎなのだから当然と言えば当然なのだが、戦略的勝利を積み重ねて、負け続きだったランチアの復活を世に知らしめた影の功労者でもある。
デルタ
ラリーマシンに生まれ変わる前の仮の姿。至って普通の性能の、ちゃんと5人乗れる一般大衆車であったのだが…。
デルタS4
ストラトスはまだ「戦闘マシン」の範疇であったが、このデルタS4はそれを通り越してもはや「じゃじゃ馬」である。操縦、もとい懐柔は大変難しく、百戦錬磨のラリードライバーであっても「この車だけは乗りたくない」と口を揃えたという。
デルタの名を冠してはいるものの、ただ単に従来のデルタを売りたかっただけであり、車体の形にどことなく面影が残っているが基本構造やエンジンは全くの別物
ラリーマシンとして生まれ変わったデルタS4は、好きのドライバーに配慮するべく車内に猫を乗せて激走していたという。エンジン音の変動に合わせて鳴き声も変わるという不思議な猫であったが、ランチアの激走に魅せられたWRCファンは、一歩間違えば動物愛護法違反に触れそうなこの事案について一度も指摘することはなかったのであった。
デルタHFインテグラーレ
ラリーの狂った時代が終わった後、デルタS4よりもかなり性能を落として生まれた戦闘マシン。日本で最も有名なランチア車の一つである。ご覧の皆様の中にも、これまでに1回ぐらい見たことがある方もいらっしゃるのではないだろうか。
ラリーで培われた技術を取り入れながらも手軽に扱えると人気も上々で、3回ほど細部がマイナーチェンジされた特別仕様車が販売されている。やっぱり何事もやりすぎは良くないのである。ちなみに最終モデルの正式名称はランチア・デルタ・アッカエッフェ・インテグラーレ・エボルツィオーネ・ドゥエ・コレツィオーネ・エディツィオーネ・フィナーレとか言う長ったらしい名前である。日本仕様のみヲタク受けするようにボンネットに青と黄色のストライプが入っている。
イプシロン
小型車。昔はアウトビアンキっていうブランドで売っていたY10の後継モデル。初代と二代目は日本では正規では入っていなかったので知るぞ知る存在だった。ようやく3代目になって日本にも投入されたが、何故かクライスラーブランドで売られていたので人気がなく、わずか2年で販売終了となった。
Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

関連項目[編集]