ラムザ・べオルブ
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ラムザ・べオルブ(Ramza Beoulve , 生没年不詳)は、イヴァリース獅子戦争期に活躍した稀代の暗殺者。イグーロスの名門ベオルブ家の出身で、父は天騎士バルバネス。兄妹に北天騎士団長ダイスダーグ、聖騎士ザルバッグ、他女1名がいる。
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[編集] 全般的な略歴
ベオルブ家の本拠であるイヴァリース西部・イグーロスの出身。幼くして父母を失い、代わりに兄達を見て育つ。
貴族界の生え抜きとしてガリランド王立アカデミーに入学、16歳の頃に学徒徴集に応じてディリータ・ハイラルらと共にエルムドア侯爵の救出に当たっている。しかし、その後に課せられた骸旅団の殲滅任務の最中に行方不明となる。
その後については諸説あり、任務の過程で戦死したとも生き延びたとも伝えられているが、文献資料および伝承によってまちまちであるため定かならない。一般的な平民王ディリータ立志伝の場合、ザルバッグと共に妹ティータを殺す敵役として描かれることが多く、後述の暗殺者伝説も伴って悪の権化のようにも伝えられてきた。
[編集] 暗殺者伝説
骸旅団討伐から約1年後、イヴァリース南部のライオネル城において、領主であるドラクロワ枢機卿をはじめ約50人が惨殺されるという怪事件が発生する。この現場にラムザを見たという証言や、ベオルブ家と縁あるガフ・ガフガリオンと見られる人物の亡骸があったとして、グレバドス教会はラムザを犯人と断定し、異端審問への召集を課している。しかしラムザはこれに対して出頭していない。
その後も各地においてラムザを見たという風説が発生する。いずれも大規模かつ凄惨な虐殺事件のあった場所で、自治都市ベルベニアにおける異端審問官殺害事件や、北天騎士団側に味方したバリンテン大公を突き落として殺したのもラムザであると言われている。中には、イグーロス城で起きたザルバッグの乱に加担して、混乱の中で兄2人を殺害したという突飛な伝説まで存在する。グレバドス教会の見解では、少なくとも前述の異端審問官殺害と、聖ミュロンド寺院焼き討ちに関与していたと主張している。[要出典]
機工都市ゴーグの都市年代史にムスタディオ・ブナンザがラムザに暗殺されかけたという記述があるなど、証拠となる文献の多い伝説である。しかし、なぜベオルブ家の一員が自ら暗殺活動を起こしたのか、(事件の経緯が史実であるならば)なぜ北天・南天・教会のいずれの陣営にも仇をなしたのかが不明である。
一説には、同時期にガフガリオン配下にいた傭兵ラムザ・ルグリアと混同されたとも言われている。ガフガリオンはダイスダーグ・ベオルブと契約を交わしている間柄であり、教会と南天騎士団を結んでいたドラクロワを暗殺するように派遣され、途中で戦死したガフガリオンに代わってドラクロワを殺害したというものであるが、その後のラムザ・ルグリアに関する資料は全く存在していないことから推測の域を出ない。
他にも教会の刺客説や、ディリータの利用した忍者の総称であるという説もある。
[編集] デュライ白書
謎の暗殺者としてのみ知られていたラムザ像であるが、オーラン・デュライの著した『デュライ白書』が公開されて以来、再評価が進んでいる。現在でもJ・D・アラズラムらの研究グループによって解析・考察が繰り返されている一方、グレバドス教会からは「過去の捏造にあたる」と激しく批難されている。また、デュライ白書は反ディリータの色合いが垣間見える文献であり、対比されるラムザを過度に盛り立てた可能性も指摘されている。
白書中のラムザ・ベオルブの人物像は「清廉で生真面目、弱者を見捨て置けない性格。シドルファス・オルランドゥ伯曰く、天騎士バルバネスに似たり。」と、聖人君子のように描かれている。謀略と詐術に重きを取ったディリータとは対照的な人物像であるが、白書においては両者はかつて親友であったともある。
著者オーランも幾度か対面し、その時のラムザは南北どちらの勢力に与さない旅団を率いていたという。いち早く教会の動向を察知していたとされており、そのために異端宣告を課せられたり、神殿騎士団を襲撃していたとある。また、事故とされていたベスラ運河要塞の水門の決壊も、両軍の衝突を抑えるためにラムザが故意に決壊させたとある。これに関して、ディリータが直前に情報を与えたともあり、両者は獅子戦争の末期まで何らかの関係を保持していたと見られている。
白書ではラムザの消息を明記していないが、戦争後の生存を仄めかす表現を用いている。[要出典]
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- ファイナルファンタジータクティクス大全 - JK・VOICE著 アスペクト出版 ISBN 4-89366-792-0

