ユーモアの摂取

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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ユーモアの摂取 (-せっしゅ) とは、アンサイクロペディアの記事を執筆する上で非常に重要な作業であるにも拘らず、多くのアンサイクロペディアンたちが怠っている義務のことである。

ユーモア枯渇症の発病過程[編集]

初めてアンサイクロペディアを利用したときなどは、多くの利用者はある程度のユーモアを体内に蓄えている。長年に亘り蓄えてきたユーモアを一斉に放出して記事を書くことで、誰でも一回程度なら、ある程度は面白い記事を投稿することが可能である。

だが、二度三度と投稿を重ねて行けば、やがて体内に貯蓄していたユーモア総量が減少してゆき、記事執筆能力が低下して行く。そして遂には、記事を書こうにもネタが出なくなる。このような状態がユーモア枯渇症である。

ユーモア摂取方法[編集]

そこで、このような状態を脱出するために必要となる作業が、ユーモアの摂取である。以下は、ユーモアの摂取に重要と思われる行為である。

ネタ探し
記事の題材となるアイデアであり、料理でいう献立に相当する。まずどのような料理を作るか決めないと調理が始まらないように、まず記事のネタを探さないと執筆が始まらない。
優れたネタやアイデアは論理的に考えて出てくるようなものではない。何気なくふと思いついたり、予期せずに突然発見するという場合が多い。そこで、優れたアイデアを閃いたら、それを忘れぬうちに記憶せねばならない。そのため、常に手元にペンとメモ帳を常備しておくことが望ましい。エジソンアインシュタインなど、偉人と呼ばれた人間もメモ魔で有名だったことからも、書き留めるという行為の重要性が分かる。
なお言うまでもないが、いくらメモ帳を携帯していてもあなたが引きこもりなら閃きなど得られるわけがない。日常生活では時間や予算と相談しながら、手近な交通手段で行ける範囲でも様々な場所へ行くべきである。
知識吸収
いかに多くのネタが有っても、それについての知識や教養が無ければ書き出すことができない。これは記事の材料と呼べる要素であり、これは料理でいう食材に相当する。
知識を得るのに最も優れた媒体は、やはり書物だろう。多くの読書によって高い教養を身に付ければ、より優れた記事が書ける。一流のアンサイクロペディアンになりたければ、執筆活動の前に図書館に通いつめ、大量の書物を読破した方がよい。
「思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし」という論語の諺にあるとおり、「僕の考えた妄想」を垂れ流すだけでは、内容が独善的になり、「自分しか笑えない」という状態になりかねない。物事を評論する際は、それに対する十分な知識を得てからでないと危険である。
曲解力増強
一方で、「学びて思わざれば則ち罔(くら)し」という諺にある通り、「学ぶ」だけでなく「考える」という行為もまた重要である。そのためには、日頃から常識に対し懐疑的に接し、物事を捻じ曲げて解釈する習慣が必要である。特にウィキペディアと違いアンサイクロペディアでは、知識自体よりも、それを曲解して分析する能力:曲解力の方がより重要である。これは料理でいう調理道具に相当する要素である。
物事をいかに曲解するかを知るには、世界各地のジョークや小噺を研究することも大切である。数多くのジョークに接していれば、それだけ豊かなユーモア能力が養われてゆくだろう。

これらの活動、要するに「学び、考え、遊ぶ」という至極日常的な行為によって、ユーモアは自然と摂取され、養われていくものである。特別な訓練やテクニックは必要ない。したがってユーモア枯渇症に陥ったならば、暫くの間アンサイクロブレイクを行い、日常生活に精を出すことが大切である。

にも拘らず多くの利用者たちはユーモアの摂取を怠り、ユーモア枯渇状態で無理に記事の執筆を続けている。何故このようなことが起きるのだろうか?

ユーモア摂取怠慢原因[編集]

量か質かのジレンマ[編集]

良質な記事を書くためには、大量のユーモアが必要となる。だが、ユーモアが枯渇する度に摂取作業を行っていれば、それだけ執筆活動に掛けられる時間が減るので、投稿可能記事数が減少する。つまり、記事の質を確保しようとすれば量が減る仕組みになっている。

だが一方で量を確保しようとして、ユーモア枯渇状態で執筆を行おうとすれば、記事の質を落とさざるを得ない。ネタ欠乏、ユーモア枯渇、知識不足の状態で大量の記事を書けば、その質がどうなるかは明らかである。

つまり、「投稿数の増加」と「記事質の向上」は両立しえないのだ。そのため多くの利用者は、「質か量か」のジレンマに陥ることとなる。この状況に陥ったときに、いかなる反応を示すかで、利用者の執筆の思想が分類できる。

執筆の思想[編集]

貪欲主義
記事を質量とも充実させようと考える貪欲な立場である。しかし「二兎追う者は一兎も追えず」という諺の通り、この主義の利用者は「量はいま一つ、質も低い」という中途半端な状態になる可能性がある。このタイプは「有能かつ勤勉」を自称するタイプである。
投稿数主義
記事の質を落として、量を確保しようと考える立場である。この主義の利用者は「投稿回数が多い=有能で偉い」と思っているので、ユーモアの摂取に掛ける時間を犠牲にして、記事の執筆活動に精を出している。また、草むしりお喋り虐めなどの価値の低い活動で投稿数を稼ごうとする。
彼らはユーモアの摂取を怠るために、その記事執筆能力は低下を続ける。低下した能力で記事を書き続けるため、記事の質もやはり低下して行く。こうして、投稿数に反比例して記事の質は下がってゆく。が、彼らはそれを一向に気にしない。アンサイクロペディアでは、投稿数は記録されるが、「投稿の質」は記録されないシステムになっているからだ。それに、とにかく投稿数を稼がないと発言力が低下し、特権が剥奪されるからという事情もある。
このタイプは投稿意欲過剰、投稿能力枯渇という状態、いわば「勤勉な無能」だと言える。
高品質主義
投稿数主義者とは逆に、量を減らしてでも質を確保しようと考える立場である。高質な記事を書くには大量のユーモアが必要となるので、彼らは日々ユーモアの摂取に精を出す。そのため執筆に掛けられる時間は少なく、投稿回数は増えない。このタイプは有能な怠け者だと呼べる。
まったり主義
記事の量にも質にもこだわらず、気が向いたときにまったり投稿しようと考える気楽な利用者である。大多数のアンサイクロペディアンはこれに分類されると思われる。全利用者がこのタイプならば、アンサイクロペディアはもっと平和だろうが、残念ながらここは無駄に意欲が高い利用者が多いため、現状はまったりとは程遠い状態である。
破壊主義(ヴァンダリズム
記事の創造より破壊に喜びを感じる捻くれ者であり、荒らし挑発行為に情熱を傾けるタイプである。彼らは、自分を棚に上げて他人を誹謗中傷してサーバの資源を無駄遣いしているアンサイクロペディアンや、記事の中身が性欲まみれの変態、特権の上に胡坐を掻いている悪代官などに天誅の鉄槌を下す義賊である(と本人は思っている)。

とにかくアンサイクロペディアは、「質より量」で投稿数を稼ぐほうが得なシステムなので、必然的に多くの利用者は、慢性的なユーモア不足に悩みながらもユーモア摂取を怠り、執筆を続けるようになる。斯くして勤勉な無能が増加し、本サイトは糞記事で埋め尽くされることとなる。

最重要注意点[編集]

前述のようなユーモアの摂取を行うには、アンサイクロペディアは最も不向きなWebサイトである。

アンサイクロペディア日本語版はその99%がクソ記事で成り立っている他、利用者の多くはクソ野郎であり、「真面目な人間こそ不真面目な事で人を笑わせるのが上手い」という理屈を知らない。つまり、本物の不真面目なのに不真面目な事を書くサイトに来てしまっている、真面目なアンサイクロペディアンである。アンサイクロペディアンとして真面目という事は人間としての彼らは不真面目なため、不真面目な記事を不真面目な態度で書いてしまい、不真面目さが表現されない。このような不真面目な人と真面目臭い記事に囲まれていては、優秀な不真面目を書けるほど真面目に執筆に取り組もうとする意欲がなくなってしまうのは当然である。また、不真面目なサイトは荒らし厨房の格好の餌食であるが、真面目な人は彼らのような不真面目な人に対してかなり苛々するものであり、気が付けば「こんな下らないサイトのために何頑張っちゃってるの俺?」という結論に達するのがセオリーである。

たとえ他の何をまかり間違っても、アンサイクロペディアからユーモアを摂取しようとしてはならない。むしろアンサイクロペディアは執筆専用と考えて、極力他人の記事は読まない方が良い。特に新着記事はメインページに表示されるため要注意である。

関連項目[編集]


Hitlerefficiency ハイル・ヒットラー! このユーモアの摂取は、偉大なる我らがアーリア民族の築き上げた最高の文化的作品である!
この記事を書き上げてこそ、ユダヤ人を殲滅できるのだ!
この記事をつまらなくする者に宣戦布告を! ジーク・ハイル! (Portal:スタブ)