ユストゥス・フォン・リービッヒ
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
天才科学者ユストゥス・フォン・リービッヒ男爵とは、ドイツの化学を世界イチィィィィにした偉大な科学者である。
[編集] 人物像
性格は情熱的で短気ですぐにキレる。人前でキレないように冷却器を発明したが、それが化学実験に使えることに気がつき、最近はもっぱら科学用途で使われている。
妥協するということを知らない頑なな人間で、自分の間違いを絶対に認めない、元祖無敵君だった。
また、自分が間違っていると決めつけた理論には激しい攻撃を加え、理論を考えた学者への個人攻撃は苛烈を極めた。
そのため、信者も多かったが敵も多かった。
発酵が単なる化学反応か生物の作用かをめぐってパスツールとは熾烈な論争のすえ敗北している。 敗北の怨念からパスツールへの嫌がらせはますます悪質になり、あまりのストレスにパスツールは1867年に脳卒中で倒れ半身不随になった。 『水に落ちた犬は徹底的に叩け』という韓国の諺にもあるように、リービッヒは容赦なく嫌がらせを続け、 パスツールは全身を発作に蝕ばまれ合併症が原因となり1868年にパリ近郊で没した。
自己顕示欲が強く、俺様を称える本 「リービッヒ年報」を発行させ信者たちに購入させたり、ギーセン大学をギーセン‐ユストゥス・リービッヒ大学と改名させたりした。
[編集] 経歴
- 1817年 ギムナジウムで爆薬を爆発させ退学になる
- 1818年 薬剤師の住み込み弟子になるが爆薬を爆発させ追い出される
- 1820年 ボン大学に入学するが、教授が爆薬について無知な上に実験させてくれないので、グレて学生運動に走り暴行罪で逮捕される
- 1824年 爆薬の研究結果について発表する。これを見たバイエルンの国王ルートヴィヒ1世は大学に諮ることなく、21歳のリービッヒをギーセン大学の助教授にしてしまう。
- 1825年 22歳で最年少の教授になる
- 1827年 世界初の学生実験室を大学内に設立、学生にいろんな実験をさせる
- 1828年~世界中から化学を学びたい学生が集まる、集まった学生の中にはトリニトロトルエンを発明したウイルバンドなどの天才がいる、またサリンガスを発明したルドリゲルなどもここで実験している
- 1831年 クロロホルムを発見
- 1841年 化学肥料を発明
- 1865年 肉エキスを製造する会社を設立
- 1867年 幼児用粉ミルクを発明
- 1873年 69歳で普通に死亡

