モリッシー・ダンシング

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モリッシー・ダンシングの目玉、モリッシーパンチ
最後に…モリッシー・クライング

モリッシー・ダンシングとは、オリンピック競技の一つである格闘技の一種。イギリスの神様モリッシーが名案したと言われる。

踊りのようにも見えるが、周辺からは奇人か気違いの行動にしか見えない。しかし、これは大きな間違い。実際には神聖なる競技で、モリッシー信者は腰を曲げたりして、踊ってる。

歴史[編集]

モリッシー・ダンシングという、『ベルサイユの薔薇』のオスカルより若干気高くない名は、女王エリザベス1世によって名づけられた。

モリッシー・ダンシングの歴史[編集]

モリッシー・ダンシングの歴史は西暦1601年にまでさかのぼる事が出来る。1600年代中頃のイギリス内戦の間、モリッシー・ダンサーは王党派を支持し王党派に付いた。しかし、不道徳で退廃的ある事が議会の激怒を招き、結果チャールズ1世がくすぐり地獄の刑によって処刑されてしまいモリッシー・ダンシングは単なる「暇を潰す頭の悪い方法」であると宣言されて廃止されてしまった。が、20年後に君主政治が戻ったため、あっけなく地位を回復した。

1895年には、モリッシー・ダンサーの選定を体系化した法律が制定され、IMDC(International Morrissey Dancing Committee 国際モリッシー・ダンシング委員会)独立行政法人が確立した。また新たなモリッシー・ダンサーを任命する権限をIMDCに認めた。かつては様々なモリッシー・ダンシング関連団体が存在していたが、公式に認められたのはIMDCだけである。

モリッシー・ダンシングと女性[編集]

古くからモリッシー・ダンシングは不道徳で退廃的であるとされていた為、1700年代まで女性はモリッシー・ダンサーになる事を禁じられてきた。この事から女性モリッシー・ダンサーは少なく男性ばかりであるため、モリッシー・ダンサーは同性愛者であると見られがちである。

学者はモリッシーモリッシー性(モリッシーのモリッシーたるためのアイデンティティであり魂のような神秘的なもの)を保つために禁欲生活を行っていると発表しているが、その事を真に受けた人々が、「禁欲生活=同性愛者」と短絡的に解釈したためこのような噂が広がったと考えられている。実際、モリッシー・ダンサー同士の同性愛者の数はオスカー・ワイルドイズムな記事の数よりも少ないという(本当だろうか。少なくとも私は知らない)。

モリッシー・ダンシング・スタイル[編集]

モリッシー・ダンシングにはいくつかの異なった形式がある。

プロフェッショナル・スタイル[編集]

IMDCによって認められたプロダンサーによるモリッシー・ダンシングである。最も古く格式高い規則に乗っ取った形式に基づいて踊るスタイルであり、熟達し病的なまでに踊るモリッシー・ダンサーの中から投票とIMDCの判断により「モリッシー」の称号と共に認められるスタイルである。この「モリッシー」の称号はなめ猫の免許の様に死ぬか自ら返上するまで有効である。

モジング・スタイル[編集]

ロスシスコで本家からの分裂派によって結成されたグループ「Mozzers」が編み出されたスタイル。大人の事情により失脚した元モリッシーの称号者によって導かれるこのグループは公式に認められていない上に、IMDCとの抗争が絶えない。それでもインパクト重視のモジング・スタイルによって今日も彼らは踊り続けている。

フリー・スタイル[編集]

ストリート・スタイルとも呼ばれる自由かつポップな形式である。特にこのフリー・スタイルはあまり熱心でないモリッシー・ダンサーによって行われる。ベッドルームの鏡の前で一人裸になって鏡の前で黙々と踊り続けたり、別荘で優雅な毎日を過ごしている日々の中でふとした瞬間にラジオ体操の代わりに踊ってみたり、グルーに喰われそうになった時に雨乞いの踊りとして踊ってみたり(もちろんその後でグルーに喰われますが)するのが近年流行のフリースタイルであるようだ。

毎年多くの都市で競技会が開かれているものの、レベルの低いモリッシー・ダンサーも多く何も知らない一般人の嘲笑を一身にを浴びている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


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