ミャンマー

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畏クモ天皇陛下ハ御自ラ全臣民ノ爲ニ
本項ノ全内容ヲ天覽遊ハサレタリ
Naval Ensign of Japan.svg 大本營認可
本項ノ全文章及全内容ハ完全ニ正シキ事實トシテ大本營ニ依リ認可セラレタリ
全臣民ノ爲ニ畏クモ現人神タル天皇陛下ハ御自ラ本項ニ御目ヲ通サレ給ヘリ
此ノ項目ノ内容ヲ疑フハ現人神タル天皇陛下ヲ疑フト同義ニシテ
誤リタル思想ヲ持ツトセラルヽ場合ハ政治犯思想犯トシテ内亂罪ノ對象トス
現在の国旗

ミャンマーとは、大日本帝国の正統な後継国家である。旧軍と血の絆で結ばれしミャンマー国軍の歩んだ軌跡は同時に、偉大なる無敵皇軍の戦後史の記録でもある。

日本より与えられし国旗[編集]

黒歴史

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現在のミャンマーは太平洋戦争時代に日本軍が占領統治したビルマ共和国を源流としている。その時に日本の諜報機関下で活躍したのがアウンサン将軍をはじめとする30人志士である。アウンサンは独立間際に英国の分断統治によってウソー(この名前は決してユーモアではない)により暗殺され、その精神は暫く野に潜ったが、1962年にネ・ウィンがその精神を基にビルマ式社会主義なるものを宣言して専制支配を敷き、旧日本軍の「贅沢は敵だ」精神を孔雀のごとく現代に顕現させた。

日本軍占領期の国旗。背景の三色が同じである

外交では社会主義を唱えながらも共産主義の方を弾圧し、主権国家たることを強調したので、中立国として世界から承認された。日本軍が米軍の下請け機関と化したため、ミャンマーは現在、世界で最も正統なる日本軍精神の継承者の地位を獲得し、軍艦マーチの中で今日も訓練に励んでいる。

ミャンマー軍は旧日本軍精神に則り、旧軍の掟を恒常的に実践した。これは顔を攻撃されることを何より嫌うビルマ一般国民の声と衝突し、国際社会で大いに槍玉に挙げられた。現代の保守系日本人もミャンマーは中国サイドと糾弾する。しかし、キレイな旧軍神話に拘泥したい保守派がどれだけ糾弾しようとも、ミャンマーは旧軍国家であり、旧軍の有り得た姿を今に体現しているのである。

八紘一宇の霊夢[編集]

ミャンマーは基本的にはビルマ人の国だが、少数民族が多数存在する多民族・多文化国家でもある。ミャンマー軍は旧軍の八紘一宇の夢を実現させるべく、少数民族の要望に応えて民族名そのもののビルマという国名をより文語的なミャンマーという国名に変更した。国際社会はこれに対して、「その改名は合法でない」と訴えているが、ミャンマーの方がより中立的な呼称らしい。

首長娘族のような平和勢力も存在するが、複数の少数民族が分離国家の独立を求めて、何年間もゲリラ闘争を行っている。そのため、ミャンマー軍は抗日ゲリラと対峙した旧軍の如く過酷な反乱軍掃討作戦を展開しており、またしても国際社会からの反発を買っている。これに対しミャンマー軍は北には麻の薬が眠るゴールド・トライアングルという秘境があるのだと居直っている。

仏教[編集]

ミャンマーを支えている宗教は上座部仏教である。パゴダという寺院が土着の伝統宗教を吹き飛ばして、神社のごとく全土に立地している。11世紀にアノーヤターという王様が他の宗教を殲滅して以来、上座部仏教の伝統が続いている。

上座部仏教は少数者しか救われない小乗仏教とも呼ばれているが、ミャンマーの仏教ははるかに多くの者に大乗する仏教である。男子は最低でも1週間出家すべきとされており、それをもって成人の証とする。その伝統は「宗教はアヘン」なはずの社会主義体制でもしっかり温存されており、これはビルマ社会主義の原型が神国日本にあることを示唆している。一方、公認の僧侶は人権を訴える若い僧侶たちを修業不足とたしなめ、相応の寺院的懲罰を与える。この懲罰もまた、日本式と考えられている。

時にはタイのアユをもたやすく征伐した仏教国家ミャンマーの歴史遺産は数多く、世界史的な保存価値を広く認められている。しかし、ユネスコ指定の世界遺産は一つも存在しない。なので、「歴史遺産を次世代に受け継がない」ことを真の使命とする世界遺産とは無縁の静謐なパゴダで、僧侶は今日も修行を行うことができる。

近況[編集]

ネ・ウィンが敷いたビルマ式社会主義体制は旧軍の「贅沢は敵だ」精神を体現させた国だった訳だが、その理想に幻滅した若者たちが政変を起こして、国民民主連盟を中心に結束し選挙で勝利した。アウンサン将軍の娘スーチーにノーベル平和賞が贈られ、スーチー政権が誕生するかに思われた。

しかし、ミャンマー軍は「スーチーの好きにはさせない、スーチーは共産主義的で批判だけが取り柄の人物だ」と警告し、クーデターを起こしてスロークという軍事評議会を立ち上げ、スーチーを強制ひきこもり状態にした。日本の左翼団体がこれに対して他国ではみられないほど人権侵害だと激しく糾弾したが、ミャンマー軍は「旧軍の末裔たる俺たちは繁栄の発展法則を知っている。それは日本の左翼団体の主張とあらゆる面で反対のことを行うことだ」と述べ、政策を強固に推進し続けた。

そして、実践力があることを示すために、首都をヤンゴンから中央部のピンマナに移転させた。これは海に面するヤンゴンの暑さがヤンなるほど暑かったためとされている。異論は多かったが、それでもエーヤワディーということになり、川を遡った場所に新首都が建設された。新首都ネイピドー完成の暁、議長は「どうだ、英国の植民地支配者もできなかったことを達成したドー」と歓喜した。

テイン・セイン議長ら軍幹部は「新憲法賛成は国民の義務だ」と叫びながら憲法を施行し、軍人の特定議席を維持しながら自由選挙を行い、スーチーを議員に選出した。国民は大いに期待した。そして、スーチーはやっぱり口で励ますだけの方が良かったことを悟ったと山口洋一外交官の指導を受けたミャンマー大本営は報じている。

関連項目[編集]

Wikipedia
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