フグ田マスオ

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フグ田 マスオ(ふぐた ますお 1979年4月3日 - ) は、日本の小説家である。本名は福田 松夫(ふくだ まつお)。大阪府大阪民国大阪市住吉区出身。代表作に、テレビアニメ化もされるほどの大ヒットとなった「実録鬼嫁日記」「奴隷人生」などがある。代表的な名言「びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛ぃ゛」でさらにブレイク中。

偉大なびゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛ぃ゛は、あなたを見ています

概要[編集]

幼少時から剣道に打ち込み、中学高校時代に入ってからは剣道で目覚しい活躍を見せる。高校三年の夏には剣道の甲子園ともいえる「玉竜旗全国高等学校剣道大会」でPL学園高校を全国一へと導いた高校剣道最強の男、あるいは男の中の男として剣道界では知られていた男である。

大学受験の時期に事故により腰を痛めてしまい、剣道から同人へと舞台を移す。だが大学時代は趣味として、仲間内と同人誌を作るのに留まり、卒業後はサラリーマンとして人生を過ごすこととなる。サラリーマンとなった後は結婚し、一児の父親となった。

結婚してしばらくした後、自分の半生や妻との結婚生活を多少の脚色を交えた形で綴った小説を、大学時代の友人である出版社の人間に見せたところ大評判となり、出版に漕ぎつけた。その結果として誕生したのがテレビドラマアニメにもなった「実録鬼嫁日記」であり、マスオは一躍人気作家へとのし上がることになった。その後は脱サラし専業作家へと転身。現在では一発屋に終わらず数多くの作品を文壇へと送り出している。

なお、世界で一番堅い鉱物であるダイヤモンドと衝突させたらダイヤモンドの方が砕けてしまったことで知られる程、糞マジメで頭が固い百科事典ウィキペディアでは、なぜかベストセラー作家であるフグ田マスオの記事が作られておらず、サザエさんの登場人物という意味不明なページへのリダイレクトとなっている。当然ながらそこに書いてあるマスオの記述は、ウィキペディアン妄想と偏見に基づいたものでしかない。自分たちが発足した年さえも良くわかっていないウィキペディアのフグ田マスオの記事(現在はリダイレクト)と、22,077人の精鋭を10人もの優秀な管理者によって管理されているアンサイクロペディアのフグ田マスオの記事(つまりは今見ているこのページである)のどちらかが正しいのか、それはもはや言うまでもないだろう。

生涯[編集]

出自[編集]

マスオの生家に程近い住吉大社。手前にある軌道はこれまたマスオの生家に程近い所を走る阪堺電気軌道阪堺線

1979年4月3日、後にフグ田マスオとして活躍する福田松夫(ふくだまつお)は、大阪府大阪民国大阪市住吉区に父である福田駒夫(故人)、母である淑子の次男として生まれる。には後にお笑い芸人となるフグ田サケオこと福田武夫が松夫の3年前に生まれている。

父の駒夫は、松夫の生家のすぐ側を走っている路面電車阪堺電気軌道の運転士をしており、定年で退職するまで運転士一筋の生活を送っていた。松夫が就職した頃とほぼ同時期に肝臓癌を患い、命を落としている。

母の淑子は、これまた松夫の生家のすぐ側にある住吉大社巫女として生まれ、駒夫との結婚後は専業主婦として福田家の家族を支えていた。夫である駒夫の死後は、マスオの兄である武夫の家族と共に現在でも平穏な生活を送っている。

幼少期[編集]

小学校に入学するまでの松夫はとても病弱であった。月に一度は何らかの病気にかかり、一日の半分を布団の中で過ごすというニートのような生活を送っていた。生まれたときには医師に「小学校に入るまで生き長らえている可能性は奇跡にも近い」と言われていたほどである。両親は外出は滅多にさせず無菌室、あるいは過保護とも言われてもおかしくない幼少時を松夫は強いられていた。そのため、当時の松夫はとても肌の色が白く、とても生きている人間とは思えないほど生気がなかったと近所の住民は語っている。

結果として誕生時の医師の宣告はよい形で裏切られることとなった。小学校に入学した頃から、松夫の健康状態は奇跡的にも回復。体力面で少々不安はあったものの他の子供たちと何も変わらない、 何も不自由のない生活を送るようになったのである。だが、小学校に入った松夫に新たなる試練が襲い掛かることとなった。同級生からのいじめである。

来る日も来る日も松夫は心無い同級生からの暴力を受け、心も体もズタボロにされかかっていた。学校から帰ってきた松夫はいつも涙目であり、体中に多くのあざをつけていた。これに危機感を覚えた父・駒夫は松夫に剣道を始めるように勧めた。小学一年生の春の出来事である。

こうして近所の剣道教室に通い始めた松夫はメキメキと剣道の才能を開花、それと同時に身体的・肉体的にも大幅な成長を遂げることとなる。いつしか松夫をいじめる同級生はいなくなり、四年生になってからは学級委員を毎年務めるほど責任感が強い少年へと成長していった。学業も常に優秀で、常にテストは100点満点という素晴らしい成績を残している。

剣道と並行して文学への嗜みを持ち始めたのも小学校のころである。将来は小説家か剣道家のどちらかになろうと当時の松夫は考えていた。

PL学園への進学[編集]

松夫が中学校時代に傾倒していた作家の一人であるオスカー・ワイルド

中学校は地元の公立中学校へと進学せず、富田林市にあるPL学園へと進学した。大阪府内で最も剣道部が全国的に活躍している学校はPL学園であり、中学校・高校の6年間をPL学園で過ごしたいという、松夫の猛烈な願いに両親が応えたものであった。それに伴い松夫は住吉の実家を離れ、高校卒業までの6年間を寮で過ごすこととなった。

PL学園に入った松夫は当然の如く剣道部へと入部。一年生のころは強豪揃いの同級生の腕を見て「仲間内にも敵いそうにない」と、一旦は挫折しそうになった。だが、二年生に進級してからは徐々に頭角を現し始め、その夏の全国中学校剣道大会では個人でベスト8、三年の夏には準優勝といずれも西日本ではトップクラスの成績を収めた。PL学園中学校としての成績は振るわなかったものの、松夫がいかに活躍していたかが記録からも窺い知ることが出来る。

剣道での活躍の傍らで、松夫は小学生の時に嵌まっていた江戸川乱歩に代表されるような推理小説の他にも、いろいろなジャンルの作品に手を出していった。日本国内作品ではSF小説の雄とされている筒井康隆小松左京らの作品をむさぼる様に読み進めた。中でも筒井の時をかける少女は松夫の一番のお気に入りとして、小説家となった現在でも人生を変えた一冊としてマスコミのインタビューに嬉嬉と答えるほどである。

SF以外にも日本右翼にとってのような存在である三島由紀夫、世界中のアンサイクロペディアンから崇拝されているオスカー・ワイルドにも当時の松夫は傾倒している。この両者には同性愛者という共通点があり(事実、三島の文壇デビュー作である「仮面の告白」は同性愛を扱った傑作でもあるし、オスカーはグレートブリテン及び北アイルランド連合王国で男性同士間における性行為の罪で逮捕されている。)、当時の松夫は同姓愛に憧れを抱いていたという説があったが、松夫本人は女性であるフグ田サザエ(当然ながらこれもペンネームである。常識的に考えて「フグ田」なんてカタカナ混じりの苗字がこの日本にあるだろうか。いや、あるはずがない。)と結婚していることから現在では否定されている。

玉竜旗五人抜き[編集]

松夫らPL学園高校剣道部が高校三年の夏に手にした玉竜旗の優勝旗

その後の松夫は順調にPL学園高校へと内部進学。高校生となってからも松夫は順調に剣道の道を進み、高校に入って最初の夏には部内対抗戦で一年生ながら一位に輝くなど、部内での立場を磐石のものとしていった。いつしか松夫は全国に名立たるPL学園高校剣道部のエースとして内外から祭り上げられていた。

二年生の夏には、剣道の甲子園ともいえる「玉竜旗全国高等学校剣道大会」(以下、玉竜旗)に二年生ながら大将として初参加するも、準々決勝で敗れた。この時に松夫は小学校以来ほとんどと言っていいほど流さなかった涙を流しながら絶叫、リベンジを誓ったと、後の著書で述べている。その直後に松夫は、三年生の部活引退に伴い剣道部の主将となり他の部員をリードすることとなる。

松夫が主将となってからのPL学園高校剣道部は、まさに破竹の勢いであった。大阪府内で行われる大会はおろか、全国規模の大会で一位を総なめ。全国高等学校剣道大会、全国高等学校総合体育大会インターハイ)、新人剣道大会などなどのタイトルは松夫率いるPL学園高校が余裕でかっさらい、その年の剣道界の話題となった。

そして一年後、雪辱を誓った玉竜旗で松夫は剣道の歴史に残る伝説を作ることとなる。PL学園高校は、準々決勝まで大将である松夫の出る幕がないままあっさりと勝利。準決勝でも松夫の一本が試合の流れを変え、悠々と決勝へのステージへと上り詰めた。

だが決勝戦ではそうも簡単には行かなかった。副将までの四人が相手方の先鋒に全員敗れてしまい、あわや絶体絶命のピンチという場面で大将の松夫は決勝戦を迎えることとなってしまったのである。 会場全体に緊張感が張り詰め松夫自身にも相当のプレッシャーがのしかかる中、まず松夫は先鋒の選手を仕留め、次鋒も軽々と撃破。中堅の選手も松夫のペースに乗せられ、相手が自爆する形で勝ち星を手にし、副将戦もやや苦戦しながらも一本を獲得、時間切れで薄氷の勝利を手にした。最後の大将戦は意外にも呆気なく決着がつき、開始10秒で松夫が相手選手を意識不明に追い込み試合は終了。こうして松夫一人で熊本県鎮西高等学校を圧倒的な力でねじ伏せ、前人未到の五人抜きで玉竜旗制覇を達成した。

親友の死[編集]

こうして最高の形で剣道部を引退した松夫は、何を勘違いしたのだろうか。日本最高の大学として有名な東京大学への受験を志すようになった。だが、剣道漬けの高校生活を送っていた松夫の成績は、小学校時代から考えると信じられないくらい地にまで落ちていた。「日ごろの定期考査ですら赤点スレスレだというのに何を勘違いしているんだ」と担任から言われる始末であったが、秋以降の猛勉強のおかげで関東ではそれなりに偏差値が高い大学のひとつである明治大学などに合格したが、東大以外への入学は考えていなかった松夫はこれを拒否。結局は浪人することなり、中学から高校までの6年間を過ごしたPL学園を卒業することとなった。

PL学園を卒業した松夫は、天王寺にある予備校へと通うこととなった。予備校に通いだした松夫は急激に学力を高めていき、11月の東大入試を想定した模試ではA判定(合格確率80%以上)の域にまで達していた。この調子でいけば確実に東大への切符を手にすることができる……この時の松夫はそう確信していた。

この頃、松夫は高校時代からの親友であるミキオ(自伝によると松夫はミキオのことを東京ディズニーリゾートに生息しているに似ていたことからミッキーと呼んでいた。このため、以下ミッキーと表記する。)と一緒に浪人生活を送っていた。ミッキーと松夫は高校時代は一緒に剣道部で活躍し、一緒に東大へと進学しようと誓い合ったほどの仲であった。そんなセンター試験が目前に控えた冬の朝、いつものようにミッキーは松夫の自転車に二人乗りをして天王寺にある予備校へと向かっていた。

そんな二人の乗った自転車が横断歩道を渡ったその時、一台の大型トラックが松夫たちを直撃した。その結果、松夫とミッキーはトラックに跳ね飛ばされ全身を強打し骨折、さらには二人とも意識不明の重体に陥ってしまった。

松夫が目が覚めたのは事故から3日ほどのことであった。目を覚ました松夫は全身が包帯に包まれており、医者からは「こうして生きているのが奇跡」と言われるほどの惨状であった。松夫はすかさずミッキーがどうなったか尋ねた。その答えはまるで悪夢のようなものであり、松夫を激しく絶望の淵へと追いやったのは言うまでもないだろう。

この事故のせいで、松夫は二度目の大学受験を棒に振ることとなってしまった。その上事故の影響で腰を強打してしまい、剣道がもう二度とできない体になってしまったのである。このことを知った松夫はさらに落ち込み、ミッキーの跡を追い自殺を試みたことが何度もあった。だが、高校時代の友人や両親に思いとどまるよう説得され、松夫は三度目の大学受験に挑むこととなった。

三度目の大学受験とオタクへの道[編集]

松夫がオタクへと堕ちる原因となったアニメである「To Heart」

春になりようやく退院した松夫は、ミッキーの死を引きずりながらも大学受験へと気持ちを切り替え……たい所であったがそうでないのが現実である。

松夫が退院した日の深夜のことである。松夫はふとテレビのチャンネルを回してみると、そこには今まで子供の見るはずのものであったものが映っていた。アニメである。だが、子供向けとは到底思えない内容に違和感を感じながら、オープニングからエンディングまで余すことまで見続けていった。

その一週間後、また同じ時間になると松夫はテレビをつけ、受験勉強そっちのけでアニメを見始めた。そのまた一週間後にも松夫はアニメを見た。いつしか松夫はそのアニメを見ながらこうつぶやいていた。「この赤い娘かわいい」と。こうして松夫がハマッていったのが、東鳩こと「To Heart」というエロゲ原作のアニメであった。

To Heartにハマッてからの松夫は、かつて三島由紀夫に代表されるような硬派な純文学に心酔していた頃とはまるで別人のように変貌した。天王寺の予備校には通わずに毎日のように大阪の秋葉原こと日本橋へと通いつめ、多くのアニメグッズへと手を出していった。同人誌へと手を染めるのもそう時間はかからず、その年の夏には東京ビッグサイトで行われるコミックマーケットへと一般参加した。急速に松夫は大きなお友達へと変貌を遂げ、かつての侠気は跡形もなく消えうせていた。

勉強そっちのけでアニメやエロゲに執着していた松夫の学力は、当然のようにガクッと急降下していった。年明けのセンター試験はエロゲで培った読解力が炸裂し、東大一次足切り点プラス80点という見事な結果を残した。しかし、松夫は併願の早慶受験を終えた直後にインフルエンザにかかってしまい、今回も高校生の時に抱いていた東大合格の夢をあきらめざるを得なくなった。そして、早慶の中でうっかり受かっていた早稲田大学第一文学部に進学することに決め、松夫は大阪から東京の高田馬場へと引っ越し、一人暮らしを始めることになった。

なお、松夫がTo Heartに出会い、身長156cmであることで有名なhydeが率いるバンド・L'Arc〜en〜Cielが2枚のオリジナルアルバムを同時発売し、両方とも200万枚以上を売り上げた1999年の日本は、インターネットが急速に一般家庭へと普及し始めていた時期であった。福田家にもその波は当然のように押し寄せ、松夫はこの時期からインターネットに親しむようになった。そんな松夫が夏のコミックマーケットに参加して程なく、インターネット上にTo Heartのファンサイトを立ち上げることになったわけだが、その時にハンドルネームとしてつけられたのが「フグ田マスオ」というペンネームである。(以後ここでは、「松夫」を「マスオ」に置き換えて説明をする。)現在でもマスオはこの時つけた名前を捨てずに執筆活動を行っていることから、二浪目のこの時期はマスオの作家人生に大きな影響を与えたといっても過言ではないだろう。

破天荒な大学生活[編集]

こうして二年の浪人生活を経て早稲田大学入学を果たしたマスオであったが、その後のマスオはいろんな意味で荒れ狂っていたと言っても過言ではない。

一年生の最初の一ヶ月まではウィキペディア中毒患者の如く糞マジメな生活を送っていたものの、時が経つにつれてChakuwikiの利用者のようにバカとしか言いようがない学生生活を送るようになっていった。以下にマスオがいかに酷い学生生活を送っていたか、その例をあげる。

マスオが主宰する都下禿頭会はAIRなどのエロゲの二次創作を行っていた。
同人誌執筆活動
今後の作家人生にも大きく影響を与え大学生活においても大きな比重を置いていた、当時のマスオにとって根幹といっても差し支えない活動である。だがなぜかマスオはこの事実をひたすら隠している
後述する早稲田大学の麻雀サークルで知り合った同士2人と組み、有明で年二回行われるオタクの祭典を中心に活動をしていた。サークル名は「都下禿頭会」。初期の活動ジャンルはマスオが当時心酔していた「To Heart」であったが、後に「ONE 〜輝く季節へ〜」「Kanon」「AIR」などといったKey作品へと重点を置いている。
サークル内でのマスオは主に文章を書くのをメインとしており、絵については他のサークルのメンバーに任せることが多かった。この頃からマスオの作家としての片鱗を見せており、その文章力は仲間内であったが折り紙つき、と当時のサークルの仲間は語っている。
なお、この頃マスオは18禁とレーティングされてもおかしくない小説をネット上にアップロードしたり、同人誌中でも子供にも見せられないような内容を書いていたりと、作品がテレビドラマにもなっている作家とは思えない事実があるが、現在のマスオはこれを頑なに否定している。おそらくマスオは大学時代の同人活動を黒歴史にしたがっているらしいが、でもそんなの関係ねぇ!! つまらない日常に飽き飽きしている人に、ほんのささやかな笑いを与えるために発足したアンサイクロペディアはそんなことは気にせずにマスオが黒歴史だと主張している事実を記載していく。
在宅エロゲ品質管理者
現在のマスオが必死になかったことにしようとしている二つ目の事実である。
大学時代のマスオは大学の講義とイベントとサークル活動以外は、ほとんど外出せずに自宅にこもっていた。そんなマスオが自宅で勉強そっちのけでひたすらやっていたのがエロゲであった。
マスオが早稲田大学に在籍していた2000年代前半はエロゲが急速に拡大していた時期でもあり、数多くのヒット作が世に送り出されていた。代表例をあげると、日本のお隣の国である韓国では「冬のソナタ」として知られている「君が望む永遠」、同人ゲームでありながら数多くの狂信者を生み出し、エロゲ業界のみならずに数多くの作品に大きな影響を与えた「月姫」などがあるが、マスオはそれら代表的なゲームのみならず名実共にマイナーと言われているような作品にも手を出していた。プレイした作品は必ずインターネット上に批評を掲載しており、マスオのレビューをまとめたウェブサイトは当時の多くのエロゲーマーの道標となっていた。このことからマスオは当時「在宅エロゲ品質管理者」として多くのエロゲーマーから崇められており、これらのレビューが跡形もなくなってしまった現在でもマスオを崇めるエロゲーマーは後を絶たない。
また、エロゲレビューの他にもアニメの批評も当時のマスオは行っていた。(このことはマスオ自身も自伝で書いてあることから、黒歴史にするつもりはないようである。)エロゲの陰に隠れて、アニメの批評については特記する事はあまりないが、現在でもエロゲのそれと同様にマスオを評価する人間は多く、現在でも「在宅アニメ品質管理者」という言葉がインターネット上で使われていることからもマスオが当時のオタクに大きな影響を与えたかを窺い知る事が出来る。
麻雀廃人
現在、マスオの大学時代のエピソードとして語られることが一番多いエピソードである。
前述したように大学時代のマスオは同人誌製作やエロゲレビューに力を注いでいたが、麻雀はこの二つ以上に執心しており、麻雀の為に講義をサボることなど日常茶飯事であった。徹夜で友人と一緒に麻雀をすることはよくあることであり、三日三晩麻雀を打ち続けていたという噂があることからも当時のマスオがいかに麻雀を好んでいたかが分かる。
一時は片山まさゆきの麻雀漫画ミリオンシャンテンさだめだ!!」にインスパイヤされてプロ雀士を目指していたことがあった。しかしながら、プロとはいう名前がついていながら麻雀のみで生計を立てることは出来ないことを知ったマスオは、数ヶ月でプロ雀士を目指すのを諦めてしまった。これらのエピソードがあることから、麻雀の腕はプロ雀士にも引けをとらない、もしかしたらプロ雀士以上とも業界では噂されている。

同人誌、エロゲ、アニメ、麻雀と、本業である学業をことごとくスルーしていたマスオは、当然の事ながら単位取得状況は「これはひどい」としか言えない状況であった。だがマスオは留年することなくきっちりと、四年間で早稲田大学を卒業しており、仲間内からは「マスオが四年間で大学を卒業したことは、キューバ危機が回避されたことと等しいくらいの奇跡」とまで言われている。

就職とサザエとの出会い[編集]

マスオの見合い相手となった磯野サザエ。若干映りが悪い……ってレベルじゃねぇぞ!!
徹底的にマスオの脳内で美化されたサザエ。こうでもしてないとやってられないマスオの心情を表している。

早稲田大学卒業後、マスオは商社である海山商事へと就職する。というのも、海山商事は日本の商社では珍しく残業ボランティアであるサービス残業も当然のことながら含まれる)が全くといっていいほどなく、帰宅した後や休日には同人誌の執筆活動に専念できるからというのが理由であった。ここでマスオは、高校時代の同級生で親友の一人でもあるアナゴくん(仮名)と再会をしている。

さて、入社してほどない頃のことである。東京にいるマスオに大阪の実家から連絡が入った。その内容は「そろそろ結婚したらどうか?」という見合いの誘いであった。相手は福岡出身で学生時代はマスオと同級生であると自称している磯野サザエ(仮名)という女であった。だが、マスオは不審に思った。小学校の頃やPL学園時代には「磯野」という友人はいなかったし、早稲田大学時代にはいたかもしれないと思ったが、サザエは高校を卒業したら就職したと親は言っている。どこからどう見ても怪しいと思ったが、親の世間体を気にしたマスオは電話があった週末に故郷である大阪へと帰郷するのであった。

大阪に帰郷したマスオは、見合いについての詳細を両親に尋ねた。そもそもサザエというのは一体どういう人物なのか。なんで見合いをするように薦めたのか。その他にもいろいろな疑問を両親にぶつけた。だがマスオの疑問が氷解することはなかった。いくら両親の答えを聞いてもマスオの身に覚えはないし、そもそもこの頃のマスオは結婚する気などさらさらなかったのである。それでも、前述のように世間体を気にしたマスオは「会ってから決める」と言ってしまい、見合いの会場となるサザエの生まれ故郷である福岡天神へと赴くこととなったのである。思えば、この時マスオが見合いを断っていれば悪夢のような生活を送るようなことはなかったのかもしれない

2004年5月15日、マスオら福田家の面々は九州の玄関口である博多駅へと降り立った。見合いの舞台となる岩田屋へと向かおうと地下鉄へ乗り換えようとしたところである。見合い相手の磯野サザエを始めとする磯野家の面々が、ご丁寧にも博多まで出迎えてくれたのである。それを見たマスオは滅多に使わないはずの関西弁でこう呟いたのである。「なんちゅー威圧感や……っ! こりゃ断れへん……っ! 断ったら殺されるで……っ!!」マスオは早速、磯野家の発すプレッシャーに圧倒され始めていた。

その後の結果はウィキペディアの記事にもこう書いてある。

マスオとは福岡天神の天神岩田屋地下食堂での見合結婚。混雑した食堂内でひょんなことから居合わせた客らが見合に協力、衆人環視の下決まりが悪くなったマスオ共々早々に結婚を決めたため「公開見合スピード結婚」と友人に呼ばれる。

こうして、マスオが磯野家の圧力に早急に屈してしまったため、まるで疾風のごとく超高速で結婚が成立。社会人一年目にして「結婚」という名の人生の墓場へと足を踏み入れてしまったのである。

オタクの卒業と奴隷人生の始まり[編集]

全盛期のマスオの自室。これではサザエじゃなくても怒ってしまう。

結婚が決まったマスオはサザエを高田馬場の自宅へと迎え入れた。同人誌とギャルゲとエロゲとアニメグッズが大量にある自宅へである。

足を踏み入れたサザエは当然の如く絶叫した。誠実で優しくてかっこいいというサザエが勝手に思い込んでいたマスオのイメージは砂の城のごとく崩壊、怒りが頂点に達しサザエは暴徒と化した。最初の悪夢の始まりである。

手始めにサザエは傍らに置いてあったバールのようなもので壁に貼り付けてあったポスターを殴りつけた。続いて机に置かれていたフィギュアや、アホみたいに大きいことで知られているエロゲーの箱をなぎ払い、親の敵と言わんばかりに攻撃を仕掛けた。パソコンも当然のようにサザエの攻撃対象となり、たった一回の打撃によって使い物にならない状態になってしまった。マスオもただそれを呆然と見つめていたわけではなかった。結婚の直前になってようやく手に入れたKeyの新作である「CLANNAD-クラナド-」をかばうためにサザエの足に必死にしがみつき、「踏まないで……!! 踏まないで……ッ!! 人生をかけて攻略したんだから、……足で踏んだりなんかしないで……ッ!!」と。だがマスオの決死の叫びは意味がなく、それどころかマスオの言葉はサザエの怒りにますます火を注ぐこととなってしまった。サザエはマスオの頭を鈍器のようなもので殴りつけ、意識を失ってしまう羽目にまでなってしまった。その後もサザエはマスオの私物や壁に攻撃を続けた。サザエが去った後のマスオの自室は、まるで爆発マニアのわがままな核実験によって壊滅状態に陥ってしまった広島のようであった。

事件から三日後、マスオは世田谷区桜新町にあるサザエの自宅で目が覚めた。サザエの弟であるカツオ(仮名)から事の顛末を知ったマスオは酷く絶望し、ショックで再び倒れてしまった。カツオから聞かされた内容はかいつまむと以下の三つに集約される。

  • マスオの自室はサザエによって使い物にならなくなってしまった。よって大家の怒りを買ってしまい追い出されてしまった。
  • 当然ながらマスオの私物はほぼ全て壊され、ゴミとして処分することとなってしまった。
  • サザエが妊娠していた

上の二つはまだ意識がある内にあった出来事であるから、まだ理解はできた。だが最後の一つがどうしても解せなかった。マスオはサザエとあれなどしたことなかったのである。仮にしていたとしても、マスオとサザエと出会ってから一ヶ月も経ってないことから、サザエがマスオの子を孕むのは考えられないからである。後にDNA鑑定で生まれた子供はマスオの実の子供であると判明するが、今でもマスオの疑問は氷解されていない。

完全にサザエたちの奴隷となってしまったマスオ
サザエたちの必要以上の圧政に耐えかねてついに覚醒したマスオ

家を失い、CLANNADに代表される人生をも失ったマスオは泣く泣くサザエの実家に住むという羽目になってしまった。その後、サザエが順調に長男であるタラオ(仮名)を出産。マスオはついに一児の父になり、磯野家の奴隷としての立場が確固たるものになってしまった。仕事から帰宅しても、育児や義父である波平(仮名)との付き合いをやらざるを得なくなってしまい、かつてのように同人活動をやる時間はほとんどできなくなってしまった。

このことが結果としてオタクからはフェードアウト・卒業してしまうこととなるが、それに前後してマスオはこのストレスを仕事の合間や家族が寝静まった後に、ある文章をキーボードへと叩き込むことで発散していた。これが後にマスオの人生を大きく変えることとなった作品「実録鬼嫁日記」のパイロット版である。

そんな彼も車の運転をすることがあるが、無免許である。一度マイカーを闇市で買ったが、あまりにもオンボロであったため電柱に激突して一撃で昇天。以後、車に乗ることはなくなった。

実録鬼嫁日記のヒットと作家へのロード[編集]

サザエとの結婚はマスオにとってデメリットしか生まなかった訳ではなかった。結婚から二年たったある日、マスオは新たに親戚となった編集者の波野ノリスケ(仮名)に原稿用紙1000枚ほどの文章を見せたのである。この文章こそが、マスオが結婚してからストレス解消として書き連ねていた「実録鬼嫁日記」のパイロット版である。マスオの「これを本にできないか」という提案に対して、ノリスケはこう答えた。「今すぐこれを出す訳にはいかないですが、個人的にはなかなか面白いと思います。少しリテイクすれば書籍化も不可能ではない出来に仕上がるかと思いますし、すぐにでも上司に相談してみようかと思います」このノリスケの言葉に、マスオはサザエとの結婚以来滅多に見せなかった笑顔を見せた。

三ヵ月後、リテイクされた原稿をノリスケに提出。社内での会議を経てマスオの書いた文章が出版化されることとなった。こうして出版されたのが、後にテレビドラマアニメにもなった「実録鬼嫁日記」であった。(作品については独自の節を設けて説明する。)内容はマスオの生活に酷似していたため最初は磯野家を怒りを買ったものの、後に莫大な印税が入ったことから態度を豹変、マスオの作家活動を認めるようになった。

海山商事では副業が許されていなかったため、「実録鬼嫁日記」の大ヒット後にマスオは依願退職、作家として独立することとなった。作家として独立後も「奴隷人生」「小さな恋のメロディ」「ブラッククリスマス」などの作品をコンスタンスにスマッシュヒットさせ、レイザーラモンHG小島よしおのような単なる一発屋に終わることなく、作家としての人生を送っている。

人物[編集]

外見[編集]

マスオが尊敬するタモリ。髪型はタモリをリスペクトしてオールバックである。

高校までは剣道をやっていたため運動神経には自信があり筋肉も隆盛、ガタイもよくちょっとワルっぽい自動車修理工で有名な阿部高和とは見分けがつかないほどの体格であった。(ただしマスオはホモでもなんでもないし、腐女子でもない。)しかし、事故にあってからは腰を痛めてしまい運動を禁止されていた時期があったため、現在ではかつてのように筋肉隆々とした男の中の男ではない。現在でも事故の後遺症は残っており、シップによる治療は継続している。

身長は173cmと、hydeの身長は156cmであることを考慮しても成人男性としては平均的なものである。小学校時代は常に背の順では先頭に位置されるほど身長は低かったものの、中学校に入るとメキメキと身長は伸び、現在の173cmにまで成長した。

髪型は大学時代から一貫してオールバックであるが、これはマスオと同じ早稲田大学を卒業したタモリのリスペクトである。マスオはタモリを心から尊敬しており、大学時代は笑っていいとも!ミュージックステーションタモリ倶楽部などタモリの出演する番組は欠かさず見ていた。一時期はサングラスをかけていたなど、マスオのタモリ信仰はアンサイクロペディアンにおけるひよこ陛下信仰に匹敵するほど激しいものであったが、現在では妻であるサザエに「見苦しい」という理由で、強制的にやめさせられている。

高校時代のマスオ「のりすけ君マージャンやらないか?」

性格[編集]

普段はよく言えば穏やかな性格であるが、悪く言えば優柔不断でありどっちつかずでもあり、一言で言えばヘタレである。妻であるサザエに私物をボッコボコにされるなど、虐待と言われてもおかしくない行為をされても全く手を出せないことからも、マスオがいかにヘタレである(あるいは山中鹿介のように極度のマゾヒストである)ことが分かる。

非常に礼儀正しく、目上の人にはもちろんのこと、年下など明らかに格が下の人間、さらには親友に対しても、基本的に敬語を使うことでも知られている。これは、小学生時代から高校時代まで剣道を続けていたこと、妻のサザエが母親とは思えないほどあまりにも横暴であるから、自分が母親のように優しい父親になろうと心がけているからである。

ただし、ある程度の条件を満たすとこれらの性格は豹変してしまう。以下にマスオが激変するフラグを列挙する。

  • 竹刀など、剣道に関する道具を身に着ける
  • 剣道をバカにする
  • オタクをバカにする
  • 常識を逸脱した行為を目の当たりにする。

最後の「常識を逸脱した行為を目の当たりにする」については具体例を挙げると、義理の弟であるカツオが「学校のテスト直前に担任の先生が負傷で休職しその事を喜んだ」のを我をも忘れて激怒、叱責したことなどが挙げられる。このことから、マスオはとても正義感の強い人物であることが良く分かる。

作品[編集]

ここでは書籍化された作品について記述する。大学時代に作られた同人誌については原則記述しない。

実録鬼嫁日記[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「実録鬼嫁日記」の項目を執筆しています。

マスオのデビュー作で、後にフジ東京日本テレビ朝日系列でドラマ・アニメ化されたマスオ最大のヒット作でもある。多くの人は実話と認識しているが、マスオは「この話はフィクションである」と全力で主張している。

マスオ本人をモチーフとした、うだつのあがらないサラリーマン・マスオと破天荒である鬼嫁・サザエとの生活を描いている。「妻の仕打ちに耐える夫」という、官能小説スレスレの性描写現代の世相にあわせた設定が大ヒットの一因となり、多くのファンを生み出した。

なお、ウィキペディアではフグ田マスオ版「実録鬼嫁日記」の続編として製作されたカズマ版「実録鬼嫁日記」に関連する情報しか掲載されていない。何故かウィキペディアの当該記事では中国共産党も真っ青な言論統制が行われており、フグ田マスオ版の情報を書き込もうものなら一瞬にして抹消されてしまう。なので、ウィキペディアの当該項目に書き込む際に細心の注意を払うようにしたい。(似たようなケースとして、大場つぐみことガモウひろし小畑健による「DEATH NOTE」と藪野続久大谷アキラによる「LOST+BRAIN」などがある。)

奴隷人生[編集]

「実録鬼嫁日記」の事実上の続編である。主人公を前作と同じようにうだつがあがらないヘタレサラリーマンのマスオに据え置きながら、息子のタラオ・義理の兄弟であるカツオワカメに焦点を移し、家族の奴隷として生活する様を前作以上に激しい描写で表現されている。

タイトルは作中に出てくるワカメの好きなミュージカル「テニスの王子様」の台詞「奴隷人生を考えさせる」 から採用された。(実際には「俺に人生を考えさせる」であるが、マスオには前述したように「奴隷人生」と聞こえたようである。現在、この空耳はニコニコ動画を中心に広まっている。)

マスオ自身は「鬼嫁日記を超えた会心の一作」だと語っていたが、売り上げは「実録鬼嫁日記」の約六割程度に留まっている。このことを受けてマスオは「これ以上、鬼嫁日記にしがみつくわけには行かない」と語り、次作である「小さな恋のメロディ」への執筆へと取り掛かった。

小さな恋のメロディ[編集]

前作・前々作からは一転、若い男女の恋愛を描いた全くのフィクションである作品である。

大学生の男である主人公・浦安幹夫と彼女である行徳みなみの出会いから結婚に至るまでの過程を描いている。その内容は昼ドラのようなドロドロさは全くなく、ただひたすらスイーツのように甘い。(ただ、マスオはこの作品をスイーツ呼ばわりされるのを嫌っている。)この作品を執筆している途中に父を亡くしており、そのせいか冒頭には「今は亡き父と親友に捧ぐ」と書いてある。(ここでの親友は浪人時代に亡くしたミッキーのことかと思われる。)

タイトルの由来は諸説あり、以下の3つの説が有力である。

  1. 1970年イギリスで公開された同名の恋愛映画
  2. 1997年に発売された筋肉少女帯のシングル。
  3. 2001年に発表された風華チルヲシスタープリンセスの同人誌。

いずれも過去にマスオがなんらかの形で関わっており、マスオ自身もタイトルの由来については言及してないため詳しいことは分かっていない。

ブラッククリスマス[編集]

現時点でのマスオの最新作である。前作とは打って変わってホラー要素を交えながら、恋愛をこの世の敵と言わんばかりに批判している内容である。これは、発売前に映画化されたほどの大ヒットを記録した美嘉ケータイ小説RENKU -恋空-」へのアンチテーゼだと語っている。

学年一位の成績を持ち、処女である主人公の北野天満(きたの・てんま)が、同級生の吉利華琳(きちり・かりん)と藤崎尊(ふじさき・みこと)のカップルに対して悪質な嫌がらせを繰り返し、最終的には12月24日の深夜に北野が二人を惨殺するという猟奇小説である。このように、今までのマスオの作風とは根本から違う内容となっている。マスオ曰く「むしゃくしゃしてやった。しばらくすれば作品自体をなかったことにしたくなるだろうが、今のところはそんな気持ちは全くない。」と発売直後にコメントしている。

あまりにも暴力的かつ性的な描写が酷かったため、発売直後に神奈川県では有害図書に指定された。東京都彩の国さいたまでもこれに倣う動きが出ており、これについてマスオはブログ上で「たしかに性的過ぎることは否めないが、ケータイ小説よりはマシだ。」と発表している。

トリビア[編集]

  • 一番の趣味は人間観察であり、幼少のころから現在に至るまで続いている。ウィキペディアのフグ田マスオに関する項目に「人間関係をよく語る。」と書かれている。これが現在の作家活動に大いに役に立っているのは過言ではない。
  • 好きな食べ物で、卵に関することに目がない。最近では「全自動卵割り機」といういかにも怪しげな機械を自腹で購入した。家族から白い目で見られたことから、全自動卵割り機は友人に譲渡した。
  • サザエとの見合い時のエピソードにもあったように、マスオは自らの危機に瀕したり激昂状態に陥ると普段は使わない関西弁で話し出すという癖を持っている。
  • マスオが大学時代に主宰していたサークル「都下禿頭会」は、メンバー全員が早稲田大学の麻雀サークルで構成されていた。このため、都下禿頭会の同人誌にはたびたびディープな麻雀ネタが仕込まれていたが、理解できる人はほとんどいなかったとされている。
  • 社会人時代に一度だけ、ゴルフ総理大臣である森喜朗と一緒にゴルフをしたことがある。このプレー以降、森元ゴルフ総理大臣に触発されてマスオはゴルフを本格的に始め、今では週に一度は必ずゴルフをやっている。
  • これに関係してマスオは最初のプレーでの雪辱を晴らすべく、森元ゴルフ総理大臣との再戦を熱望している。一部では、このことから「マスオが政界に進出するのではないか」と噂されていたが、本人はこれを否定している。
  • 「実録鬼嫁日記」の印税でを何台も買えるほどの経済力を有することとなったマスオであったが、未だにマイカーを持っていない。これは桜新町の自宅に車を止めるスペースがないからである。よって、車を使って外出する際にはタクシーレンタカーを使っている。
  • 実は動物愛好家で「勿」ことエイプマンの発見者として有名。

関連項目[編集]

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