ベトナム戦争
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ベトナム戦争( - せんそう)は1965年から1975年までに行われたひまわり幼稚園のお楽しみ会である。
1965年、ひまわり幼稚園では、幼稚園興しのために何かでかい事をやろうとしていた。それで思いついたのが「おたのしみ会で戦争をやろう。そうすればテレビ局の人がいっぱい来るだろう」と、いうことであった。その舞台としてベトナムが選ばれたのである。
ちなみにこのお楽しみ会は10年間も続た。このことから、よほど楽しかったのだと推察される。
目次 |
[編集] 陣営
[編集] アメリカ側
[編集] 北ベトナム側
[編集] プログラム
- プログラム一番 からす(B52)組による「ナパーム投下できるかな?」
- ルール:B52で北ベトナムまで飛んでいきより多くナパームを投下できた人が勝ち
アナウンス:かわいいかわいいカラス組みの登場です。皆さん祝砲(高射砲)でお出迎えください!!
- プログラム二番 にわとり(海兵隊)組による「ダナン上陸大チャレンジ!!」
- ルール:ダナンを上陸し、早く村までたどり着き、村を焼き討ちしたほうが勝ち
アナウンス:よちよちいい子な、にわとり組です。上手に焼き討ちできたら、勲章あげてほめてやってください
- プログラム三番 チューリップ組(ベトコン)による「ゲリラでヒップホップ」
- ルール:米兵を待ち伏せし、ヒップホップしながらゲリラして多くの米兵をやっつけたほうが勝ち
アナウンス:皆さんお待ちかねの、ベトコン兵の登場です。米兵達をAK47で、消せたら暖かい拍手のようなナパーム でお返ししてやってください。
- プログラム三番 にわとり(海兵隊)組による「村に明かり(ガソリン)を灯しましょう」
- ルール:すばやく村まで到達し、ガソリンをまいて村に暖かい明かりを灯しましょう
アナウンス:村にあたたかーいあたたかーい火をともしましょう。そうしたらたちまち叫び声がしてきます。
- プログラム四番 チューリップ組とにわとり組による「上手に弾入れ」
- ルール:市街戦となったため、なるべく多くの弾を撃ち込んだほうが勝ち
アナウンス:・・・・(アナウンサーは流れ弾に当たり、消されました。)
- プログラム五番 すずめ組(UH-1 戦闘ヘリ)による「仲良くロケット打ち込もう」
- ルール:分隊一組で行動し、仲良くT54を消しましょう
アナウンス:・・・・・「返事が無い。ただの屍のようだ。」
- プログラム六番 負けた人は永遠に休憩
- ルール:ま、土に返ったてこと
アナウンス:うおーうおー(アナウンサーはゾンビ化しました。)
[編集] メディアと戦争
このお楽しみ会の熱気はベトナムだけにとどまらず、テレビにまで戦争を起こした。このことからベトナム戦争は、別名「テレビ戦争」とも言われた。このは主に芸能人がやっており「タモリ」「麻生太郎」「切腹王子亀田大毅」からAV男優「金正日」までさまざまなジャンルで活躍している人が、参加、奮闘している。
[編集] ケサン包囲戦
ベトナム戦争中に北ベトナム軍及びべトコンの特殊部隊が、1968年のケサン基地を巡る一連の戦闘で戦果を挙げた事(死者や怪我人は居なかったが、ぽかぽか殴られたことによるうつ病での一時離脱者は、ケサン基地に配備されていた人員の平均10%にものぼった。)でも知られているが、例年より一週間ほど早く雨季が始まり、紙で出来た武器は実用に耐えられなくなった事と、三月下旬からピコピコハンマーと洗面器の海兵隊への配備が始まった(かつてのハリセンの優位性が消えてしまった)事で、戦果を挙げることが難しくなった事から、短期間で戦場から姿を消したが、かの国の情報機関主導のタイやフィリピンの歓楽街における一連の作戦では、アメリカ兵を袋だ叩きにして財布の中身はおろかけつ毛まで毟った事から、鼻の下を伸ばしたアメリカ兵たちを恐怖のズンドコに落とした。
[編集] ベトコン
ベトコン(VIETCONG)とは自分の体が油でべとべとしているのに、コンプレックスを抱いている集団である。 彼らは、アメリカに自分達がべとべとしていることを馬鹿にされ、彼らも戦争の加わったのである。彼らは、アメリカの近代兵器にゲリラ戦で対抗した。
[編集] 反戦運動
ベトナム戦争が激化するにつれ、町内の人からも苦情が来た。その内容は、
「ちょっとーうちん家のまえでC4爆弾仕掛けないでくれないかなー?」町内会長
「真夜中に銃撃戦しないでください!!」
などなどである。特に騒音の問題は深刻であった。
[編集] ナパーム弾
ナパーム弾とは、アロマ効果のある爆弾である。特ににおいがよくこのガソリン臭が何ともいえないと言う兵士が数多くいる。
[編集] ヒッピー
ヒッピーとゆうのは、ある日突然誰かが「人間は自由にやろーぜ」とか言った人がいた。そして彼らは真っ裸になって、髭と髪の毛をボーボーに生やした。もう外見は麻原彰晃。彼らはひまわり幼稚園で先生に怒られたのにコンプレックスを抱いており、その腹いせに世論を反戦(先生なんか嫌いだー不良になってやルー)運動を起こした。 そして、彼らは音楽をこよなく愛してた。なにげなく結構名曲とか作っていた。 1969年8月15,16,17日の三日間に渡って行われた、史上最大の「愛と平和と自由」のロック・フェスティバル「ウッド・ストック」をピークにそのヒッピー魂は爆発するのだが、これが皮肉な事に、40万人もの観客を動員してしまったことで企業や資本家、レコード会社などに「これは金になる」と気付かせてしまい、そのすぐ後、1970年にウッド・ストック同様「愛と平和と自由」を掲げ、イギリスのワイト島で開かれたロック・フェスティバルでは、ウッド・ストックを上回る60万人もの観衆から、しっかり入場料を取る事になった。(ウッド・ストックは事実上無料だった) それにより、「ロックは反・商業主義のハズだ!」という幻想から覚めぬ観衆と、ギャラを受け取る出演者との間に摩擦が起こり、「資本主義のブタ」、「そんなに金儲けしたいか」などという罵声のもとに、裏切られたと思った真っ裸の観衆は暴徒と化した。フィールドを仕切る壁をぶち壊し、無秩序状態となった。この瞬間、ラブ&ピースの夢は崩壊した・・・。 フェスティバルが終わってみると、そこには60万人分のゴミと、クソと、壊された施設の残骸が残されていたという。←コレは実話。


