ベガルタ仙台

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ベガルタ仙台( - せんだい)は、宮城県仙台市に本拠地を置く最強のサッカーチーム。弱い方の仙台でもある。


「待ってけさい!仙台ば置いで行ぐな!!!」
ベガルタ仙台 について、 けさいサポ


概要[編集]

1994年、東北電力サッカー部をブランメル仙台という名称に変えてチームを結成。
1999年、J2創設のどさくさに紛れ、念願のJリーグに参加。「Jクラブは名前を商標登録しなければならない」という規定があることから、この時ベガルタ仙台と名称を変更した。
……そもそも、この規定を知っていたなら最初から商標に配慮した名前をつけたはずで、J入りを目指すために誕生したクラブとしては、誕生の瞬間にやらかしていたことになる。無知は罪だ。

その後もどちらかといえばやらかすことが多いベガルタ仙台。J2において4位を連発した際は他チームから冷ややかな失笑を頂戴し、やっとの思いで3位になると、入れ替え戦であっけなく撃沈。失笑は壮大なpgrへと変わった。

m9。゚(゚^Д^゚)゚。プッギャー

その他にもノーゴーラー伝説や車登りなど、ネタチームとしての確固たる地位を築く。


けさい[編集]

 ̄"゙'"'─‐- ゙"ニ ─__ )
 r──---   ...___    ) 待ってけさい!仙台ば置いで行ぐな!!!
 三 /J1   ニ ≡ )  )待ってけさい!仙台ば永遠にJ2さ置いで行ぐな!!
 .ニ ( ゚´Д)|  ニ  |! _ )待ってけさい!なして仙台ば置いでぐのっしゃ!!!
 | /  つ つ Lニ-‐′´   )/⌒Y⌒Y⌒l/⌒Y⌒Y⌒Y⌒
 ゙゙゙゙゙ ̄  _,, -‐∧_∧ っ ゚
--─="゙ ̄    ⊂(Д´;) ゜
ニ─        _,.. ゝ蟹O
      _,.. -‐'"   しへ ヽ
__,, -‐"         ,  ゙ー' 

なんかもう……このAA見たくないです……J2もう嫌です。

人気・集客[編集]

大変苦戦している。こいつらのせいである。地元メディアと結託し、某お隣の国並みのステマによって子供を中心とした情弱層を奪われてしまった。そのため、現在スタジアムにはオサーンしかいない。

チームの特色[編集]

「ドラえもん」でいうベガルタ仙台[編集]

ドラえもんで例えるとスネ夫に分類される。浦和レッズ相手に長らく勝利がなかった。そのくせ草津には一度も負けた事がなく、しかも5点とか6点とか容赦のない攻撃を仕掛ける。要するにジャイアンにボコボコにされた仕返しをのび太にするようなものである。しかし、少しずつ強豪相手に牙をむくようになると、ああ、やっぱりのび太なのかなぁと思ってしまう。

倶楽部の歴史[編集]

2003年[編集]

スタのイスがぶっ壊される。
最終節まで引っ張っておいてあっけなく降格。清水大臣を斬首。

2004年[編集]

昇格失敗。腹いせでベルデニック大臣を斬首。海外の使者なのに…。なおD.rヒサトの行方と頑張りはお察し下さい

2005年[編集]

足し算を間違えてJ2残留。んなアホなwww
都並氏は足し算ができなかったため島流し。

ここから始まるけさい伝説。

2006年[編集]

「開幕前」
ブラジル人パネエww 親方貫禄ありすぎw
「開幕直後」
前3人だけに任せておけば昇格確実だな
「中盤」
あれ?研究されてきたのかな?
「終盤」
サンタナまじ惨タナ

サンタナ大臣は斬首。南アフリカへ逃亡したというウワサも…

2007年[編集]

ほら、理想と現実ってあるじゃん。
でも現実は厳しい。
今思い出せば、結婚してくれるって言った幼なじみが他の男と結婚したときの切なさに近いものがある。

あ、ノーゴーラー中島師匠の伝説も始まります。
望月大臣は自害。

2008年[編集]

ついに4位を脱して3位になってしまった。
しかし、同じ東北の山形が2位で自動昇格したのに対し、入れ替え戦であっさり磐田に敗れる。
ちっくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!

2009年[編集]

J2優勝。最高の形で昇格(´;ω;`)ブワッ

だが、優勝してもけさいの呪いは終わらなかった!
天皇杯ではベスト4!
天皇杯けさ位を達成した。

2010年[編集]

またスタのイスをぶっ壊される。
かろうじてhydeより大きい外人が来る。

一時期14試合勝ちなしというどうしようもない状況に陥るが、ぎりぎりで残留。

2011年[編集]

QBK襲来。

ポポポポーン後、川崎フロンターレ戦で逆転勝利を収め、「東北に勇気を与えた!」だの「感動!」だのいろいろ騒がれる。
確かにメディア的には非常においしいネタであった。
だが、その裏にはあれだけ尽くしてくれたにも関わらず悪役っぽく報道されてしまった川崎さんの犠牲があることを、俺たちは忘れてはならない。

そして、トップチームの練習場所確保すらおぼつかないのに女子チームを東京電力から引き取る。どれだけトップチームの活動資金が削られるのやら。 しかし、なんとJ1でチーム最高の4位(J1けさ位)を獲得した。


2012年[編集]

伊達政宗は三本の矢と優勝争いする。
「アルビレックスの皆さん、私たちはあのゲームを一生忘れません。」 その後はこれ以上順位が下がらないといきって捨て試合をして応援歌のテンションもさらに下がる。

とにかくチーム最高位の2位を記録する。でもけさいは負けたことに対する悔しさよりゴール数で良い記録を出した寿人の憎たらしさが大きく特番アレルギーに。
何を狙ったのか某美食家イヌワシがさらに調子に乗り出す。→あまり誰も食いつかない

監督と主な子分たち[編集]

手倉森誠
監督。
どや顔で発するそのダジャレは実は黒魔法であり、勝利を呼び込む。
梁勇基
最近有名になってきた仙台の中心選手。
あだ名は蛙。
某SKEファンの台湾人に似ているような・・・。
関口訓充
仙台のチャラ男。
ブログで「~だかんね」を連発する。
一部では地獄のミサワ顔といわれている。
テグにさからって干されたこともある。
ガガンガーン♪
朴柱成
おい、早くコーラもってこい!
柳沢敦
ご存知QBK。
2011年の第22節名古屋戦では無人のゴールを外すという
相変わらずのQBKぶりを発揮したが、チームは勝利を収めている。

獲得タイトル[編集]

  • J2けさ位(2回)
  • J1けさ位(1回)
  • 天皇杯けさ位





  • J2優勝

エピソード[編集]

  • 4位ならぬ、けさ位
4位=けさい=けさ位=仙台。これぞJ2盟主たる由縁である。
サポは毎年二重にブルーなクリスマスを迎え、ぱっとしない補強に一喜一憂するのだ。
  • バス囲み
ベガルタにはこんなにも熱心なサポーターが沢山居るのである
華麗に負けたときなどに、選手や監督を称えるために行なわれる。津波監督時代は、サポーターと和気藹々とした空気の中、雑談が繰り広げられたこともある。
  • 車登り
旧伊達藩領内に戦国時代から伝わる戦の前に身を清める伝統行事 。「おだづもっこ」と呼ばれる。
この行為は、車の上に登るということで昇格を「俺達は目指しているんだ」という気持ちを誇示する。
志の高い仙台人による、たいへん神聖な行為である。
伊達政宗に仕えた車団吉が猪苗代の戦いの前に酔って近隣の村を破壊しまくった事が発祥。
このとき出来たクレーターに水が溜まって出来たのが猪苗代湖である。
周りに迷惑をかければかけるほどご利益があるとされており、酒で気分を高めて暴れまくるのが流儀。
一部では、事が成就するまではその迷惑行為を口外せず、ひた隠しにすることで、よりご利益があがるものと考えられている。
2008年に行われた「車登り」はシーズン開幕前に発覚してしまい、「ああ、今年もJ2残留確定だな」と落胆を通り越して安堵したサポーターも少なくなかった。
そして結果は(発覚によって御利益が減じ3位になる波乱はあったものの)その通りに。
選手が暴れるのが車登り 。
サポーターが暴れるのがバス囲み 。
共に杜の都を彩る風物詩として仙台市民に深く愛されている。
  • なぎらキック
ベガルタ仙台草創期に執り行われた、J1昇格祈願の神事である。
やり方は至極簡単。試合終了直後にピッチに飛び降りて、そのまま一目散に主審に向かって全力疾走。そして主審にライダーキックをかますだけである。
その効果は覿面、対戦相手のアルビレックス新潟は見事J1昇格を果たし、現在に至るまで降格していない。
コンサドーレ札幌からレンタル移籍での獲得オファーがあったが詳細は不明。
  • スーパービジョンに触れるな!
スタジアムでも裏影のナレーションでもうざさ全開の大阪ともおが神になった事件であり、J1昇格祈願の神事である。
その効果は覿面、叫ばれた対戦相手のFC東京は見事J1昇格を果たし、2010年まで降格していない。2010年までは、だけどね・・・
  • 1人昇格
J1昇格にはとことん縁がない仙台ではあるが、実は毎年のように昇格を果たしている選手を賞賛する言葉。
佐藤寿人、根本裕一、そして萬代宏樹・・・。
「おめでとう!先にJ1で待ってろ!!」と叫ぶサポーターたち。しかし、待ってても禁則事項
  • キャプテンの呪い
実は「けさ位の呪い」以上に恐ろしい呪いが存在した!
2003年キャプテン・森保一→2003年で現役引退
2004年キャプテン・渡邉晋→2004年で現役引退
2005年キャプテン・熊谷浩二→2005年で現役引退
2006年キャプテン・村上和弘→2007年川崎フロンターレへ移籍
この事態を危惧したのか、2007年はキャプテン制度を撤廃。しかし、懲りずに復活させる。
はたして2008年キャプテン・梁勇基の運命やいかに・・・って思ってたけど、とりあえず今年も活躍してくれていますので一安心。

関連項目[編集]